第4話 元勇者は勇者ルートを回避したい

 動き回れる! 走れる! 俺は自由だ!

 決して広くない村の外周を半周ほどしたところ。畑が乱立した村の端っこからは遠くの方で畑仕事に精を出す人のほかに人影は見当たらない。

 考え事にはうってつけの散歩コースだ。

 

 俺は六才――もとい二十六才になって。俺の三分の一も生きていない村の息子、娘と友達になって。やっと……ようやっと……外に俺一人で出る許可をもらった。村から出ずに、友達と一緒でという条件付きではあるが。

 俺が子供と同伴なんてもはやお守同然である。だって中身は二十六才。

 長い在宅生活とも、母さんのささやかな胸とも、親父の筋骨隆々な胸筋、背筋ともすでに別れて久しい。ようやくかわいい子にも旅をさせてくれるに至った次第だ。この件に関しては、親父が母さんを説得してくれたらしく、初めてと言っていいくらい、希少なことに俺は親父を尊敬した。見直した。


 そんなこんなで外に出たら、情報量が多いこと。得るもの、要らぬもの色々である。なかでも大きいのは現勇者がという情報だ。

 勇者が戦闘を行えば、辺りは草木残らぬ荒地、英雄の足跡に成り変わってしまう。俺がそんな感じだったから、間違いない。……だんだん申し訳なくなってきた。

 しかし、この村、隣村、そして王都から村に来る行商人、大陸を渡り歩く冒険者の話題にその被害状況が上がってこないということは、これだけは信憑性のある情報だと言える。

 つまり、今は魔王がいない平和な状態にあるということだ。

 ――勇者は魔王と同時に誕生する。

 今までの歴史通りならこれが常識だったはずだ。

 不明なのは、何をもって勇者とするのか。勇者に足る条件とは何なのか。


 実家にある数冊の絵本や友達の家にあった伝記。隣家の物知りなガル爺。3軒隣で小さな食堂を営んでいる未亡人で、長い赤毛は手入れも行き届いていないはずなのに艶があり、肌がきめ細かくて、俺が生まれて間もない頃に見に来てくれてから、ほとんど見た目が変わっていないどころかどんどん色っぽくなっていて、香水なんて高価な代物も付けていないはずなのに甘酸っぱくて芳しい匂いをまとっていて、無駄に色香のあるマーヤおばさん。


 どれだけ漁っても、王の勅命や不抜の剣を抜いた者、神の啓示と一貫したものがない。


 ……それにしても、俺が母さんに貰ったようなあの手の『英雄譚』、『勇者モノ』はなぜ一国の王にあっさりと会えるのか。俺はちゃんと謁見順に一年も待ったうえで、王に直接ではなく、その配下に伝言という形で魔王軍の対策について話したというのに。

 さらに、物語の中の王はとても聞きわけが良い。俺なんて毎回耳を貸さない王の尻拭いに余計な戦闘をさせられたものだ。


 ――思考が逸れた。……とりあえず勇者不在のうえ、選定条件も不明。

 これほど不安要素がオンパレードの中、勇者にならないためにどう動けばいいのか。

 行動方針がまったく定まらず、目標への道には依然、暗雲が立ち込めたままだ。

 一刻も早く村を出たい。

 一所に留まるより、動き回った方が勇者にならずに済みそうだから……。


「……あ、忘れてた」


 自分が勇者を避けるという前提の元で、そもそも考えることを放棄していたと言ってもいいかもしれない。自分の愚かしさに、間抜けさに腹が立つ。


「いつ俺が勇者になるのか……か」


 現時点で勇者として選ばれていたら――そんなの……死んだほうがマシだ。

 しかし、それを押し留めてくれるのは両親の存在。

 散歩の足を止めてしゃがみ込む。俺は自殺案を保留にし、顔を両膝にはさめて考える。

 前回の俺はいったいいつから勇者として動いていたのか。

 そんなに俺は献身的な人間だったろうか。

 ユノと会うのは十二才の頃。十一才の誕生日に俺は剣をねだったが、結局なんちゃらとかいう勇者の本だったはず。十才の冬に精通。九才で……。

 そこまで大まかに遡って――。


「もしかして――冒険者学校か?」


 覚え得る限りの記憶の断片を散々吟味しきった末の曖昧な結論。十二才を機に親父が若い頃にやっていた冒険者稼業に興味を示し、入学した冒険者学校。ダンジョンを抱えた大きめの街にあるのだが、この村から馬で一日で行けるところだ。


「卒業を待たずに俺は冒険者学校を飛び出したんじゃなかったか?」


 声に出して、そこに湧いた疑念をきっちり確認する。反芻する。

 ――冒険者稼業はおろか、冒険者として自身を登録するためにギルドへ足を運んだ覚えすらない。もしなにか思い立って行動を起こしたのなら、ここが分岐点という可能性は十二分にあるのではないだろうか。

「光明が見えてきたし、帰るか」

 もちろん、あえて目指さなかったという可能性も十分あり得るが、目立った転換期はここしかない。十二才になるまでの道中と十二才を迎えた時点で、俺がいつ『そうだ勇者になろう』なんてふざけたことを思い立つのか、しかと見極めてやろうじゃないか。

 そして、そんな思い上がりをぶっ潰してやる。経験者舐めるな。


「来る分岐点は十二才――あと六年も気を張り詰めながら、か。……長いなぁ」


 そう呟く頃には石造りでできた温かい家庭の前だった。


 ***


 ……短い。あまりに短い平和な時間は終わりを告げる。


「今日をもって! オマエは十二歳となり! 子供を卒業する! 立派な大人としてこれからの道を切り開いていくわけだ!」


「……その話長い?」


「バカ! バカ息子! こういう大事なときに水を差すんじゃねえよ!」


 主役が誰なのかを忘れた言い草に俺は呆れる。

 今年で実年齢三十二才……全くめでたくないことだが、それを打ち明けたところで頭の心配をされるのが関の山だった。


「じゃあ、次は母さんね。あんなに可愛かったトーマが、こんなにもまあ立派になって……。あれは一才の誕生日のときの話――」


 こっ恥ずかしい過去話もなんのその。

 二才以降、あのときの家族へのファンサービスは仇となって俺の羞恥を刺激していた。さすがにもう慣れてしまったが。

 十二年もの間、俺は怒涛の家族愛にさらされていたわけだ。さすがに世の中を知った三十二才。知恵のある三十二才。羞恥と反抗期を卒業した三十二才。

 この親馬鹿具合が異常であり、よその親子関係というものはもう少し控えめなのを俺は知っている。愛されているね、俺。


「――で、誕生日プレゼントなんだけどね? 私は反対したの。でもトロッカスがどうしてもって言うから……。冒険者学校へ行かせてあげることでプレゼントにしようかなって」

 

 ついにこの時が来てしまった。

 とても渋々といった感じではあるが、どうせならそのまま渋っていてほしかった。

 おそらく、依然俺は勇者ルートの中にいるのだろう。冒険者のボの字も、それに類することも一二年間言わないようにしていたのに、学校へと通わされるのはそういうことだろう。

 行きたくない……。何せ勇者への一本道。勇者街道まっしぐら。


「母さん、せっかくの提案だけど……」


「――行きなさい」


「いや、でも……家の手伝いとか――」


「行きなさい」


 ……この一点張り、もはやそう仕組まれている、そういう風にできているとしか思えない母さんの強情さである。普段の姿からは到底想像できない。

 その様子を眺めていただろう親父は、うんうんと満足気に頷き、話を進める。話を持ちかけたのはこのクソ親父からだと言うし、どうしてくれようかこの殺意……。


「偉大なる父からの贈り物はこの剣だ! この前仕事で王都まで行商人の護衛をしたときに、謝礼とは別にその行商人がくれたんだ! ぶっちゃけ使わないから持て余してた! コイツをお前に託そう!」


 少し土で汚れた革製の鞘に収まっており、握りやすいようにだろうか、柄には布が巻かれている。どこからどう見ても安物を掴まされた感じの直剣だ。

 今さらながらに、そういえば生前もこんなもの貰ったなあと感慨に耽る。

 しかし、そんなボロを偉そうに渡してくるのは、親父らしいとは思うがさすがに受け取りづらい。

 それにしても――剣もねだっていないのに……。

 前回は剣がほしいと言ったことがあったが、今回は勇者っぽいことを極力避けてきた。剣もその一つだ。

 何も行動を起こさないでいると、無理やり一回目の流れに乗せられてしまうらしい。


「ありがたく受け取――るぇえっ!?」


「近々旅に出そうとしている一人息子に託すものが、そんなボロッボロの剣でどうするの! 今すぐ聖剣を用意しなさい!」


 どう反応しようか困っている俺を見兼ねてか、いつものごとく母さんは目頭にしわを寄せ逆鱗に触れたドラゴンの様相で、拳骨を食らわしている。鈍い音から察するに、相当痛そうなものを受けたみたいだが、親父は泣き笑い。

 それを見てとりあえず、親父の顔が変形しないうちに、差し出された剣を受け取――。


「あ、分かった」


「ん? 何が分かったんだ?」


「思い出した! これだ!」


「お、おう、何か知らんが、喜んでくれたようで何よりっておい!? 何も投げ捨てることはないじゃねぇかよ!?」


 慌てて窓から飛び出して拾いに行く親父。

 ――アレを抜いてからだ、俺が勇者だとか、選ばれた人間だとか、おお民草よとか狂い出したのは。

 あのなまくらを抜いたが最後、光り輝く勇者の剣、聖剣『ジェニト』へと変貌を遂げ、立派な勇者街道をまっしぐらに突き進んでしまうに違いない。

 この気づきはもはや感覚、直感の域ではなく、勇者を避ける明確な方法、その確信だ。これは大きな進歩である。

 

 ――絶対にアレを抜いてなるものか。


 それに気づいてからの俺の対応は――つまり是が非でも剣を抜かないという動きはどうやら当たっていたらしい。

 誕生日会を終えた翌日の朝、俺は昨日捨てたはずの薄汚れた聖剣と同衾していたのだから。

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