第29話 元勇者は……

『おほぅ、おっかねえ』


「ほぅ」


 前者はユノを見て鞘に収まった我が身を震わせるジェニトが、そして後者は地に伏したアルバを見て、それを為したユノに向けてマオが感嘆の声を漏らした。


 ユノがアルバに、兄に、唯一の肉親に死を突きつけた。否、もはや殺すと決めた時点で、人として、救うべき対象として、そして兄として、アルバという存在は除外されてしまったのかもしれない。


 アルバよりも小さな背に、肩に、計り知れないほどの葛藤や覚悟、想いを背負っているのが見える。


「ふむ――何やら、訳ありなのだろう? わらわは妾で好きに遊ぶ。オマエも好きにしろ」


「――お気遣い感謝いたします」


 何事もなかったかのように起き上がるアルバに、そのように告げて隣にいるユノを無視し、マオも動き出した。


「――――」

 

 全身全霊を込めて殺しにかかった一撃をもってして、なおも平然と立ち上がったアルバにユノは息を呑み、同時に兄が人間をやめてしまったのだと理解する。


「アンタが! アンタのせいで!」


 一転、ユノの怒りの矛先が、振るわれる剛拳がマオを捉える。

 ――が、生前の魔王と同じ硬皮で覆われた尾で、ユノがアルバを殴り飛ばした拳を軽々と絡め取り、そのまま地に投げ捨てる。


「くッ――!?」


 ユノの腕はおおよそ人の関節の可動域ではない方向に力を加えられ、嫌な音を立てて、瓦礫の山に突っ込んだ。

 苦痛に顔を歪めながら、折れた腕を正しく直し、自身に治癒魔法をかける。

 そうしてユノが向き直った頃には、魔王は同所を発っていた。

 

 マオがどこへ、何をしに行ったのかは分からない。

 しかし、アレを追いかけるわけにはいかない。


 目を離したら死んでしまいそうな少女がいるから。


「ユノ――ッ……」


 もう見ていられなかった。ただ傍観していたくなかった。


 だけど――


『おッ、何ができっか見つかったか?』


 状況を打開できるはずの手段が望む答えを俺は口にできない。

 聖女に目覚めたユノに並び立つことは……できない。


「ユノを……説得する」


 それが、寮で初めて会ったときに託されたアルバの願いだから。

 ここで兄妹を殺し合わせるわけにはいかないから。

 

 勇者になりたくない――その自分勝手な理由を、彼らの兄妹愛で上書きしただけだって内心では理解している。

 だからこそ、

 

『……そうッかよ』


 俺の答えに不服な声音を漏らすジェニト。


 頼む、ユノ。

 俺にジェニトを握らせないでくれ。


『個人的には魔王をどうにかしてほしいンだけど――まあ、好きにやってみろよ。足掻いてみろよ。そんで――』


 俺は最後までジェニトのお喋りに付き合うことなく、ユノに声をかける。


「ユノ……」


「――っトーマ! 無事だったのね!」


 大丈夫だと、心配ないと首肯し、俺はアルバに向き直る。


「アルバ! 急なことで俺もユノも死にかけたが、こうなった以上、俺は――」


 俺の言っていることに付いて来られず、困惑顔のユノ。


「ユノ、一緒に逃げよう。マオは当代魔王だ。アルバは……オマエの兄貴は魔王から救おうとああやって、仲間のフリをしてくれてるだから――」


 アルバの意思を汲み取って、魔王の手の届かないどこか遠くへ。

 しかし、ユノは俺の言葉を、甘えを受け取ってくれはしない。

 まっすぐ俺を見つめる銀眼が、頑として揺れない、揺るぎない意志を宿していた。


「……私はもう十二よ。世間じゃ立派な大人だわ」


 静かにそう語ってみせるユノの真意が知れない。


「私は自分で判断できるし、アンタが言ってることが嘘で、本当は兄さんが人を憎んでるってことも、こうなったのは――母さんが貴族に嬲り殺されたのが原因だってのも知ってるわ」


「それなら……っ」


 どうしてこうなる前に止めなかったんだ、と八つ当たりをしそうになった醜い自分がいた。

 口に出そうとして、あまりに自分勝手で理不尽だということに気づく。


 勇者になりたくない、あんな思い二度としたくない、させたくないそれを言い訳に、ただただ痛みに震え、死に怯える自分がいた。


「私は……信じてたの。いつか兄さんが、本当のことを話してくれるって。貴族に一発キツイのをお見舞いしてやろうって……話してくれるのを待ってた」


「そんなことで母さんの無念を、俺たちの気が晴れると、本気で思っているのか!?」


 アルバはユノのお人好しに耐え切れず、怒りを露わにする。

 対するユノは一時の迷いもなく、これに首を振って否定して見せた。


「まったく! これっぽっちも! ええ、顔を殴り潰して、全身の骨を蹴り折って、ぶっ殺したいに決まっているわ! でも――」

 

 湧き上がる憎しみに打ち震え、固く握られた拳からは爪が食い込み、血が流れる。

 悔しさで噛みしめる唇からは血が滲んでいた。


「そうだ、オマエにはできまい。それを知っているからこそ、俺がやってやる。オマエの代わりに、肥溜め共の悲鳴を響かせてやる。爪を剥がして歯抜けにして鼻を削いで耳を切り落として目玉をくりぬいて睾丸を潰して腸を引きずり出して四肢をもいで――」


 どう苦しめるか、どう痛めつけるか、どう殺すか。アルバの、兄の楽しげに話す姿がユノを苦しめる。


「でも! それでも! そうまでしても! 何も、誰も救われは……しないじゃない!」


「そんなことは――」


「ないわけないじゃない! やり返したあと、お兄ちゃんがどんな目に遭うかなんてちょっと考えたら分かることなのに……っ」


「ユノ――後先なんて考えていると思うか?」


 アルバはその先に死が待っていようと、それを織り込み済みだと言わんばかりに、答えの決まりきった問いかけを投げる。


 平行線のまま、なんの説得もできず、一切の納得も許さず、一部の理解も示さず、ユノは叫びに、衝動に身を任せ、地を蹴ってアルバに殴り掛かる。

 人類の敵だと、たったそれだけの理由で。


「――――」


 人のために生きることの辛さが、どこまでも分からされる言葉にならない叫び。

 アルバは閉口し、ユノの考えなしの猛攻を適当にいなしながら、俺の方に視線をやる。


 力ずくでもいい、魔王が遊びに飽きて帰ってくる前に――と。


 もちろん、俺だってそうしたい。そうしてやりたいのに……。


「――あぐッ」


 両腕でガードするも衝撃を受けきれずに蹴り飛ばされ、地面を滑るようにこちらに突っ返されるユノを受け止める。

 俺は反射的に、再度向かっていこうとするユノの腕を掴む。

 アルバを殴るために固めていた拳は、振るっていた腕はとても震えていて。

 悲しみに暮れていて。

 若干十二才の肩にのしかかるには重すぎて。


「離して。……離しなさい!」


 ――どうしてだろう。

 振りほどこうともがくユノの弱さを見て、脆さを目の当たりにして、決して離すまいと手に力が籠もる。

 

「離してよ!」


 ――ユノに付くということはユノを殺すことと同義。

 そのはずなのに……。


「お願い……」


 ――今は。


「――助けて……」


 ――こんなにも、彼女に悲しんでほしくないと、そう思ってしまう自分がいる。


「アルバ……悪い」


 俺は謝らなければならない。

 絶対に死なせないと決めた少女を、兄から託された妹を再び死地に立たせてしまうのだから――、


「――そうか。では、どうするつもりだ?」


 二度となるつもりなんてなかった。

 他人なんて気にしない、気にしたくもない。

 自分のためだけに人生を。

 緩やかな、安らかな、安穏とした終わりを。


 二度と二度と二度と――絶対に。

 そう決意したはずだった。


「アルバ――」


 俺はユノの手を堅く握る。

 決して、離さないように。


「俺に――ユノをくれないか」


 俺は、俺一人じゃなかった。

 俺には――ユノがいたんだ。

 かけがえのない、唯一無二の、大切な。


「ジェニト――ッッ!」


 俺は横で突っ立ったままの剣の、その名をんだ。

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