第19話




「あんたの子じゃないわ。」


 目の前の女が発した一言に、自分を抱える男の腕に力が入る。


「どういう意味だ。」


 男の声は震えていた。


「そのままよ。分かってるでしょ、知ってるんでしょ。私の愛人のこと。あの人との子よ。避妊したつもりだったんだけどねぇ、ほんと最悪。目の色だけ似ちゃって、なにそれ、嫌み??気持ちが悪い。」


 なんで、そんなこと言うの。


「自分の子供だぞッ。」


「欲しくなかったわよ。私、子供嫌いなの。ギャーギャーうるさいし。貴方も、疑いもせずによくそんな子供受け入れられたわね。血の繋がりなんてないのよ?他人なの。でも今さらそんなこと他所に知られたらまずいでしょ?本当に、面倒くさいったらありゃしないわ。」


 ほんとうの、おとうさんじゃないの?


 ほんとうの、おやこじゃないの?


 じゃあ、このひとはだれなの?


 怖くなって男の中から急いで抜け出す。男の息を飲む音が背後で聞こえた。なんだか得体の知れないものに見えて、ソファーの裏に隠れる。男が近付いてくるのが分かった。



「奏ッ...。」




 やめて、やめて、やめて、こわい、こわい、こわい。


「こっちにこないでッッ!!!!」



 伸ばされた腕を、振り払った。

 男の瞳から、涙が零れ落ちた。






 目の前が真っ暗になる。何も見えない、聞こえない。ここは何処だ。分からない、分からない。当てもなく走る。今のは一体誰の記憶だ。分からない、なんて、嘘だ。分かっているはずだ。これがなんなのか、もう分かっているだろ。自分が、犯した、過去最大の罪を。微かに見えてきたのは先程の男の姿。



【これはお前が生まれてきたことの罪の償いだ。】



 違う。そんなこと言わせたくなかった。そんなことさせたくなかった。男へ手を伸ばすも煙のように消えてしまった。

 再び訪れる黒い空間。何処に行ってしまったんだ、追いかけないと。焦る気持ちが足をもたつかせる。走って、走って、息が切れてもひたすら走り続けた。視界の隅に光が見えた。とても美しい、なにか。そこから声が聞こえる。


『こちらへ来なさい。さあ、早く起きるのです。皆が貴方を待っております。起きて、貴方のその想いを言葉にして、あの者へ伝えてきなさい。約束ですよ。私は、あの者を赦すつもりはなかったのだけれど、貴方が前へ歩めるのなら、それが良いのでしょう。きっと、素敵な未来がその先にあります。私の愛し子よ、幸せにおなりなさい。』


 それへ手を伸ばすと、温かいものに触れた。柔らかなそれは、何度も触れたことがあるような気がする。周囲が明るく染まっていく。そうだ、帰らなければ、起きなければ。目を閉じた時、それがもう一言付け加えた。




『あの生意気小僧は認めないから。』



「え...?」









 目を開けると白い天井。腕には点滴が刺さっていて、ボロボロと涙を落としながら、冬木がこちらを覗いている。この光景は何度目だろうか。冬木には心配を掛けまくって本当に申し訳ない。そんな気持ちもこめて、掠れた声で言う。


「た、だいま...。」


 更に落ちてくる涙を受け止めていると、顔をくしゃくしゃにした彼の鼻声が返ってくる。


「おかえりぃ...かなで。」



 ナースコールが押されて訪れた医者と看護士に囲まれ、軽く検査が行われた。ナイフで腹部を刺され、かなりの量の出血をしたが内臓は奇跡的に傷ついておらず、一命は取り留めたこと、暫くの間は安静にするようにと説明された。また入院である。3日ほど目を覚まさなかったらしく、前回ほどではないにしても体力は落ちてしまい、少し疲れた。冬木からは父が警察に逮捕されたと告げられた。それは仕方がない。人を、刺してしまったのだから。父に、刺させてしまった。冬木が傷に触らないように気を付けながら抱き締めてくれる。


「奏、もう、大丈夫だよ。怖いことも、辛いことも、本当に終わったんだ。大丈夫。だから、痛いところ、ちゃんと言って、教えて。我慢しないで。」


 震える手で冬木にすがり付く。痛いところ、


「い、たい、ぃたい。痛い、痛い。お腹が、痛くてッ」


「うん...。」


「ずっと、ずっと、からッだ、いたくて...。」


「うん...。」


「からだ、もッ。ここ、もッ、すごくッッ、いたぃ。痛いッッ!」


 トンッと自分の胸を指す。


「いたかった、い"だがっだぁ゛。」


「うんッッ...。」


 目から零れる涙は止まることを知らない。


「お゛れ゛ぇ゛、まぢがってたぁ。...っ...。お、れぇ、とうさ、んに、ひどぃごどッッ、したぁ!」


「うん...。」


「おれが、いちばん、はじめッに、どぉさんのッこと、ぅ、ッッ...、き、きずづ、けてッッ。」


「うん。」


「あいして、ッッく、れていた、のにッッ!!」


「そっかぁ...。」


「お、れ。とぉさッんの、こと...。うぅッッ...、きょぜつしぢゃっだあ゛ぁ゛...ッッ!。あ゛あ゛ぁ゛ぁッッ゛!!...ッ!」


「うんッ。」


「とうさんに、あ゛ぃ゛たい゛。」


「うん...。」


「あいだい、ッッ...。ぅッ、会いたいぃ゛。会ってッッ、謝り、たいッ!」


「お父さんに、謝りたい?」


「う゛ん゛、ッッ、ごめんな、さいッッて。俺、とうさんのこと、傷付けてッごめんなさいってッッ!傷付け、させて...ごめんな゛さい゛ッッて...!」


「そうか...。」


「もう、いちどぉ......、なまえッ、ぅッ...呼んでほしぃ。」


「うん。」


「もう、一度、やり直したいッッ!!あいしてるってッッ、伝え、たいッッ!」


「うん...。」


「こん、どはッッ、ちゃんと...。親子にッ、なりだい゛ッッ!!」


「そうだね...。ちゃんと、向き合おう。お互い、前へ進めるように。きっと、大丈夫だよ。」






 泣き疲れて眠りにつくまで、ひたすらに自分の想いをぶつけ続けた。



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