第12話 「文芸倶楽部の道化たち」:早瀬志帆(4)

 赤々と燃える炎、そして暴徒たち。彼らの中心で踊る道化師は、口の端を吊り上げる。おのれの血で、その笑顔を真っ赤になぞり、刻み付ける。


「やっぱり最高だよねー、ホアキン・フェニックス」


「『サイン』のアルミホイル被ったやつがやっぱ最高だったな」


 要の適当な応えを打ち消すように、志帆は煎餅をバリバリかじる。


「じゃあ次、ホラー観ていい?」


「なんでだよ。……そもそも事件現場でへばっててよくそんなものを観ようと思うな」


「映画は別じゃん。それに、実際に比べればどうってことないでしょ」

 熱いお茶の入った湯飲みを片手に、志帆は画面を観ながら返す。なにより、においがないというのは大きいと改めて思う。


 あのあと、矢津井は用があるとさっさと帰っていき、志帆は要とだらだら映画を観ていた。まあ、それはついでみたいなもので、ついついというか、思わず楽しんでしまったが、本題はそこではない。わざとらしくなったにせよ、要には聞きたいことがある。


「ねえ、御堂司ってさ、どんな人だったの? もっと詳しく聞きたいんだけど」


 真っ赤な七味がまぶされた煎餅をもう一枚手に取り、志帆は訊ねる。


一方、要は煎餅に一切手を付けることなく、金平糖をガリガリさせ、志帆が映画を観ている間、引っ張り出してきたらしい、しわくちゃな文集を、映画の合間に読み込んでいて、それをぱらぱらいじくりながら、そっけなく、

「矢津井に聞けばいいのでは」


「矢津井君はカナに聞けって言ってたたけど?」

 そう返すと、要は露骨に面倒そうな顔でため息をつきつつ、しょうがないという感じで、

「うーん、だから、前に言ったように変な奴だったってくらいしか言えないんだが。……あ、そういえば写真がどこかにあったよな……」


 携帯をしばらくいじって、やがて、あったあったと言いながら、携帯を志帆に示す。画面には制服姿の男女が七人写っていた。場所は部室の中っぽい手狭な空間だ。長机を手前にしての集合写真らしい。机の上には文集らしき束が置いてある。文化祭の時に撮ったものなのかもしれない。


「中学三年の文化祭」要はそっけなく言う。


 要と矢津井はすぐわかる。当たり前かもしれないが、今とあまり変わっていない。要は相変わらず眼付きの悪いボサ髪の仏頂面だし、矢津井は今よりも色白でかなりやせている。のっぽのもやし具合がすごい。残りは男子が三人に女子が二人、だいたいがはにかんだり気だるげだったりする中、彼はすぐわかった。


「あ、この人でしょ」


 中央にいた人物に志帆は指をさす。それはどこか面白そうに笑う少年だった。確かに、ニッコリというより、ニヤリといったような、チェシャ猫めいた笑みだった。顔は端正な方だろう。背格好は中肉中背でそんなに特徴的ではないが、少し首が長いのが特徴か。


 ここに映っている人間たちは全員何処か陰気さが漂うのだが、御堂はその中ではどこか爽やかさすら感じられ、逆にそれが妙に異彩を放っているような感じがした。


「まあ、確かにヘンな人」思わず声が漏れる。

だろ、と言いつつ、要は志帆から携帯を受け取ると、

「で、これがその時つくっていた文集――」


 先ほどまで読んでいたよれた緑色の冊子の端をつまむ。要はそれを志帆に差し出し、

「ここにあった御堂の作品をもう一回読み直してみてた。特に参考になることはなかったけど」


「へえ、こういうの作ってたんだ。なかなか、しっかりした作りになってるじゃない」


 受け取って誌名をちらと見る。タイトルは『赤い天幕』。とりあえずペラペラめくり、まずは要や矢津井の作品を探してみた。が、名前が見つからない――というか、目次には変な名前ばっかりだ。御堂司の名前も見当たらない。


「これ、みんなペンネームなわけね」

 木野荒一、判田法子、降知音羅、ドトウ・レオ、胡堂雛、鈴原無住、卑慧朗。誌名の『赤い天幕』と合わせて、なんとなくああ、なるほど、と少し苦笑する。

「で、カナはどれなわけ」


「木野荒一が御堂だが」

 志帆の質問に答えずにしらばっくれる要だが、どうせ内容をみれば分かるはずだ、というわけで志帆はペラペラ作品内容に目を通していく。


「うーん、まあ、なんとなく矢津井君はわかりやすいね。ドトウ・レオ……もっと何とかならなかったの、この名前」


 半分あきれつつ、まず矢津井のものと思われるものを見つけた。中身は相変わらずの犯人当て小説のようだった。かなめは確か、評論を滑り込ませたようなことを言っていたので……評論文を探し、そしてなんとなく要の書いたものに当たりをつける。


「なになに、『江戸川乱歩のトリック』なにこれ。乱歩の作品別トリック集? ただのネタバレ集じゃんこれ。で、ペンネームは……卑慧朗かー。これもまたなんとかならなかったの。ピエロのもじりにしてもあんまりじゃない?」


 「ペンネームの元ネタは御堂が勝手に割り振ったんだよ。いまとなっては、ピエ郎とかの方のほうが全然ましだったな……」

「もじった漢字は自分で考えたわけね……」


 微妙な空気が流れたので、それ以上は触れず、志帆はパラパラ冊子をめくっていく。他には、ホラー小説だったり、SF小説などが並び、なかなか雑多な印象だ。挿絵のイラストはムンクっぽい不安を喚起させるタッチがあってえらく気味の悪いのだが、なかなか眼を離せないものがあった。


 とりあえず一通り眺めた後、御堂の作品のページを開いた。題名は『密室男』。


「これ、どんな話なの?」

「まあ、変な話」


 そう前置きした要の説明によると、密室にあこがれる男が、自ら密室をつくろうとするのだが、その都度誰かに破られたり、いつの間にか鍵が開けられていたりして、ことごとく失敗する。やがて男は、完璧な密室はとは、自分の頭の中――頭蓋の中でしかないという結論に至る。そして、その頭蓋へ侵入し得るもの――つまり、あらゆるものへの認識と、それにより生じる意味について、その崩壊をもくろむことへと傾倒していく。人間の認識を成り立たせているものとして、男は特に言葉――彼が作中で言う所の形を持たない凶器――に注目し、頭の中という完璧な密室に侵入し得るとする言葉について没頭していく。そして、最終的に彼は言葉によって人を死に至らしめるのならば、脳という密室に侵入して殺人を犯すことができる、究極の密室殺人なのではないか、という妄想を抱き始め、現実に移していこうと画策し始める……。


「――まあ、そんな感じでホラーのようなSFのような話」

「へえ、確かにちょっと変わった話かな。で、いつもそんな感じだったの?」

「そうだな。探偵小説的なモチーフは出てくるが、どっちかというと探偵小説そのものにはあまり興味無さそうだったかな。でも御堂の書く小説、僕はそんなに嫌いじゃなかったね。矢津井は嫌ってたが……」


 まあ、矢津井が好きそうな感じではないだろうことは分かる。志帆はとりあえず確認するように尋ねる。


「御堂君が書いた小説の中で、この事件に似たようなものってやっぱりなかった?」


「まあ、僕が知る限りではない。なんというか、いかにもな探偵小説じみた小説を書くようなやつじゃなかったんだよね。だから、この事件の筋書きみたいなものも、御堂によるものと言えば、らしくないといえばらしくない」


 要はそこが気になっているらしく、どうもにもワカラン、というふうに金平糖をまた、口の中へ無造作に放り込んだ。


「御堂司……彼ってどんな感じで事件にかかわっているんだろうね……」

 探偵小説じみたこの事件の発端となっているのは確実だろうが、どんな役割を果たしているのか。

「被害者なのか加害者なのか。もしかして、どちらでもあったりする、とか?」


「まあしかし、事を起こすにしても、大っぴらすぎるというか、最初から自分が係わってますみたいなことはしないと思うんだけどな」


 御堂が主犯ならともかく、もし裏に誰かいるのなら、それは御堂をよく知る人物、御堂に近い人物になってくる。となると、さっきの写真の中に、すべてを裏で操っている人物がいないとも限らない。そうなってくると要や矢津井の以前の知り合いたちにも疑いを向けなくてはならない。


 微妙な沈黙が降りてしまい、志帆は少し話題を変える。

「ところでさ、カナってあんまり密室に興味なさげに見えたんだけど、ホントのところはどうなの、実はもう解けてたりしちゃってるとか?」


 探りを入れるというか、真意を聞いてみたいところではあった。しかし、志帆の思惑とは違い、要はあっさりぎみに、

「いや、興味ないってわけじゃないんだけど、それにこだわるのもねって。それにまあ、さっぱり分かんないってのもあるかな。手掛かりがあるようでないみたいな感じだし。もしかしたら、何かの仕掛けでガラスを割ったんじゃないかとは思ってるんだけど、それにしたってどういう装置なのか見当がつかないし」


「遠隔操作的な仕掛け、ね」なるほど、そちらからのアプローチはあまり考えていなかった。


「――もっと言うとドアを開いた時に発動するような仕掛け。ただ、矢津井の話を聞く限りだと、クラブに何か仕掛けがあった痕跡はなかったみたいだし、結局いい考えは思いつかない。クラブに仕掛けが無いとなると、やっぱり犯人が手に持って叩きつけたと考えるしか」


 要はそういった機械的な仕掛けを想定していたらしい。確かにその方向性の方が考えやすそうではある。しかし、それもまた具体的な仕掛けとなると暗礁に乗り上げてしまうようだ。仕掛けの方向性で考えるなら、志帆としては、やはりあの赤いテープが気になるが……。


 要は首をひねりつつ、また金平糖をほおばり、バリバリ音を立てる。志帆はそれにつられるように七味唐辛子煎餅を手に取った。辛いものは大好きなので構わないが、辛いの好きだろうと言われて毎回これが出てくるのはなんなんだろうか……少し謎だ。もしかして家で誰も手のつけないものを処分させられているのかもしれない……。このやたらと濃いお茶みたいに。まったく、明らかにこれは茶葉を入れすぎだ。温度も熱すぎる。沸いた熱湯をそのまま入れているに違いない。


「それになんていうか、矢津井の前だと言いづらいんだけど、なんか密室トリックを真剣に考えるのもね。どうせ安いトリックだろうし、それよりも犯人がこの事件をわざわざ大きくしていることの方が気にはなるかな」


 矢津井が聞いたら眉を顰めそうなことを要はどこか無造作に言い放つ。

「ただの自己顕示とかじゃなくて事件全体に意図があるってこと? メッセージとかそういう感じ?」


「そうだね……そういう感じかなと思ってはいるんだけど。」

 要としてはどちらかというと、そちらの方に興味があるらしい。御堂の書いていた小説を読み直していたのもそういう意図があるのかもしれない。


「まあ確かに貼り紙とか、噂を流したりとか妙に凝った準備をしているふしはあるよね」


 言われてみれば、事件自体を大きくすることを目指す意思を感じはする。だが、そうやって事件を大袈裟にしていくことが、はたしてどんな意味があるのか……どこか、得体の知れない感じが広がる。結局は分からなさだけがつのっていくだけで、今のところは宙ぶらりんにされているばかりだ。志帆にはこれから事件がどうなっていくのか、見当がつかない。


「なんか、嫌な感じがするね」

 志帆はただ、そんな言葉を放り投げるようにつぶやくしかなかった。

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