第11話 頭を下げずに儲ける方法

「意外でしょう」


 中村は得意げな顔をしてなおも続ける。


「東工大出が就職する大手の証券会社など、数学専攻の人間ならまだしも、当時の日本なら数えるほどしかない。試しに『野口勇』という固有名詞に、証券会社の名前を入れて、色々と検索してみたんだ。しかし1件もヒットすることはなかった。無理もない。上鳥羽とかいう会社に入った時、彼はおそらくまだ30代だ。新聞の人事異動の欄に名前が出る部長クラスになるには早すぎる」

「理科系で証券会社というと、調査部とかにいたのですかね」

「幹部候補生だったとしたら、要となる部署を回っていた可能性は高いだろうね。いずれにせよ証券会社出身ということは、野口が東京電工とかなり昔から接していたという仮説も容易に立てられる」

「接していた?」

「憶測にすぎないけどね。上鳥羽という会社が、株式を公開したのなら、証券会社、東京電工という、それぞれの点を結ぶ線は出来上がる。上場後に上鳥羽株が値上がりしたところで東京電工が売却すれば、利益を得ることができるだろうしね。大手にしてみればその利益は小さいかもしれないけれど、関係者の便宜供与に株の利益が使われていた可能性も否定できない。何らかの取引の見返りに、上鳥羽株を譲渡するとか。まあ、考えすぎかもしれないがね」


 水元は疑問を突きつけた。


「しかし上場して4年後に東京電工は上鳥羽株を買う訳でしょう。売却目的で上場させた訳ではないんじゃないですか?」


 中村はビールを一口、喉に流し込んでから、商売人のような話し方で答えた。


「一般的に企業が他社との統合を予定している場合、株式公開はできないことになっている。しかし経営状況は色々と変化していくわけだから、4年経ったところで、状況を見極めたうえで、完全子会社化した、と見ていいんじゃないかな」


 水元は中村の話に黙って耳を傾けた。その語り振りは、小さな業界紙の営業マンとは思えないほどだった。


「上鳥羽の上場時の公開価格は1株3000円。上場前に既存の株主らはこれと同じ価格で株式を取得したと仮定する。もちろん、上場前の株式には譲渡制限が付いていた可能性があるし、ロックアップといって、会社の重要な情報を知りうる立場にいる株主は上場後、一定期間、保有株式を売却できないという規制がかけられる」

「へえ」

「でも、現実には単純な話ではない。ここにAさんという人がいて、野口から上鳥羽という未上場株があるといわれ、1万株買ったとする。購入価格は3000万円だ。上場時の公開価格は1株3000円に設定され、上場当日は買いが優勢となり4000円で引けた。その後、株価は上下動を繰り返した後、ロックアップ規制が外れたタイミングで株価は下がって、3500円で引けたとしよう。3500円に1万株を掛けると3500万円。ここで全株を売却すれば、Aさんは500万円のキャッシュを手に入れたことになる」


 投資に興味を示すことがなかった水元にとって、雲の上の話のように聞こえた。中村はなおも続ける。


「4年後、東京電工が上鳥羽を買収するでしょう。この時に使ったのが『株式交換』という手法だ」

「株式交換?」

「上鳥羽株を持っている株主に、東京電工の株式と交換しますよと持ちかけて全ての上鳥羽株を取得して完全子会社化にするやり方だ。ここで重要なのは、上鳥羽株1株につき、東京電工の株をどれだけもらえるか、という『交換比率』になる。その比率は東京電工1株に対し上鳥羽株0・025株。数字だけみると何のことやらと思うかもしれないけれども、要するに、上鳥羽株1株が東京電工株40株に化ける訳だ」


 中村はポケットから手帳を取り出して、ページの余白に図を描いて示した。


「株式交換が発表された日の東京電工の終値は1500円強だから、上鳥羽株を1万株を持つAさんは、東京電工株を40万株持つことになり、その価値は6000万円になる。この時点で株を手放せば利益は3000万円だ。実際は半期ごとに配当金も受け取るから、それ以上という訳だ」


 中村は焼き鳥の盛り合わせのうち、鳥皮の串を左手で摘み、箸で一切れずつ小皿に分けてから、テーブルに備えつけの一味を振りかけた。水元は砂肝を手に取り、同じように箸でより分けた。


「実際にAさんと思しき人物はいるんですか」


 水元の問いかけに中村は首を横に振った。


「そこは掴みようがない。まあ、人に頭を下げなくて3000万円を手に入れる立場って、うらやましいよな。情報と法律の知識と資本と、それを手に入れ続ける体力があれば無敵だよ。現代日本は」

「そういえば」


 水元は思い出したかのように言った。


「響工業で初めて野口さんと会ったとき、インサイダーできますねって聞いたら、そんな人間に見えますか、と憮然とした表情で返されましたよ」

「……何々?」

「いや、だから、その」

「そもそも何で、野口と会ったときにインサイダーの話題になるの?」


 水元はしまった、と思った。あの時の会話の中身は、口外しない約束になっていた。


「怪しいな。いいよ、誰にも言わないから」

「中村さん、新聞社の人間でしょ?」

「俺には記事を書く権利はない。それにうちの記者は馬鹿だと思っているから、聞いた話を教えたりはしないよ。一度えらい目にあったことがあるんだ、記者の頭が悪いために頓珍漢な記事が出ちゃってさ」


 本当は中村は記者じゃないのか、水元の頭にそんな考えが巡った。沈黙を貫く彼に中村はさらに攻め立てた。


「何も言わないんだね。なら、お宅がインサイダーに関わっていると、こちらは受け止めざるを得なくなるけど、それでもいいのかい。一応、別セクションだけど広告の付き合いはあるから、営業部員同士でこの件は、情報交換させていただくけど」

「……わかりましたよ。じゃあ言います。でも、口外しないで下さいよ」


 つまらない話で評判を落とすリスクを抱えたくない。白旗を揚げた水元は、1年以上前に野口と面会した頃の様子を話し始めた。中村は表情を変えることなく水元の説明に耳を傾けた。


「なるほどね」


 中村はため息をつき、店員に壜ビールをもう1本持ってくるよう注文した。時計の針は午後10時半を回っており、先程まで喧しいほどだった店内には徐々に空席が目立ち始めた。


「それは軽く口にはできないね」


 水元は、なぜ野口が初対面の自分にそうした話をしたのか、その情報開示の見返りに、野口が自分自身にどのような義務を授けたのか、中村が訊いてこないのを祈っていた。仮に訊かれても分からない、とシラを切るつもりではあったけれども、その表情からまだ何か隠してはいまいかと、中村が勘繰ってくるのを恐れていた。質問の隙を与えるまいと、水元は中村に尋ねた。


「それにしても、中村さんが響工業を調べたのは本当に、塩津さんの件を究明しようと思ったからなんですか?」

「まあ。そうなんだけど、それだけでもない」


 彼は空になったグラスを見つめながら答えた。


「ヤナさんと、立川で飲んだんだ。通夜の後、半年ぐらい経ってからかな。地元の商工会議所が主催する展示会で再会してね。その時から色々と連絡を取り合っていたんだけれども、ヤナさんがね、顧問で入ってきた野口のせいで会社がひどい状況になっている、って言うんだ」

「会社が?」

「そう。営業が東京電工から注文をとろうとする時に、野口が色々と口を挟むみたいなんだ。もっと値段を安くしろ、そうしないと仕事を他社に振ってしまうぞ、とかね。脅して掛かってくるから、営業も受注価格を落とす訳だけど、それで仕事をとっても結局は儲からない。そんな状況が続いてきたから、響工業は火の車だというんだ」

「響を弱体化させて東京電工に取り込むのが、野口の仕事だということですか?」


 中村は肩をすぼめた。


「そこまでは確信を持って言えないけど、現に役員になった訳だし」


 ビールが運ばれてきた。お互いに手酌でいいよな、と中村は断ってから、自らのグラスに黄金色の液体を注ぎ、思案顔で続けた。


「恥をさらすようで言いにくいんだけれども、響工業次第で俺の命運が決まってしまうんだ。うちの会社は、いわゆる『追い出し部屋』を用意している。記者は別として、金を持ってこられない営業は、斜陽産業の新聞社では格好の餌食さ。響工業が大手の東京電工グループになった日には、広告の窓口は俺みたいなちっぽけな支局員から、本社の人間に変わってしまう。大口顧客の塩津がなくなり、響工業が消える。実は響工業は結構、広告出稿に前向きな会社だったんだ。塩津なき今、本当にありがたい存在だったのに。響が東京電工に取り込まれた段階で『数字』を上げられなくなる。その段階で俺の会社人生はジ・エンドというわけさ」


 水元は男の話に耳を傾ける。


「逆に言えば野口がいなくなれば、俺は首の皮一枚つながる。40を超えた身となっては、他に行きようもない。利己的とはいえ、ヤナさんの目を見てね、協力できることがあれば、協力したいと思うようになったんだ」


 水元はさえぎった。


「野口を追い出すなんて、外様の私達が易々と出来ることじゃないでしょう」

「もちろん」

「そもそも勝算はあるんですか? 相手の後ろには大手企業がいるんですよ。すでに絵は描かれていて、粛々と実行される段階にあるんじゃないんですか?」

「だとしても塩津社長が死んでいい訳がない」


 中村は語気を強め、鋭い視線を水元に投げかけた。


 店の主人がリモコンを手に取り、店内のテレビのチャンネルをニュース番組に合わせようとしていた。液晶画面に製薬会社のコマーシャルが映り、トイレの洗浄剤の商品名を呼ぶ野太い男性の声が響き渡った。2人の横に座るサラリーマン風の男性がショートホープに火を点け、紫色の煙が店内に立ち込める。


 水元は中村の表情の奥に、憤懣やるかたない痛切な想いと、勤め人として後のない場所に立たされた時の、焦りに近い感情を察知した。そのうち後者は、彼が1年近く前に業務委託契約を会社と結んで以降、仕事の成果を果たせない日々が続く時に抱いた感情と相似形をなすものだった。


 とはいえ、中村のように自分の時間を犠牲にしてまで、塩津社長の死の真相を追うような余裕はないのである。万一、自分が野口に不都合を及ぼしたことが明らかになった場合、弱みを握る野口がいかなる制裁を自分に下すのか、不安もあった。


 中村は口を開いた。


「どうだろう。二人で野口を嵌めないか」


 水元は熟考する素振りを見せてから言った。


「協力はできません。申し訳ないですが」


 中村の目に失望の色が浮かぶ。


「そちらにはメリットがない話だ、ということか?」

「正直、塩津社長の死の真相を明らかにしたところで、私の生活が楽になるわけではありません」


 水元が働くG社でも東京電工を担当する営業部員がいた。響工業が東京電工傘下になった時、顧客先を一つ失うことになり、営業成績に悪影響が出るのは、中村と同じだった。


 中村は、それ以上、塩津と野口の話題に触れなかった。二人が店を後にしたのは、午後11時を過ぎた頃だった。

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