最終話 幸せをありがとう

 “残された時間で蛍に思い出を作る”と決めた俺は、思い切って店を10日間閉めることにした。



「残りあと9日もないくらいか……。蛍、何かしたいことはあるか?」


 蛍は俺の急な提案に頭を抱えていたが、何か思いついたのか、パッと顔を上げた。


「なら、またタピオカミルクティーが飲みたいです!」

「お前……。思い出ってそんなのでいいのか!? 他にはないのか!?」

「えっと……、急にそんなことをいわれても……。じゃ、じゃあ、遊園地に行ってみたい……です」


 残された時間を少しも無駄にはしたくない。俺たちはすぐに準備を済ませ、目的の場所へと向かった。



 遊園地に来るなんていつぶりだろうか。蛍も最初は小さい子用の乗り物から乗り始めていたが、最後には超巨大ジェットコースターまで制覇していた。

 俺の手を引き楽しそうに歩く彼女といるうちに俺まで童心に帰ったようになり、二人で時間を忘れてはしゃいだ。



 その後の俺たちは、蛍が望むままに海や映画館、ショッピングモールに行った。もちろんタピオカミルクティーも何杯も飲んだ。


 一日一日があっという間に過ぎていった。

 日が経つにつれ、段々と蛍の体力もなくなっていく。


 その日の晩、蛍は『オムライスが食べたい』と願った。だから俺は、“彼女の体力が戻れ”という思いでそれを目一杯食べさせた。

 満腹になった蛍はソファーに座ったままウトウトとし始めた。隣に座る俺の手を握ったままだったので、俺は蛍を抱きかかえベッドまで連れて行くと、二人でそのまま眠った。

 

 その夜中、俺は視線を感じ目を覚ました。横を見ると、蛍が上半身を起こしてこちらを見つめているのが月明かりで分かった。


「どうした? 眠れないのか?」

「樹さん、最後に行きたい所があります」


 俺は“最後”という言葉に思わず反応してしまった。


「最後か……。で、どこに行きたいんだ?」

「私たちが初めて出会ったあの川辺です」



 次の日の夕方、俺たちはあの川辺に来た。

 まだ日が残っていたのでホタルの光は見えない。とりあえず日が暮れるまでそこに腰掛けて待つことにした。

 二人で横並びに座り、途中で買った飲み物を飲みながら川のせせらぎに耳を傾ける。とても静かな時間だった。


「ホタル見えますかね?」

「どうだろう……。ちょっと時期が早いからなぁ。でも少しは見えるだろう」


 日が落ち夜になった。目を凝らして川の方を見ると、一つ、また一つと淡い光が瞬き始めた。


「私、今幸せです」


 ホタルの淡い光の中、穏やかな顔で蛍はそう呟いた。そこにはもう出会った頃の、全身から冷たい光を放ち人形の様な表情をした彼女の姿はなかった。


 いよいよお別れの時が来たのだと分かり、俺は彼女を抱き寄せる。


「樹さん……。思い出をたくさんありがとう。今度こそ本当にさようなら……」


 そう言い残すと、蛍は俺の腕の中でキラキラとした光を放ちながら消えていった。


 消えゆく彼女を見送っても不思議と涙が出なかった。一緒に思い出作りをすることで、俺も彼女との別れの準備が十分に出来ていたのかもしれない。



◇ ◇ ◇


3年後


「蛍、今年も会いに来たぞ」


 俺はあの日から毎年、ホタルが舞うこの時期になるとこの川辺に来ている。



「ホタルって、誰でもいいからとりあえず相手を探すために光ってるんだっけ?」


 いつの間にか俺のそばに美香が立っていた。


「……違うよ。このたくさんの仲間の中から、たった一匹の運命の相手を見つけるために光ってるんだ」


「あっそ」


 その簡素な言葉とは裏腹に、彼女の顔には柔らかな微笑みが浮かんでいた。


 その時、快活な声が夜の川辺に響いた。


「美香、そろそろ……、あっ、樹さん! ここにいたんすか!? みんな探してましたよ!」

「あっ! あきらくんごめーん! 今行く!」


ーーあきらだ。


 彼は大学卒業と同時にバイトを辞め、今は会社勤めの身だ。この度仕事の休みを利用し、美香の実家へ挨拶に来ていた。


「ほらっ、樹も行くよ。お祝いしてくれるんでしょ? 私とあきらくんのこと」

「はいはい、ご結婚おめでとうございます」


 そう言うと、彼女は満足気な表情で夫になる人の元へと駆けていった。



 去り際、もう一度だけ川辺の方を見ると、一匹のホタルが偶然にも俺の腕に止まった。


「また来年も来るからな」


 そう語りかけると、そのホタルは淡い光を放ちながらたくさんの光の中へと飛び立っていった。




                   完

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冷光の女と優しい男 元 蜜 @motomitsu

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