第十五章 カラオケボックス
津波が打ち寄せる前に盛り上がるように、バックミュージックの音が大きくなる。
眉をひそませコブシをきかせながら、ひとみがサビの部分を歌っている。
やがてエンディングを低い声で終えると、小さな拍手がぱちぱちと響いた。
「相変わらずうまいわね、天童よしみ。
本当にあんたの趣味って、変わってるわよね」
優子が笑いながらレモンサワーを飲んで言った。
「あら、流行ってるのよ、これ今、高校生に・・・。
あんたこそ、早くやんなさいよ、アムロちゃん」
そう言うと、リモコンを優子に手渡してウーロンハイを飲んだ。
「では、アムロ・・・いきます。」
軽快なリズムとビートをきかしたイントロが流れてきて、大人っぽい顔に似合わない可愛い声で優子は歌い出した。
ひとみは拍手して、ヤジをとばしている。
「ヒューヒュー、いいぞー。
子持ちアイドルー、中年殺しー・・・」
優子は途中吹き出してしまったが、最後まで気持ち良く英語のサビを繰り返している。
「あー、気持ち良かった。
やっぱり歌うとスカッとするわ・・・。
次は何歌うの・・?」
優子に言われて、ひとみはウーロンハイのストローをもてあそびながら言った。
「うん、ちょっと・・・休憩・・・」
ひとみのしぐさに戸惑うような顔をした優子であったが、気を取り直すとレモンハイを一口飲んでひとみの隣に座った。
「ひとみ・・・」
「あっ、優子歌いなよ。
本当、ちょっと疲れただけだから・・・」
可愛い舌をチョロッと出して、ウーロンハイを飲んだ。
だがグラスを置くと「フーッ」とソファーにもたれて、遠くを見るような目で言った。
「疲れちゃった・・・。
待つのって・・・やっぱり、長いよ・・・」
優子は何も言えず、ひとみの手をとって見つめていた。
ひとみは優子の小さな肩に顔をもたれさせて、独り言のようにつぶやいている。
「なんでかなー、
私・・・どうしちゃったんだろう。
あんなに嫌いだったのに・・・。
ロビーなんかでタバコの匂いがすると、
フッと、懐かしくなるの・・・」
目が少し潤んでいる。
「タバコの煙が見えるだけで避けてきたのに。
逆に用もないのにベンチに座っちゃうの。
灰皿の中の吸殻を見てると・・・
不思議に落ち着くの・・・」
「ひとみ・・・」
優子は、そっとひとみの頭を撫でてやった。
いい香りがする。
「タコ焼きのオジサン・・・
ドイツで何やってんだろう・・・。
又、飛行機とか乗り遅れてないかしら・・・」
カラオケ装置のデジタル表示が、く浮き上がっている。
画面では新入荷の曲のタイトル名が流れていた。
「山中さんがいるから大丈夫だろうけど、
おっちょこちょいだから、
失敗してなきゃいいんだけど・・・」
優子は親友の目から涙がこぼれるのを見ると、囁くように言った。
「好き・・・なの・・・?」
ひとみは素直にうなずいた。
涙が二人の手に一粒落ちてきた。
「でも、わかんない・・・。
こんな気持ち初めてなの。
何ていったら、いいのか・・・。
苦しいの、あんなに嫌いだった関西弁も・・・
聞こえないと寂しい・・・の」
優子が強く抱きしめると、ひとみは小さな肩に顔を埋め泣きじゃくった。
「最初は・・・待つの・・・が、うれしかった。
いつか・・・帰ってくるもの・・・。
でも・・・やっぱり・・・寂しいよう。
あ、会いたいよう、う、うえーん・・・」
優子もつられて涙がにじんできた。
田坂が出張の時も、似たような気持ちを抱いたことがあったからだ。
二人はしばらく抱き合ったまま、ひとみの嗚咽を聞いていた。
とても長く感じたような気もしたし、アッという間の気もした。
どう言っていいか、からなかった。
アドバイスなどしようもなかった。
今出来ることは、友が泣き終わるまで抱いてあげる事だけだった。
艶のある黒髪を白い手が撫で上げている。
とにかく、もうすぐである。
明後日には、二人は帰ってくるのである。
それから、どうなるのだろう。
泣きじゃくるひとみを抱きながら涙で濡れた目をモニターに向け、優子は不安そうに見つめている。
8月も終わり間近、夏の夜の事であった。
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