歌声

 その日は、しとしとと雨が降っていた。


 なぜか、雨の日は体調がいい。これまた原因は不明らしいが、みんな決まってそうなのだという。湿度とか、気圧とか。そのあたりが関係した話なのではないかと思う。


 今日は足もうまく動かせる。この調子なら、車椅子に乗らずとも自分の足で歩けそうだけど、わざわざ部屋の外には出ることはない。


 部屋の外に出るのを禁止されているわけでもないし、他にも同じような人間がここには何人か収容されている。


 でも、までを眠ったままで過ごす人間がほとんどで、ぼくみたいに歩き回っている人間はいない。どちらにしてもひとりなのだから、あまり意味のあることだとも思えない。


 枕元に設られた書棚を振り返る。前に与えられた本は、全て読み尽くしてしまっていた。たぶん今日の午後には次が入ってくるけども、それまでの暇つぶしに悩んだ。


 壁も床も天井も真っ白でシミのひとつもないこの部屋は、妄想や想像のきっかけなどあったものではない。ため息ひとつつき、ベッドに再び横たわると目を閉じた。


 仕方がないので、雨の音に耳を傾けることにする。今日はしとしとと、柔らかい雨が降っている。他に音らしい音がほとんど聞こえないこの施設では、雨の音や風の音がよく通る。


 雨粒が奏でる規則的なノイズは心地良く、眠りに誘われる。抗うことに意味はないから、そのまま眠ってしまおうと思った時だった。


 突然、雨音のリズムにメロディが乗る。澄んでいて、伸びやかな声だった。同じくらいの歳の女の子の歌声なのでは? 驚きで、目と耳を大きく開いた。


 きっと新しく入った子だろうが、よりによってこんな場所で、気持ちよさそうに歌うなんて相当変わっているな。綺麗な声に誘われるようにベッドから降り、壁に耳を押し当てる。やはり声の主は隣室にいるようだ。


 それからはずっと『彼女』のことが気になって仕方なかった。隣にいるのは誰ですかなんて、恥ずかしくて補助員には聞けなかったけれど。だから体調がすぐれずに起きられない日も、耳だけはしっかりと澄ませていた。


 雨の日だけではなく、晴れの日も、細く柔らかい歌が心地よく響いてきた。ひとつとして知っている曲はなかったけれど、それでもぼくの心をしっかりと掴んで離さなかった。

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