最終章 万年筆
お湯を入れて温めておいた、白い陶器のポットの蓋を開け、お湯を捨てた後、口についている金網に小さじ3杯程のダージリンを入れる。
熱いお湯をたっぷり注いで蓋をして、しばらく待つ。
これも同じようにしておいたカップのお湯を捨て、静かに注ぐ。
部屋中に苦味のきいた、香ばしい香りが広がる。
カップはポットとお揃いで、この間デパートで買ってきたばかりのジノリである。
さゆりは慎重にレモンスライスと砂糖をのせ、お盆で運ぶ。
男の机の脇にそれらを置き、男の好みの量の砂糖とレモンスライスをカップに沈める。
自分のカップと両方をかき混ぜ、しずかに差し出して言った。
「どーぞ、先生・・・」
男はダージリンとレモンの香りに顔を上げ、さゆりに向かって微笑んで言った。
「ありがとう、さゆりさん・・・」
卓也はうまそうに一口、紅茶を飲んだ。
身体全体に温もりが広がったような気がする。
机の上には原稿用紙と万年筆が乗っていた。
きれいな字でビッシリ書き込まれている。
卓也は今、高田と共同執筆という形をとって、高田が編集長をつとめている女性向けの雑誌に週刊連載している。
前回行ったローマの旅行記である。
あれから、高田から正式に原稿依頼があった。
もっとも、卓也の日記をベースに高田がユーモアを盛り込んでフィクションにしていた。
連載は大好評で、近く単行本にすると発表すると問い合せが殺到した。
雑誌もその人気に伴って、ぐんぐん部数を伸ばし、今ではちょっとした有名雑誌になりつつあった。
ローマ旅行から半年が過ぎようとしていた。
卓也は迷惑をかけたお詫びに病院と会社に挨拶に行ったが、上司は辞表を机の中にしまっていて休暇扱いになっていた。
卓也は自然に会社に戻れて、今も新薬の研究をしている。
高田にはしきりに小説家として自立する事を勧められているが、まだまだ自分に自信が持てないし、このまま両立出来るなら続けていきたいと思っている。
高田の方は終始ごきげんで、この間の電話でこう言っていた。
「もー、売れちゃって、売れちゃって・・・。
社長賞はもらっちゃうし、特別ボーナスは出るしで、おまけに今度は本として売れれば、印税もガッポガッポ・・・・。
自分の雑誌で大々的に宣伝するから、こりゃ売れるよぉ・・・。
もー、卓ちゃん様さまだよ。
ガッハッハッ・・・。
これで僕も広子たんに、さゆりちゃんに負けないくらいの指輪、買ってあげられるかなーんと・・・」
もう、絶好調なのであった。
さゆりは卓也の後ろにまわり、腕を首にまき抱きながら甘い吐息をかけて囁いている。
「ねー、楽しみね・・・結婚式。
あと十日ないものね・・・」
二人は翌週の日曜日に、広子達と合同結婚式を行なうのだ。
卓也がいつかいった教会に今、毎週日曜日に通っている。
勿論、ちゃんとしたクリスチャンの教会で、これからも通うつもりであった。
今はさゆりのマンションに住んでいるが、いずれは会社の中間ぐらいの所に引っ越すつもりである。
さゆりの両親には、あれからすぐ挨拶に行き、元々脳天気な親達は諸手を上げて賛成してくれた。
しかも、すぐ同棲することにも異存もしなかった。
さゆりは結婚したら会社を辞めることにし、つい昨日、最後のツアーを終えて帰ってきたばかりである。
「広子さん達、来年には子供が欲しいから、今年は目一杯遊ぶんですって・・・。
卓也さんのおかげで結構、副収入も増えたみたいで高田さん、はりきってたわ。」
さゆりの甘い息が、くすぐったく耳に感じる。
卓也はさゆりを腕の中で回転させると、愛おしそうに抱きしめた。
男の愛撫に身をまかせた女は、両手を背中に回しながら幸せそうに囁きを続けていた。
「ウフ・・・それで・・・・ね・・・
こんどはスペイン旅行じゃない・・・?
取材を兼ねた・・・。
ビジネスシートだって・・・
しかも、ただ・・・だから・・・ね・・・?
この間・・・・・す・・ごく・・・
すてきなバッグ見つけたの・・・雑誌で・・・。
それから・・・・それからぁ・・帽子も欲しいな・・・。
あっ、あと・・・いや、ん・・・
ああっ・・・だめ・・・しゃべれなくなっちゃう・・・。
それ・・・から・・・ドレスも・・・
フォーマルなの・・ほしい・・・な・・・」
≪まったく、もう・・・勝手にして下さい。
でも女って奴は・・・かわいいものですな。
だから、男は天使の笑顔を見たくて一生懸命働く・・・。
まったく、男ってやつは・・・。
ええ、言いますまい・・・でも・・・その・・・≫
【まっ・・・いいか】
ローマでお買い物!(完)
ローマでお買い物! 進藤 進 @0035toto
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