第14話



 言葉とは難しい。一つの言葉で人を傷つけることもあれば、救うこともある。言葉にしなければ心に秘めた思いは伝わらない。言葉として伝えなければどうしようもないことがある。どれだけ周りが手を差しのべても、その手を掴まなければ救うことすら出来ないのと同じように。

 秋元の腕の傷から推測できる最悪の状況は、日常的に誰かから暴行を受けているということ。それは誰か、彼の現在の性格を見ると人と喧嘩できるようなタイプではない。不良によるものかと考えたが、秋元と共に下校するなかでそういった輩は見当たらなかった。しかし傷はほぼ毎日新しいものができている。夜間に外出した先でのことも考えられる。

 だから秋元には申し訳ないが鎌をかけてみた。腕の治療を行った保健室の先生と共に、まずは家庭内での虐待を前提に児童相談所に話をしに行こうと言ってみた。

 すると秋元は真っ青な顔色で必死に止めてきた。その際に過呼吸や自傷行為を再び起こした。さすれば見えてきた答えは家庭内暴力。彼の様子からして長きに渡るものだ。パニックに陥った秋元を落ち着かせ、こちらが諦めた様子を見せるとあからさまに安心した表情を浮かべる。余談だが、その後、はと(笑)にはむちゃくちゃ追いかけ回された。

 先生にそちらに詳しい連れがいるらしく、以前に秋元 奏が児童相談所に訴えたことはないか、または虐待を受けている可能性があると他者から通報が入った案件がないかを調べてもらった。結果はビンゴ。去年に一件、通報履歴が残っていたそうだ。しかし相談員が彼の家に訪問したところ、問題はないと判断された。秋元 奏本人から暴行は受けていないとはっきり告げられたとのこと。おそらくそれは彼の本意ではない。保健室での秋元の様子を見るに、親に脅されていると考えて間違いはないだろう。

 秋元には何度も助けを求めるように伝えているが、彼が首を縦に振る様子は一向に見られず。こちらが児童相談所に通報したとしても、最終的には、秋元本人の助けを求める言葉がなければ保護に動くことはできないのだ。秋元が救いを拒絶するのは、脅されている以外にも理由があるように思うが、それは話してくれそうになかった。

 もうすぐ夏休みになる。長期休みになれば自然に家に居る時間も長くなり、更なる酷な暴行を受けると考えると、なんとしてでも夏休み前に解決に向けて動きたい。自分の家に泊まらせることも出来るが、秋元は受け入れなかった。

 何もできない自分に腹が立った。こんなにも僕は無力なのか。このままでは、彼が手の届かない遥か遠くに行ってしまう気がして不安が募る。何か、何か方法はないのか、そう考えていたある日、事が動いた。



 その日は秋元の様子がおかしかった。今朝いつも来るはと(笑)に会えなかったと落胆する彼だが、動きがいつもよりぎこちない。元々身体を動かすと痛がることは多々あったが、今日は特に顕著に出ている。授業中も休み時間も机に伏せていた。具合も悪そうな様子に保健室に連れていこうと席を立つと、先に夏原が秋元に声を掛けた。


「秋元、お前まじ大丈夫かよ?顔色悪いって。俺おぶるから保健室行くぞ。」


 そう言って腕を掴もうとした夏原を、秋元が振り払った。様子がおかしい。過呼吸になっている。困惑しながらも、心配から再び手を伸ばした夏原を急いで止めるが間に合わなかった。


「あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」


 叫びのたうち回る秋元を抱きしめる。今まで以上にパニックになっている様子に夏原と春日部に保健室の先生を呼ぶよう頼む。彼らはすぐに駆け出していった。教室内は泣き叫ぶ秋元に動揺が走っている。暴れ狂う秋元を抑えきれず机や椅子が彼にぶつかって倒れる。呆然と立ち尽くすクラスメイトに秋元と自分の周りから物を遠ざけるよう指示を出す。騒ぎを聞きつけた担任も秋元を抑えようとするが状態は悪化の一途を辿る。

 遅れてやって来た保健室の先生が精神科救急に電話を掛けた。漸くして聞こえてくる救急車の音、救急隊員が来るまで暴れる彼を抱きしめることしか、僕には出来なかった。

 



『今度必ず話を聞かせろ。』


 送られてきたメールにはその一文だけ書かれていた。元々押しの強い夏原のこれまでにない迫る言葉に苦笑いする。何となくだが、夏原は秋元が抱えているものに薄々気が付いていたと思う。意外と人をよく見ているのだ。時折、秋元に何かを言いかけて、眉をひそめて口をつぐむことがあった。

 了承のメールを送りスマホをポケットに入れると、ベッドに横になっている秋元を見る。彼の腕には点滴が刺さっており、静かに呼吸をして眠っている。赤く腫れた目元を撫でる。

 結果から言うと秋元は精神病院にて医療保護入院となった。本来精神病院に緊急入院をする際は保護者の同意が必要だが、その保護者と現在連絡が取れないらしい。虐待容疑が掛かると恐れ逃げたのかは定かではないが、秋元と父親が対面しなくて良かったとほっとした。何があるか分からない。今の状態で父親と会わせればそれこそ心が壊れかけない。病院側が市長に同意を得て、入院となったのだ。

 秋元を診てくれた医師から詳しく話を聞きたいと言われた。今回のパニック発作と身体の怪我、連絡の取れない父親。ほとんど答えは出ているようなものである。保健室の先生と僕の話を聞いた医師は警察へ連絡するよう看護士に伝えていた。どうかこれで秋元に平和が訪れれば良いが。警察と医師、児童相談所の相談員と話を進め、事は一つ一つ確実に動いていた。

 警察からは、秋元が複数人から性的暴行を受けている動画が一部の人達に高額で支払われている、家宅捜査を行ったところ、動画に使われた部屋を発見したと報告を受けた。今回のパニック発作はこれが原因の可能性が高いと医師が話した。男性で体格も良い夏原が触れたことでフラッシュバックが起こったのだろう。本気で人を殺したいと思ったのは初めてだ。

 夏原と春日部にも事情を説明すると彼らも、未だに連絡のつかない父親に殺意を芽生えさせていた。春日部は怒りで近くにあった椅子を蹴り飛ばし看護士に怒られていた。夏原はぶつぶつと呪いの呪文を唱えていた。どちらかというと活発的な夏原が静かに怒りを燃やし、控えめな春日部が物に当たっているのは意外だった。こんな状況だが、心の底から秋元を想う二人だからこその姿に、すこし嬉しかった。秋元にはこれだけ大切だと想ってくれる人がいるのだと、本人に早く伝えたい。


秋元が目を覚ましたのは、彼が病院に搬送されてから一週間が経った日だった。




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