第4章 2

 響子が学生の時、列車内で鋭い視線を浴びせかけた者と同一人物であることを、響子は確信した。学生の時は、ストーカーとして警察に捜査依頼しても、受け付けてもらえないと最初から諦めて、電車通学をしなくても済むように、学生用の宿舎に移り住んだ。

 会社勤めである現在、そのような選択肢はない。かといって、毎日通勤途中視線を浴び続けなくてはならない状況にはとても耐えていけそうにない。このストーカー行為というのは、ただ単に列車の中で響子を見続けるだけの行為である。このことを警察に訴えても、ストーカー行為とは見てくれないことは、目に見えて明らかである。

 年齢不詳に見えるのは、深々とハットを被り、口元が見えないくらいの襟の高い上着を着ている。着ている衣服の柄といい、スタイルといい、年配者のものである。一見年配者のように見える服装である。しかし、垣間見える肌は、年配者のものではない。あの艶やかさは、響子の年齢に近い、というよう、もっと若いかもしれない。

 響子が学生の時、通学途中で、彼女をじっと見ていた者であることは確かであると改めて確信できるようになった。

 単に列車の中だけの行為に限定されたことである。そしてそれはただ彼女をじっと見続けるだけのことである。それもある程度の距離を保っている。

 これが毎日ではなく、たまたま響子を見かけたときだけじっと見る行為であったら、話は違っていたかもしれない。しかし、それは計画されたものなのである。

 彼は、響子の自宅の最寄りの駅と響子が勤めている会社の最寄りの駅を把握している。彼は響子の自宅の最寄りの駅で、響子が駅に現れるまで朝早くからずっと待ち伏せしている。響子が退社する時も、彼は響子の会社の最寄りの駅で待っている。そのため行き帰りの列車の時間をいくら変えようとも、彼は、響子が乗る列車に乗れるのである。学生の時、なぜいつも彼女が乗る列車に、臨機応変に時間を変えて乗っても、彼が乗っているのが不思議に感じることもあった。それは彼が、響子が乗り降りする駅を把握していて、いつもその駅で待ち伏せしていること、離れた車両から乗り込んで、停車するたびに響子が乗っている車両に近づいてくる。その行為を知った時何とも気味の悪い思いをしたものか。

 駅から響子の家まで付いていくとか、駅から響子の会社まで付いていくとかいう行為でもあれば、警察にストーカーとして訴えることができるのだろうけど、そのような行為は全くないのである。ただ列車の中で彼女をずっと見続けるだけの行為なのである。それだけなら別に問題ない。自分の追っかけがいて嬉しいと思う人もいるかもしれない。でも、響子にとってはとても耐えられないことなのである。

 彼は何の仕事をしているのだろうか。毎日このようなことをして仕事などできるはずない。それでは学生なのであろうか。学生だとしたら、ろくに勉強もしていない学生に違いない。

 響子にとってこの状況を続けることはとても不可能なことであった。と言って警察にストーカー行為として訴えることも難しいことに思えた。その時響子の頭にある人のことが浮かんだ。岩城陽介である。

 池田旬一が、響子に銃を向けた事件の件で、響子に被害者としての事情聴取をした人である。響子に銃を向けた旬一から銃を振り落とした命の恩人でもある。

 事情聴取を始める前に、陽介と彼の死別した妻が写っている写真を見せながら、響子が陽介の死別した妻と瓜二つであると言った。写真を見たとき一瞬偽造写真ではないかと思ったほど陽介の妻と響子は似ていた。列車の中とレストランの中で響子を見て亡き妻と似ていたので響子をじっと見てしまったことを言って彼女に謝罪した。

 水源島公園で、響子に銃を向けた旬一の手から銃を振り落とした時を除いて、陽介に会うのはその時が初めてであるように感じた。旬一を逮捕した時、陽介はフェイスシールドの付いた防弾ヘルメットを被っていた。陽介の顔をほとんど見ていなかったようなものだと言ってもいいかもしれない。列車内とレストラン内で陽介に見つめられていたことは彼女の記憶から不思議なことに欠落していた。

 事情聴取で陽介と会った時は、実際は初めて会ったようなものであったかもしれない。その時響子が陽介から感じた第一印象は、誠実で真実な人であるというイメージである。

 それで陽介のなき妻である瑠津絵の写真を見た時、あまりにも似ているので偽造写真ではないかと思ったが、直感から、陽介がとてもそのような人とは思えずに彼の言うことが信じられた。写真を見た瞬間、彼女にその写真が偽造写真に見えてしまったかのようなニュアンスの言葉を発してしまったかのような気がした。その言葉の故かもしれない。わざわざ別の写真を取りに行ってくれた。その時彼の誠実さを感じた。

 響子は、旬一との件で、事情聴取で言い忘れたことがあるので、話しをしたい、という理由で陽介に会えないだろうかと思った。旬一に関することで、言い忘れたことが、後から次々と思い出されてきた。実際事情聴取が終わった後、言い忘れたことで思い出したことがあったら連絡するように言われていた。

 旬一に関する件で言い忘れたことを話した後、列車の中でのストーカーと響子が感じていることを陽介に話してみようと思った。

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