第35話 元勇者と神様

「――夢か?」


 いったいどこからどこまでが……。


「寝ぼけたこと言ってくれちゃって、ボクが喚んだに決まってるでしょ。とりあえず、ハードモードクリアおめでと! 拍手!」


 もはや夢だと言われた方がしっくりくるし、嬉しく思えるこのアリスの住まい。

 いつもの光景に俺は身構える。すわエクストリームモードか。


「いやいや、今回ばかりは純粋な労い。あんな痛快で難儀な人生……つい見入っちゃってね。そんでキミはやっぱり勇者になっちゃって。これから先、人類の救済や打倒魔王なんてものを掲げて。これはそれを思っての、だからこその労いであり、今後送るであろうキミの艱難辛苦待ち受ける人生に対するちょっと早めの弔いだよ」


 捲くし立てるアリスから感じるのは何か。俺は――俺だからこそ分かった、分かってしまった。


「言いたいことはそれだけか?」


「……そうだよ」


「なあ、アリス。いや、『神様』。俺はお前を『アリス』にしてやりたいんだよ」


「言ってる意味が――」


「分かってるはずだ。お前は『勇者だった』俺と同じなんだよ。俺のことを見てたってんなら、自分が『アリス』だって気づいてなきゃおかしいんだよ」


「――――」


 できれば、気付いてほしかった。指摘なんて、したくはなかった。


「そんな顔を見たくなかったから」


 血が伝うほど唇を噛み、今にも吐き出してしまいそうな何かを必死でせき止めているアリスの顔を。


「お前がどれだけ転生者の願いを聞き届けてきたか。お前がどれだけ自分の願いを飲み込んできたか。他人の理想を叶え続け、どれだけ変化を与えても、変えられぬ、変わらぬ自分がいる。神として、神らしく、神なのだから。それくらい、このとっ散らかった、果てしなく積み重ねられた本の数で――お前の憧れの数で、お前の焦がれた数で、お前の逃げた数で、気づくべきだったんだ」


「――やめろ」


「お前は自分を、初めて会った頃の俺と――」


「やめろって」


「重ねて」


「ちが――っ!」


 アリスの喉から出掛かった拒絶は完全な否定となる前に潰える。


「――……どうして……なんだろう。ニートとか、不細工とか、ぼっちとか、三十路すぎた童貞とか。人生の落伍者はみぃーんな、この本の中でトラックっていう鉄の塊に押し潰されて、なんでか神様にチート貰って、転生するんだ。ボクが、この頭がおかしくなりそうなほど白くてだだっ広い部屋で何千、何万年過ごしてきたと思う? 伝説級のニートじゃん。なのに、ボクは同じ落伍者にチートを与えて、『行ってらー』って言って送り出すだけの日々。眺めて望んで、目に入って妬む毎日」


 息もつかず、吐露した激情はアリスにしか分からない言い分。

 しかし、神という役割に縛られ、苦しみ続け、落としどころを探し求めていただろうことは想像に難くない。


「世界を廻す歯車」


 そして、ぽつりとアリスの口から漏れた言葉は俺に何の反応も許さぬ重みを持っていた。


「キミが言う通りボクは『神様』なんだろうさ。でも、それってとても重要で、とてもどうしようもないことなんだよ。そうあらねばならない事の重大さに気づかず、具体的な解決策もなく、ただただ問題を指摘するだけなんて……。トーマ、キミってやつは相当に間抜けだね。そういうのを藪蛇って言うんだよ」


「それをこれから――」


「でも、決めたよ」


 早まってほしくなかった。一緒に考えさせてほしかった。


「ボクは――キミのラスボスになるよ」


 こうなる前に……。


「ボクは神を捨てて――」


 もうどうにもできない。


「世界を放り投げて――」


 世界の在り方を大きく変えてしまう決断。


「――アリスになるよ」


 そうして自分を、思いを、考えを解き放って優先させていく。


「――はあ……」


 張り詰めていた緊張が一気にほどける。

 勢いで言いたいことを言って、言うだけ言って、言ってのけてこのザマだ。

 俺は――アリスの説得に失敗したのだ。

 俺はアリスを――救いたかったのに。


「もちろん、その気持ちは今も変わらず、ってわけだが」


「――へ?」


 顔を突っ伏したかと思えば、突拍子もないことを言い出すのだから、言われた当人は当然、間の抜けた返事になるだろう。だが――。


「アリス、お前は言ったぞ。俺のラスボスになるって」


「……ん? ああ、言ったね」


「じゃあ、俺がお前をどうにかするべき時は今じゃないし、お前が『アリス』になるべき時も今じゃないよな?」


「……それ、本気で言ってるの?」


「お前を救いたいと思うこの気持ちに嘘偽りはない。だからこそ本気だ」


 問題の先送り。後回し。解決の糸口すら見つかっていない無理難題。

 アルバもアルバの中に巣食う魔王もユノの救いたいその他諸々も全部救い取って、ようやくアリス、お前の番だ。

 アリスがどれだけ苦笑したって、溜め息ついたって、呆れ返ったって、俺はお前を諦めるつもりはない。

 その諦念を抱えたままでは、かつての俺と決別できないから。


「だからこれは、完全な俺のエゴだ」


 声に出して、俺の勝手を押し通してみせた。今はこれくらいしかできない。

 あとは乗るも反るもアリス次第。


「いいよ」


「んなあっさりと……」


「喜びなよ、世界の滅亡はトーマのおかげで先延ばしになったんだから。――それにそっちの方が一波乱ありそうで楽しみだ。いかにもラノベって感じ」


 いつもの調子に戻って、おどけてみせるアリスに俺はいよいよホントの本当に安堵する。


「そうかよ」


「でも。嵌められたみたいでイライラするから。これは仕返し。――知ってる? ラノベの主人公って、幼女性愛者っていうのがわりと多いんだ。俗に言う……ロリコン?」


 ……は?


「じゃ、そゆことで。『またね』」

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