第二十四章 契約書

青井がバルコニーでタバコを吸っている間、ひとみはワープロのマニュアル本を手にとって読んでいる。


「ふん、ふん・・・成程。

 F8を押したあと・・・F2と。

 そして、実行キーね」


男が満足そうな顔で部屋に戻ってくると、何やらキーキーと音がしている。

机の上を見ると、紙が印刷されている。


男はハッと気がつくと、慌てて近寄った。

女は紙を取ると、スルリと男をかわして部屋を飛び出していった。

男は机にもたれて叫んでいる。


「おいっ、やめや・・・そ、それぇ・・・」

女は後ろ手に持っていた紙を取り出すと、読み上げた。


「どや・・・中々のもんやろ?

 へえー、やるじゃない。

 ワープロなんて簡単なもんや・・と」


男は紙を取り上げようとしている。

 

「返せ、アホッ・・・」


「いやよ。

 これはプロポーズの契約書よ。

 一生、大事にとっておくの・・・」


女はうれしそうに笑いながら逃げ回っている。

男は真っ赤な顔をして追いかける。


もう少しでつかまりそうになりながら間一髪ですり抜けると、女はベッドのある部屋に逃げ込んでしまった。


男はそこに女を追いつめると、むずがる女を抱きしめた。

そのまま二人はベッドに倒れ込んだ。


女は握っている紙をベッドの棚に置き、男を抱きしめた。

当然のように二人は唇を重ねた。


妖しい時間が流れていく。

女は目を閉じている。


かわいい唇から白い歯をのぞかせている。

今まで心の中でしか言えなかった言葉を、何度も口にしている。


「好き・・・大好き・・・。

 嘘つき・・・イジワル。

 恐かったんだからぁ・・・好き・・・」


男は愛しそうに女を見つめている。

愛していると思った。


口に出して言ってみようか。

でも、さっきから耳元で何度も女に囁かれているので、言い出せなかった。


だから・・・口づけをした。

愛おしく重ねていく。 


そして唇を離すと女の髪をかき上げ、おずおずと言った。


「愛している、ひとみ・・・結婚してくれ」 

女はいっそう強く男を抱きしめた。


「うれしい・・・」

男も更に強く力を返した。


もう何度でも、ささやくつもりだ。

「愛している」と。


新築の木の香りが鼻をくすぐる。

二人は夢の世界をさまよっている。


まだしばらく、このままでいることだろう。


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