4-2 経験と違和感(1)
『事件の第一報からおよそ三時間が経過した現在も、ここF県K駅の半径三キロは規制線が貼られており、普段は通勤通学で人通りの多い目抜き通りも、今は閑散としています』
小さなテレビからヘルメットを被った、女性リポーターの緊張感のある声が響く。風はそこまで強くはない。しかし、女性リポーターのたなびく襟と髪がどことなく、視聴側に落ち着かない印象を与えた。
『本日午前五時三十分頃、F県K駅駅前広場で、爆発物を携行した男を発見。事件発生からまもなく、F県K警察署署員が男を確保。まもなくF県警察本部爆発物処理班が現場に到着しました。こちらからはK駅前広場の様子は確認できないものの、二時間前に上空を飛行したヘリコプターからの情報によりますと、駅前広場に設置されたモニュメントにはブルーシートが貼られ中の様子は確認できないとのことでした。F県では一週間以内に二件の爆発事件が起きており、県警は今回の事件との関係を調査しています。現在までに、爆発物を撤去したという情報は入っておらず、警戒態勢はなおも続いており、周辺住民は不安な時間を過ごしております』
テレビ画面の奥。規制線の内側には、何十台というパトカーが止められているのが見える。その一台一台が、赤色灯を静かに点灯させていた。
テレビの音声に耳を傾けながら、すばるは警察署の三階にある小さな部屋から一人、その様子を眺めていた。
(音は聞こえないのに、ザワザワが伝わる)
長方形のはめ殺しの窓からは、忙しなく動く人の波が確認できる。その様子を目で追っていると、その場にいる声や物音が耳の奥から迫り上がるように聞こえてくるようだった。
その騒めきに紛れて、隣室から遠野の声が微かに聞こえてくる。遠野の声音から伝わる、小さな緊張感。
煽られる、気持ちの波。すばるはパイプ椅子に深く腰を下ろして腕を組む。そして、騒つく心を落ち着かせるように、すばるはスッと目を閉じた。
すばると壁一枚隔てた室内。F県K警察署三階会議室の一角には、いつもより険しい顔をした遠野が、下唇に歯を立てパイプ椅子に浅く腰掛けていた。
目の前に置かれた無線機が交信をするたびに、ガサッと耳障りな異音をたてる。
『形状は、時限式のパイプ爆弾。首前方に繋ぎ目あり。カウントダウンを示すデジタル時計は、対象者正面から見て、右鎖骨上付近に設置。……防爆のためと思われる直径二ミリの穴が、継ぎ目付近に空いていることを目視した。外見の作りは非常にシンプルである。現段階では内部に設置された発火装置から導線までの位置等の確認はできず。五分後、穴とは反対側のパイプにカッターを入れ、切れ目を作成。その後中を確認する予定』
無線から流れる爆発物処理班の声。
遠野の眉間の皺は、より一層深くなる。
無線機と対峙した遠野は、一呼吸おいてリモコンを手にした。
「サイバー特務から現場A」
遠野の硬い声が、無線を介して波紋のように空気に広がる。
『現場Aです。どうぞ』
「防爆の穴。その穴から中は確認できないか? どうぞ」
『防爆の穴からは、スコープが入らない。中の確認は切断後行う。どうぞ』
「……了解。以上、サイバー特務」
訝しげな表情を浮かべ、遠野はそっとリモコンを置いた。
(簡単だ……。簡単すぎる)
担当ではない以上、無碍に口出しはできない。数々の現場を経験した爆発物処理の警察官が口にした手順は、至極真っ当なものだ。
真っ当なだけに。遠野は、その言葉に経験による違和感を翳して、反論することができないでいた。何故なら、遠野の経験は、現場から真っ当な判断に意を唱えていたからだ。
すばるの自宅に仕掛けられた爆弾は、殺傷力を意識したかなり精度の高いものだった。容易に解除することも困難な、かなり難易度の高い技術を要した作りのもの。それに比べて今回のパイプ爆弾の形状が、単なるパイプ爆弾であるとすれば、些かお粗末だと判断したのだ。一連の一計にブラック・ダイアモンドが絡んでいればなおのこと。
遠野は徐にパイプ椅子から離れると、会議室の隅に置かれた電話機に手を伸ばした。
『サイバー卓上、会計課・緒方がとりました』
「お? 緒方か? 市川は?」
市川が出るであろうと想定していた遠野は、思わぬ声の主に驚いて声を上擦らせる。咄嗟に出た自らの間抜けな発声に、軽く咳払いをした。
『それが……爆発物の関係で、警務部以外てんやわんやになっちまって。俺、今サイバー犯罪対策課の応援にきてるんっす』
「そうだろうな」
『特にサイバーは特務を抱えてて。課長以下、全員態勢でパソコンに張り付いてます』
「課長もか!? 大変だな」
『で、要件は何すっか?』
察しのいい明るい声は、遠野の緊張感を少しだけ緩和するように心地いい。遠野は「ははっ」と短く笑った。
「そっちは、現場Aの映像が見られるか?」
『現場Aですか? はい、大丈夫です』
「悪いが、至急、共有サーバーにリンクを貼ってくれ」
『了解です。……何かあったんすか?』
「まぁな、爆弾の詳細が見たいだけだ」
『了解です! ちょっと待っててくださいね』
「おう。頼んだぞ、緒方」
受話器を静かに置いて、暫く。
待機状態のノートパソコンが、カランと弾む音を奏でる。遠野は素早くパスワードを入力して、パソコンを起動させた。
カチッ、カチッと。マウスの小気味いい音を響かせて、遠野が共有サーバーに張られたリンクをクリックする。
ハードディスクが、鈍い音を立ててリンクを起動し始めた。遠野は瞬きすら忘れて、薄い液晶画面を注視する。
画面が小さくスパークしたように光った。白味を帯びた画面が、ゆっくりと作動し薄暗い灰色の映像を映し出す。
爆発物処理班の頭部に設置されている小型カメラ。そのレンズは、恐怖で引き攣る男の顔を捉えている。遠野はその憎らしい顔を一瞥すると、そのすぐ下にあるつれて危険な首輪に視線を落とした。
(見れば見るほど。思った以上に、シンプルだな)
朝、男に話しかけられた時、爆弾を詳細に見ているわけではない。男の首に巻かれた爆弾が、どのような仕掛けで、どのように作用するのか。それが分からない以上、爆発物にたいして瞬時に判断する必要があったからだ。
改めて間近で見ると、爆発物処理班が言うように単純な構造であることが分かる。遠野はポツンと黒く映える防爆の穴を見た。その穴が異様に気になって仕方がない。遠野は老化の進んだ両眼に力を入れた。
無線機の応答から、ちょうど五分が経過。画面にパイプカッターのシルエットが映る。
歪ませた顔を背けた男に、ジワリとカッターの刃が近づいていく……。
--カッ!!
突然、パソコンの画面が閃光した。激しく強い光に視力を奪う。目を手のひらで抑え、遠野は咄嗟に壁に向かって叫んだ。
「すばるッ!! 床に伏せろッ!!」
瞬間、会議室全ての窓ガラスがビシッと音を立てる。今にも割れんばかりに震えた、その直後--。
ドォォォン!!
全身を貫くような、激しい爆発音。鼓膜の奥が不快な高音を響かせた。
(……やられた! クソッ!)
開けた目の焦点が合わない。光でチカチカとする両眼をグッと閉じた遠野は、床に伏せたまま、握り拳を床に打ち付けた。
現状唯一の被疑者であり証人であるあの男も。処理に携わっていた警察官も。きっと無事ではすまない。遠野は胸が痛くなるほど後悔していた。
あの時、ふと湧き上がった己の経験と違和感。
何故、それを。きちんと彼らに伝えなかったのか。
何故、それを。伝えることを躊躇ったのか。
何故、それを--。
「……クソッ!」
遠野は、心情を吐き捨てるように呟いた。目を擦りながらフラフラと立ち上がると、遠野は壁伝いに移動する。手探りでドアノブに探し当てると、必要以上に力が篭った遠野の手は、壊さんばかりに強く激しくドアノブを回した。
「すばるッ!」
「……と、おの……さん」
か細い、すばるの声。遠野はぼんやりとする視界を懸命に搾り、捉えた人の形をしたシルエットに飛びついた。
「すばる、怪我はないか? 大丈夫か?」
「……大丈夫。大丈夫だよ。遠野さん」
全身が纏う震えを隠すように。腕の中で、極めて明るく振る舞うすばるに、遠野は余計に胸が締め付けられる思いがした。
経験と違和感を手放した。遠野は自分の犯した過ちに腹が立っていた。すばるにも、爆発物処理班の彼らにも、そして男にも。
遠野が手放した所為で、無くしたものが膨らみ嵩んでいく。安心も、命も、証拠も。失うのは、とても呆気なく、脆い。
得体の知れない悔しさと悲しさ、そしてブラッド・ダイアモンドの狡猾さ。
胸を蝕み覆い尽くす得体の知れない後悔と怒りに、遠野は奥歯を噛み必死に耐えていた。
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