第3話「ドレス選び」

「ねえ。ディアーヌ。この水色のドレス、良いんじゃない? 彼の二つ名の理由のひとつにもなった、あの氷のような色の目に良く似ているわ。きっと隣に居れば、引き立つわよ」


 早速ラウィーニアは週末の夜会に向けて準備をしようと意気込んで立ち上がり、私を早く早くと急かして勝手知ったる衣裳部屋を漁り始めた。彼女が示した水色のドレスを見て、浮かない顔のまま首を横に振った。


「それは、前にクレメントが一緒に出席する夜会用に贈ってくれたものなの。それは、もう着れないわ。そうだった……あの人に貰った物は、全部捨てなきゃ」


 元彼から贈られた物を身に付けて、未婚者にとっては出会いを求める意味合いもある夜会になんか絶対出たくない。


 とは言っても、クレメントは決して付き合っていた私へにケチらず、今まで彼から贈り物は沢山貰っている。今は物に溢れている衣装部屋は、近い内にかなりの数を処分してスッキリすることになりそう。


「良いじゃない。元彼に貰ったからって、良い物には罪はないわよ。このドレスだって良い生地だし、形も可愛くてディアーヌに似合っているわ。他の男性とは……ランスロットに会う時には、違うドレスを着れば良いんだし。別に気にせずに自分が気に入った物は、捨てずに置いておけば? 向こうも付き合っていた恋人に貢いでいた物を返せとは、言わないでしょ。もし、そう言って来たとしたら我が国に仕える騎士の風上にも置けないから、投獄してやるわ」


 ラウィーニアは、にっこりと良い笑顔を見せた。


 彼女は権力者となる王族に嫁ぐために幼い頃から人に対し公平公正に見れるように教育されているはずで、それは当たり前のように身について居るはずだ。けど、近い身内の事となると権力を持たせてはいけない人になりそう。年下で幼い頃から何でも出来る彼女に甘やかされている自覚のある私は、大きく息をついた。


「それだけじゃないの。それを見るたび着るたびにクレメントの顔を思い出すなんて、嫌だもの。あの人は拘りが強くて仕立てに出す店や生地の質にも口を出していたから。そうね……サイズ直しをすれば、長く着られるとは思うけど……誰かに、譲っても良いし」


「恋人への贈り物をおろそかにする程に、彼がお金に困っていたら、確かに大問題だわ。炎の騎士クレメント・ボールドウィンは、レジュラス国王宮騎士団の筆頭騎士五人の内の一人よ。我が国レジュラスは、国防の要たる大事な人たちにも俸給が払えないくらい困窮に喘いでいることになる」


 周辺国みんなが認める大国に、まさかそんな不安があるわけなく。ラウィーニアは冗談っぽく笑って、ふわふわとした裾が返した花のように下に広がる薄紫のドレスを選び出した。


 クレメントと正式に付き合う前に、社交界デビューする前にお父様が私のためにと夜会用に何枚か作っておいてくれた時のドレスだ。


 私はデビューしてすぐにクレメントと付き合い出し、彼は夜会前には必ずドレスとアクセサリーなんかを贈ってくれたから、こうして父の用意していたドレスの出番はなかったけど。


「それ一年前に、お父様が作ってくれたドレスなの……なんか、今の私には子どもっぽくない? それに今から新しく仕立てる時間は、ないし」


 ここまで来て往生際悪く理由をつけて渋る私に、ラウィーニアは何とも言えない表情になった。備え付けの椅子に座っている私と、さっき彼女の厳しいお眼鏡に適った薄紫のドレスを見比べる。


「うん。可愛い。あの野暮ったいセンスの叔父様の用意したドレスにしては、すごく良いじゃない。一年前って……何言ってるの。十七歳が十八歳になっただけのことでしょう。ほんのちょっとした誤差じゃない。子どもっぽいも何もないわよ。このドレスだと、裾が下が広がるから髪型は上げた方が良いわよね……」


 まだ当の本人が夜会に行くって言ってもないのに髪型まで吟味し始めたラウィーニアは、私付きの髪結いメイドと相談し始めた。


 それを横目に見ながら、さっき届いた手紙を見直していた。とっても素っ気なくこういう時にお決まりの、何かを期待させるような愛の言葉も何もない。


 氷の騎士と呼ばれている彼らしいもの。


 ランスロットは、何を考えているんだろう。私がクレメントと付き合っていた事は、彼は絶対に知っているはず。一緒に出席した夜会でも、彼を見掛けたことある。いつも彼一人か、誰かと話していても男性と一緒だったみたいけど……。


「よし。これで準備は良いわね。後は、彼に今週末の夜会に出るって、返事を書いておきなさいよ。ディアーヌ」


 物思いに耽っていた間に、仕事の早いラウィーニアはドレスに合うアクセサリーや靴など全部決めてしまったみたい。テキパキとしていて、判断しておくことや、やるべき事を後には回さない。未来の王妃に以下略。


 ここまでやっておいて貰ってなんだけど、私はまだ夜会に行こうという、前向きな気持ちにはなり切れないでいた。


「ラウィーニア。やっぱり、私……」


 弱気な気持ちに負けそうになった私の言葉を、ラウィーニアは片手を上げて遮った。


「ディアーヌ。今悩んでいる理由がクレメントの事なら、それはお門違いよ。元彼とライバルだからって、何よ。ランスロットと直接話して、彼がどんな人なのかを確認するのが先でしょう? それで、クレメントと張り合いたいだけのバカ男なら、丁重にお断りしたら良いじゃない。はい。私の今から言う言葉を、復唱してくれる? クレメントとは、終わった」


「クレメントとは、終わった……」


 満足そうに頷いたラウィーニアは、私と同じ色合いの薄紅色の瞳で真っ直ぐに視線を合わせた。


「そうよ。もし、結婚でもしてたら別れるにも貴族院を通さないといけない。でも、婚約もしていない口約束だけの男なんて、お別れしたのなら今ではもう他人よ。割り切って忘れなさい」


 ラウィーニアは多分、今までずっとクレメントと私が付き合っていたのを、余り快くは思っては居なかったのかもしれない。そして、あくまで予想だけどランスロットはさっきのドレスみたいに彼女のお眼鏡に適っている様子。


 そういえば王太子のお気に入りであるなら、彼女もランスロットと何回か会って話したことがあるのかもしれない。今まで何故か、その可能性に気が付かなかった。


「ランスロットって……どんな人なの?」


「有能で真面目で堅物。あと、無口で不器用?」


「……不器用なの?」


 まるで決まっていた台詞を唱えましたと言わんばかりに流れるように彼を評したラウィーニアは、肩を竦めた。


「ディアーヌが今疑問に思っている事は全部、彼と会って直接話せば解決するわよ。私とこうして話していても、それはわからない。直接本人と話すしか正解は出てこないわよ。自分で会ってみるしか解決しないことはあるわ。それで、今週末は行くの? 行かないの?」


 どうせ付き合って長い彼女には、私がこれからなんて答えるかなんて全部お見通しなのに。


 こういう時には決して人を甘やかさないラウィーニアは、きちんと自分の意志だと自覚出来るように口に出して言わせたいみたいだった。



◇◆◇



 久しぶりに出席する城での夜会に向かう馬車の窓から見える景色は、夕暮れを終えて薄紫に染まってきた。今私の着ているドレスの紫色に、なんだか似ているかもしれない。鮮烈な赤を押し退けて、薄闇を溶かし染めるような徐々に色合いを変えていく紫。


 透明な窓に映る浮かない顔は、やっぱり人目が気になってしまうから。意気地のない弱虫だと言われようが、私は未来の王妃が言うようには、すぐに感情を割り切れない。


 お父様譲りの金色の髪は念入りに結い上げられ、主催者のパートナーだから絶対に準備で多忙なはずなのに、ラウィーニアは先程うじうじ病を患う従姉妹を心配して最終の点検に来ていた。仕事が出来る女は、本当に違う。


 男女の中の色恋話なんてありふれていて、もしこれが他人事ならば私だって結末はどうなるのかと楽しめたはず。二人の美男の騎士が、恋の鞘当て。なんだか、本当に流行りの恋小説の中に居るみたいだ。まさかの主人公は自分。こんな事になるなんて、あの庭園での出来事まで想像もしていなかったけど。


 甘い期待と黒い不安が入り混じって、綺麗なドレスに包まれている私の中はどろどろでぐちゃぐちゃだった。


 氷の騎士ランスロットが一体何を考えているのか、やっと今夜彼の口から聞くことが出来る。


 でも、人は嘘もつけるし、騙し陥れることもある。権力争いに鎬を削る貴族社会には、そんな話はそこここに転がっているんだから。


 世の人が初恋をやたらと尊ぶ理由が、今ではなんとなくわかる気がする。だって、初めての恋はただただ浮かれて付き合っている恋人をひたむきに好きなだけで。それだけで、良かった。


 でも、これからはきっと違う。


 誰かと付き合って、どんなにその人から愛されていると言葉や態度で示されようが。この恋はいつか終わるかもしれないと、心のどこかでどうしても怯えてしまう。


 だって、私はもう……一度終わりを迎えた恋を、知ってしまっているから。

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