遭逢

 次の雨の日、ぼくは今日もコンサートの開演を心待ちにしていた。


 間もなくして開演したが、今日は歌声が違うところから聞こえてくることに気がついて、ドアをじっと見つめた。これを隔てた先は廊下、その突き当たりには長椅子が一つ置いてある。彼女はそこにいるに違いない。


 試しに足を動かしてみると、とりあえず自分で歩けそうだ。ベッドから降り、いそいそと鏡に向かうと髪を整えなおした。


 久々に補助員以外の人に会うから、念には念を入れる。思ったよりも足が重かったことにいらいらしながら、部屋のドアを開いた。定期検査以外で部屋の外に出るのはいつぶりだろうか、などと思いながら。


 廊下の窓の向こうには、紫陽花がぽつぽつと咲き始めていた。そういえば、そろそろ梅雨入りの時期だ。そのまま顔を横に向けると案の定、長椅子に腰掛けて歌を歌っている女の子が一人。いよいよ会えることに胸を膨らませながら、ゆっくりと近づいていく。


 歌が止まった。


 ぼくに気づき固まってしまった彼女は、歌声から想像していた容姿とは全然違った。不健康に痩せた体。よく見ると長い髪は先がボサボサと傷んでいて、ぽかんと開いたままの口から見える前歯はなぜか大きく欠けている。


 綺麗な声の持ち主にしてはとガッカリしたというか。ぼくが勝手に想像を膨らませていただけで、彼女からしたら大変失礼な話だとはわかっているけど。


「ご、ごめんなさい。うるさかったです……よね」


「いや、そうじゃなくて。歌、上手ですね」


 堂々とした歌に反し、明らかに気の弱そうな声にたじろいでしまったが、すかさず気を取りなおす。彼女の容姿のことはともかくとして、その歌声に心惹かれていたのは事実だったから。目を見開いたままの彼女はびくりと肩を揺らし口を覆い、上目でぼくを見る。


「あ、ありがとう」


 うん。やっぱり、全然可愛くないな。だけど不思議なことに、少し朱の差した顔に胸の奥をくすぐられた気がした。


 こんな暮らしをしていても、別に異性に興味がないわけではない。そうでなくても起きている人間は珍しいから、少し話をしてみようと思った。


 隣にゆっくり腰をおろすと、彼女は分かりやすく身を震わせる。怯えられているのかもしれない。


 さて、これからどうしようか。次の言葉に迷う程度には、気まずかった。

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