第9話 そして彼女は部屋を出て行く

 ミスミと自分との間を表現するなら、友達以上恋人未満。そう思っていたけれど、実は召使以上友達未満なんじゃないか。彼女の引っ越しの手伝いをしながら、ハルヤはそんな事を考えていた。

 晴れて大学生になるミスミが一人暮らしのために選んだアパートは、見た目は古い物の、意外と広かった。もっとも、積み上げられた段ボールの中身があるべき場所に収まったら、もう少し雑然とするかも知れないけど。

「一応荷物は引っ越し屋さんに運んでもらったから、あとはお掃除お願いね」

 ミスミは小さな段ボールを開けながら言った。

「ほら、トイレとか、お風呂とか、そのまま使うの気持ち悪いでしょ?」

「はいはい」

 ハルヤもミスミとは違う大学に通う事になり、忙しい時期なのだけれど、幼馴染プラス惚れた弱みで手伝わないわけにはいかない。

 やれやれと立ち上がったとき視線を感じたような気がして、作り付けの戸棚に目をむけた。そこには、大きめの人形がちょこんと座っていた。子供の遊び相手にするような物ではなく、肌は陶器でできていて、化粧もできるきちんとした物だ。

「あの人形出したのか」

「ああ、箱に入れっぱなしはかわいそうだからね。これも出したのよ。ほら!」

 そういってミスミが出したのは、小さなビンだった。その中に入っているのは二つの目玉だった。もちろん、本物ではない。ガラスでできた作り物の目玉は、触れ合って小さく涼しげな音をたてた。

「あとで付け替えてみようと思って!」

 ガラスの瞳の片方と目があってしまって、ハルヤは何となくひるんだ。人間のより大きさも小さいし、よく見ると半球形なのだが、それでもなんとなく気持ち悪い。

 そんなハルヤの様子に気づかず、ミスミは「キレイでしょ?」とかいいながらうっとりとその瞳を見つめていた。

 世の中、色々なフェチがあるけれど、ミスミは瞳フェチだ。前、特にイケメンでもないお笑い芸人に「かっこいい」を連呼していた事がある。「そう?」と聞くと「目がきれい」だそうだ。

「ま、まあとりあえず風呂掃除でもしてくるよ」

 風呂場に行き、まず昔ながらのゴム栓を開ける。そして浴槽をシャワーでさっと濡らす。買ってきていた洗剤をかけようとした所で、水がなかなか抜けないことに気が付いた。

(なんだ……なんか詰まってるのか)

 ハルヤが排水溝を覗き込むと、穴のヘリに何かがべっとりとへばりついているのが見えた。

 掃除用のゴム手袋なんて引っ越したばかりの家にあるはずはなく、顔をしかめながらそれに触れる。

(髪の毛?)

 覚悟を決めて引っ張り出すと、思った通り黒い髪の塊だった。そして、量が多い。驚くほど長い髪が、ずるりと引きづり出された。

「うわあっ」

 思わずハルヤは声を上げた。

「なに、どうしたの?」

 その声に気付いたのだろう。ミスミが様子を見にきた。

 ハルヤは無言で手に持った髪を掲げてみせた。

「う、うわ……」

 どうやらミスミは思い切り怯えてしまったようだ、

「前に住んでた人、女の人だったのかな。いや、ロン毛の男って可能性もあるか」

 わざと軽口を叩きながら、ハルヤは濡れた髪の毛をゴミ箱に捨てた。ぱさっという音がしたと同時に、ミスミは振り返って廊下を見た。

「おい、どうしたんだよ」

「いや、なんだか人の気配がした気がして……」

 まるで夏にやっている、投稿者の怖い体験を紹介する再現VTRのようだ。

「気のせいだろ、気のせい」

 そうなだめながらも、ハルヤは嫌な予感が沸いてきて、拭いさることができなかった。それこそ、濡れた髪の毛のように。


 それから数か月ほどして、ハルヤはミスミに会った。ミスミは驚くほどやつれていた。まるで何かに追われているように、あちこちに視線を走らせ、警戒しているように見えた。

 休日の公園は人通りが多く、どこからか笑い声が聞こえてくる。そんなのどかな光景の中で、怯えているミスミは痛々しく見えた。

「あれから、おかしい事ばかり起きるの」

「本当に? 例えば?」

「例えばって……具体的に物が無くなるとか、足音がするとか、そういう事はないの。ただ、視線や気配を感じるの。誰かとすれ違ったみたいに、不自然に空気が動いたり……」

「うーん」

 普通だったら、気のせいと笑う所だ。しかし、ミスミの様子を見ると、笑う気にはなれなかった。

 それに、彼女は特に怖がりというわけではない。共通の友人とお化け屋敷に行ったときには、その辺りの女性のように泣きわめいたりしゃがみこんだりはしなかった。

「それに、近所の人から聞いたんだけど、前にあの部屋に住んでいた人、行方不明になってたって……カガって言う人らしいんだけど」

「本当かよ。なんにしろ、あとで俺がなんとかしてやるよ」

 辛そうなミスミの様子を見て、ハルヤは思わずそう言っていた。

 これはいい機会だ。苦しんでいるミスミには少し申し訳ないが、ハルヤはそんな事を考えた。今まで、ミスミとハルヤとはつかず離れずの関係だった。自分はミスミが好きな事を自覚していたけれど、その関係が居心地よくて、ついだらだらと結果をつけずにいた。

 もしこの騒動が収まったら、告白しよう。もしふられたとしても、それはそれで一歩進んだことになるだろう。

 もっとも、どうやってなんとかすればいいのか見当もつかないけれど。

「力になれるかどうか分からないけど、お前の家に様子を見に行ってもいいし」

「うん……」

 心を落ち着かせようとしたのか、ミスミはバッグから小さな水筒を取り出した。蓋を開けて、一口飲んだとたん、「んん!」と声をあげて口に含んだ紅茶を吐き出した。

 小さな白いかけらが、紅茶と一緒にミスミの口から飛び出す。吐き出された液体は、すぐにブロックの石畳に吸い込まれ黒いシミになった。そのシミの上に残ったのは、黄ばんだ歯だった。

「お、おい、大丈夫か」

 ハルヤは慌ててミスミの口の中をのぞきこもうとする。

「ちがう……私のじゃない」

 まるで周りの温度が十も下がったように、ミスミの体は震えていた。

「私のじゃない? じゃあ、一体誰の……」

 なにか特徴がないかと落ちているはずの歯に目を向ける。

しかし、あったはずの歯はなく、ただ地面のシミがあるだけだ。

「知らない! 知らないわよ!」

 怯えのあまり、怒っているような口調でミスミは叫んだ。そして長い間泣きじゃくっていた。


 それから、ミスミはできる限り家に帰らないようにしているらしい。友達の家を転々として、ネットカフェで夜を明かすこともあるらしかった。何とかしてあげたいが、ハルヤには霊能力のある知り合いはいない。古い言い方をすればワラにもすがる思いで、ネットを立ち上げた。

 色々と検索した結果、あるサイトにたどり着く。そこは霊能力があるというサイトの主、庵(いおり)が、利用者から霊障の相談を受けるというものだった。過去の記録をみていると、未解決の物もいくつかあるものの、実際に解決している事例がかなりあるようだ。

『初めまして。お願いがあるのですが』

 ハルヤは今まであった事を簡単にまとめ、助言が欲しいと書きこんだ。

 しばらくして庵からの返事があった。

 庵の霊視によると、行方不明になっている前の住人カガはすでに殺されていて、バラバラにされて捨てられたという。まだ死体が見つかっていないので、大事件になっていないらしい。

『今、彼女の部屋にいるのはその霊で、このまま放置していればますます害が出てくるでしょう』

『どうすればいいですか?』

 庵の指導は簡単にいうと次のような物だった。

1 切った画用紙に魔よけの図を書き、その上にアルミホイルを貼って鏡を作る。

2 昼の間はその鏡を窓際に置いておき、太陽の光を反射させ部屋の中を照らすこと。

『そうしておけば数ヵ月後には霊障はなくなるでしょう』

 ただし、とそこで庵は付け加えた。

『夜の間は、絶対に鏡を伏せておいてください。鏡に反射した月光は、逆に霊達に力を与えます。それから、難しいとは思いますが、できる限り恐がらないように。人の強い気持ちは霊に影響を与えます。そのうち消えてしまうような、小さく無害な浮遊霊でも、こちらが「すごく怖い悪霊じゃないか」と怯えることで本当にそうなってしまうことがある』

 忘れないように注意事項をミスミの伝えておかなければ。

『ありがとうございました。また報告します』

 そう書いて、ハルヤはパソコンを閉じた。


 ミスミにその方法を教えたあと、彼女は言われた通りにしたようだ。その証拠に写メが送られてきた。人形の隣に手作りの鏡を入れた写真立てが映っている。

 さすがに設置してすぐに異変が収まるとはいかなかったものの、回数は少しずつ減っていき、今はもうほとんどなくなったらしい。

「ありがとう! 庵さんのサイトも見た。あれからもう変な気配はなくなったわ」

 久しぶりにファーストフード店で会ったミスミは、見違えるように明るい顔をしていた。

「あ、ああ。それは良かったな」

「新生活も落ち着いてきたし、新しいバイトも始めたのよ。結構ハードだけど、もう夜遅く帰っても恐くないし」

 このまま幽霊がでないようなら、鏡を外しても大丈夫だと庵は言っていた。とりあえず、これでこの事件は終わりらしい。もしこの騒動が収まったら、告白しよう。少し前にした誓いが頭に浮かんだ。そうだ。ここで告白しよう。

「あ、あの……」

「本当に感謝してるわ! じゃあね」

 ハルヤが何か言いかけたことに気づかずに、ミスミが席を立った。

「お、おい!」

「ごめんね! これからちょっと出掛ける用事があるんだ」

 引き止めるヒマもなく、手を振ってミスミは外へ出ていった。


 部屋からイヤな気配はなくなってみると、ミスミは今まで怯えていたのがバカらしく思えてきた。きっと、新しい環境に慣れずに神経が過敏になっていたのだろう。そんなことを思うようになっていたが、それでも言われた通り夜には鏡を伏せるようにしていた。

 その日の夜も、リビングの棚の上に写真立てを伏せてあった。

「さてと。のびのびになってたからメタちゃんの目を代えてあげないとね」

 そういってドールのメタちゃんことメタトロンちゃんを手に取った。そのとき人形の爪先に引っ掛かって、伏せてあった鏡が落ちそうになった。

「やばっ!」

 慌てて鏡を片手で押さえようとする。棚のふちと手の平で挟まれて写真立てはなんとか落ちないですんだ。棚に置こうと鏡を持ちなおす。かなり強く押さえてしまったがガラスは大丈夫だろうか。

 鏡面には少し焦った表情の自分が映し出されていた。その肩の上で何かが揺らめいている。その揺らめきは少しずつしっかりとした形を取っていくようだった。

 

 それから、少しずつミスミと連絡が取りづらくなった。電話をかけてもつながらなかったし、つながったとしてもなんのかんのと理屈をつけられて早めに切られてしまう。

 彼氏でもない自分があれこれいうのはおかしい気がして、ハルヤはしばらく心配しながらも連絡を控えていた。

しかし、聞いた話によると、ミスミは他の友人ともぬるい音信不通になっているらしい。

 心配になったハルヤは、状況を説明してもらえるまで、しつこくかけ直す覚悟で電話をスマートフォンを手に取った。

「ハルヤ? どうしたの? 久しぶりだね」

 ミスミの言葉はどこか嬉しそうな響きがあった。ハルヤと話せたのが嬉しいのではなく、毎日が幸せで、それが隠しきれていないといった感じの響きが。

「どうしたのって。友達から聞いたよ。大学行ってないんだろ? まだ幽霊が出たのか?」

『え? 別にどうもしないよ。ただ面倒くさいからサボッてるだけ』

 車の走る音や足音が聞こえないから、ミスミは自分の部屋にいるようだ。

「何もないならいいんだけどさ。皆も心配してたぞ」

 後から、ばしゃっと水が跳ねるような音がした。

「どうした? 何か水でも使っているのか?」

『ええ? してないよ』

 ぺしゃっとまた濡れた音がした。

 電話をしているミスミの後で、誰かが濡れた素足で歩き回っているのだ。

「お、おい。後に誰かいるのか?」

『ねえ、ハルヤ』

 質問には答えずに、ミスミは話だした。

『あのね、ハルヤ。今までありがとう』

 ぴしゃ、ぴしゃ、と歩き回る音が続いている。その誰かはゆっくりとミスミに近づいて来ているようだった。

「おい、『ありがとう』っていきなりなんだよ。あの足音はなんだ? 誰かいるのか?」

『私、好きな人ができたの。でも、一緒になることができないから、かけおちすることにしたの』

「かけおち? おまえ何言って……」 

『これでも一時期、あなたのことが好きだったのよ』

 足音の主はミスミのすぐ後で立ち止まったようだった。

 そのとき、聞いたことのない男の声がかすかに笑った。その響きにハルヤば全身の血の気がひくのを感じた。特に変わった所のないかすれた笑いだけど、向こうにいるのは人間ではない。それが本能で分かった。

「おい、そいつからすぐに離れるんだ!」

 しかし、ハルヤの叫びが聞こえていないように穏やかな様子で続けた。

『じゃあね、ハルヤ』

 スマートフォンを握ったまま、ハルヤはミスミの家にむかって走りだした。


 彼女の部屋の前にかけつけると、ハルヤはそのドアを激しく叩いた。しかし返事はなかった。

 ドアノブに手をかけると、カギはかかっておらず簡単に開いた。

 勢いでほとんどつんのめるようにして部屋に転がりこむ。

 部屋の中は静まり返っていた。その静けさで、今までぐちゃぐちゃになっていた頭がスウッと冷えていくのを感じていた。冷静になった頭にじわじわと恐怖が忍び込んでくる。

「おい、ミスミ?」

 玄関から奥に続く廊下に、手の平大の水溜りが点々と続いていた。

「ミスミ?」

 そろそろと、リビングに入り込む。中はキレイに片付けられているものの、家具や食器などはそのままにしてあった。ただ財布やスマホは見当らず、貴重品や服など必要最低限のものだけ持ち出したのかも知れなかった。

 棚の上を見ると、手作りの鏡が消えている。ミスミお気にいりの人形もなくなっていた。

 テーブルの上に、一枚の大きな紙が広げられているのに気がついた。

 その紙にはどこかのサイトから手に入れたらしい人体図が描かれていた。髪のない、男とも女ともつかない人形(ひとがた)に、赤鉛筆で髪と局部が描き足されていた。そして同じ赤で全体が塗りつぶされている。ただ、歯の一本をのぞいて。

 欄外にはメモ書きがあちこちにされており、図から引き出された線で体のパーツと結ばれていた。

『××日、引き出しの中から左腕を見つけた。でも薬指がない』

『××日、天井から左足首が落ちてくる。びっしょり濡れていた。湖か河か、海にでも捨てられていたのかな』

「なんだ……なんだよこれ」

 前の住人は殺されてバラバラにされ捨てられた。

 庵の霊視が頭に浮かぶ。

 血塗れの幽霊。全身が焼けただれた幽霊。ホラー映画や恐怖ドラマでは、そんな物が必ずでてくる。幽霊がそうやって死んだときの姿を引きずって出るのなら、体をバラバラにされた者はどうやって出てくるのだろう? バラバラのまま? バラバラのまま、遠くで殺された奴が、自分の家に化けて戻ってきた?

『××日、とうとう右目を発見! この瞳が見たかった!』

「ミスミ!」

 テーブルの上の紙をひっつかんで、ハルヤはあちこちのドアを開けた。キッチンに続く扉、クローゼット、トイレ。そして風呂場の戸を開けたとき、そのままの姿勢で固まった。

風呂桶のまわりの床にびっしりと、写真立てが伏せられる形で並べられていた。

 その異様な光景に、ハルヤは思わず硬直した。その手から人体図が床にすべり落ちる。紙の裏に、何か文字が書かれているのにハルヤはそこで初めて気がついた。

『××日、鏡をうっかり夜のぞいてしまった。そこで、あの人の瞳を見た。キレイだった。だから、会うことにした』

「会うって……」

 おそらくミスミは、あの手作りの鏡を何かの理由で夜にのぞいてしまったのだろう。夜の鏡は魔の力を強める。ミスミは見てしまったのだ。鏡に映りこんだ前の住民の瞳を。そして、彼に恋をした。

 だから、復活させることにした。

 月の光は幽霊に力を与える。

『小さく無害な浮遊霊でも、こちらが「すごく怖い悪霊じゃないか」と怯えることで本当にそうなってしまうことがある』

 と庵はそういっていた。ならば、「完全な姿に戻ってくれないかな」と思ったら?

 ミスミは部屋に戻ってくる体のカケラを拾い集め、風呂桶の中に入れていった。風呂のまわりに集められた鏡は、夜の間は表にされ、朝には伏せられていたのだろう。カガに力を与えるため。そしてミスミは人形を組み立てるようにカガを組み立てていった。

 さっきの、浮かれたようなミスミの声が蘇る。まるで宝探しのように愛する者の体を探しだし、組み立てる好意というのは幸せな物なのだろうか。

 知らない間に、ハルヤは玄関を見つめていた。カガとミスミが肩を並べてでていったはずの玄関を。

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