第9話 青年は困っている

 シェフィールド姉さんとのお茶会が終わり、俺は自室にいた。


 誰もいない静かな時間は、先程までの緊張感を無くし、気を楽にする。


 だけど、俺は何とも言い様が無い感覚の靄が胸の内に広がっていた。


「坊ちゃま」


「えっ? あ、アリシアか……なんだ? 授業の時間じゃないと思うんだが……?」


 すると、背後から声がかかる。


 ゆっくりと、振り向くとそこには俺のアリシアメイドが立っていた。


 いつもなら、身体を震わせて驚くものだけど、今の俺にはそれほどの気力は無かった。


「そうですね、魂ここにあらず、という状態だったので、お茶などどうでしょうか?」


「お茶を嗜んだ後で、口直しのお茶とは……俺の腹がお茶でタプタプになるぞ?」


「冗談です」


「……冗談には聞こえなかったんだがね」


「さぁ?」


 だけど、そんな冗談さえも心の安らぎになる。


 胸の中にある靄は晴れそうにない。


 だけど、靄を押し留めようとすることはできた。


「お茶会、どうでしたか?」


「そうだな……よかったものだと思っているよ」


「……どうかなさいましたか?」


「いや……ね」


 何と言えばいいのだろうか?


 俺自身、どんな言葉を選べばいいのか分からない。


 こんなことなら、もう少し本を読むべきであった。


「もしかして、お嬢様についてお考えを?」


「うぐっ……はぁ、まさか、そこまで知っているとはね。なんでわかったの?」


「顔に出ていましたので」


「嘘っ」


 顔に出ていた?


 俺ってもしかして、そんなに感情とか表情に出やすいのかなぁ?


 もし、そうなら、アリシアに『貴族の世界に生きるのならポーカーフェイスの一つや二つ覚えてください』とか言われるのかなぁ?


 俺は別にポーカーフェイス得意なんだけどなぁ、この前、授業にサボった時に下町の酒場でギャンブルをして勝てた事はあるんだけどなぁ。


「嘘ではありません………それと、逃げ出したことについてもう少し追求したいのですが?」


「いやぁ、今日もいい天気だなぁ! 散歩には良い感じじゃないかな!?」


「もうそろそろ、雨が降りそうですが?」


「はは、そんな事言われてもだま(ザバー)……」


 降ったね。急に降ったね。


 冗談かと思って誤魔化してきたけど、急に降ってきた。


 さっきまで空は青かったのに、窓辺に映るのは真っ黒の雲と激しい雨たち。


 まるで、天が俺に逃げ道を無くすように計らっているみたいじゃないか。


 まったく、余計なお世話だよ!!!


「で、先程の逃亡について少しお話を聞かせてくれませんか? 私、その話、聞いていませんが?」


 逃避行をするように、窓から映る雨天の空を眺める。


 だけど、それを許さないかのように天は、一筋の雷を落とす。


 僅かに俺の身の周りを眩しい光が包み込み、カーテンコールの様に辺りを急に暗くする。


「では聞かせて貰いましょうか。坊ちゃま」


 そんな事を思いながら、ガラスの反射から見えるアリシアの顔は尋常じゃない程、怖かった。




 ~ 少々、お待ちください ~




「ごめんなさい」


「今日の宿題の量は倍ですね」


「……はい」


 めちゃくちゃ事情を聞かされ、説教された後、俺は宿題の追加が決定された。


 今でも十分、きついと言うのに、これ以上追加されると考えたら、寝れるかが分からない。


 とはいえ、徹夜をして見れば、アリシアが強制的に寝かせ(物理)に来るし、宿題が終わりそうにない。


 今以上の効率を求めなければ、いつか、俺が死んでしまいそう……。


「大丈夫です、死の淵をさまよっても連れて帰ります」


「悪魔か?」


「いいえ、メイドでございます」


 やだ! こんなメイド!


 俺の知っているメイドはもっと、俺の身を案じてくれるはず!


 なのに、アリシアと言えば、俺の苦しむ顔を見て喜んでいるに決まっている!


「では、少し失礼します」


「え、どうして?」


「少し、用を思い出しましたので」


「……はぁ?」


 すると、アリシアはなぜか部屋から出ていこうとする。


 一体、何しに行くんだろう。


 もしかして、アリシアが用事を済ませる間に、逃げ出せと言う天の思し召しだろうか?


「授業の時間までには戻りますので、静かにお待ちくださいね? 坊ちゃま?」


「あっ、はい」


 そう言って、表情を変えずに出ていくアリシア。


 だけど、その眼は逃げ出したら、許さないと言う畏怖の瞳をしていた。


 これで逃げ出したら、お説教だろうなぁ。

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