斗弥生《ケヤキ》最強最悪の女

 キリちゃすは、タクシーの中で目を覚ます。数分だけだが、眠っていたようだ。


 運転席では、タクシーの運転手が半ベソをかいている。キリちゃすは運転手を脅して、車に乗り込んだのだ。


 大金を持ち逃げして正解だった。下手に殺生をすれば、警備がより分厚くなる。これでは、天鐘の元へたどり着けない。


 気が緩んで少し眠った瞬間、目を覚ました。


 彼女を叩き起こしたのは、魔王の咳き込む声である。


『ぐほお!』


 キリちゃすの背中で、魔王がのたうち回る。


「大丈夫なん?」


 キリちゃすが、後ろに呼びかけた。キリちゃす自身にも、強烈な痛みと吐き気が伴う。魔王と感覚を共有しているので、魔王の痛みはキリちゃすの痛みとなって跳ね返ってくる。


「ちょちょちょっと、車の中では勘弁してくださいね! 言うとおりにはしますが……ひいっ!」

「いいから、黙って運転」


 キリちゃすは、運転手にナイフを突きつけた。


「ははひい!」


 自分は涙と鼻水を垂れ流しておきながら、車内を汚すなと。どの口が言うのか。こちらは大金をもたせてやったというのに。


「どうしたん?」

『我が一部が、消滅した!』

「マ? あんだけ自信たっぷりに言っておいて?」


 キリちゃすが苛立った声で言う。


『負けるとは思わなんだ。せいぜい、あの怪物も逃げ切れるかと思っていたのだ』


 緋奈子という同胞に大ケガを負わせて、追跡を中断させる算段だった。


『まさか、倒されるとは。魔王クラスだぞ!? 警察機関だと思ってナメていた。やはりオカルト課は、油断ならん』

「そんなに、警察って強いん?」


 警察なんて、ホラーやアクションだとヤラレ役だと思っていたが。


『オカルト課は、選りすぐりの退魔師をさらに訓練して作り上げた機関だ。我も昔、敗れたことがある。古代より退魔の力が衰えていると思い、侮ったのだ』


 警察官は始末したが、自身も負傷し、活動停止にまで追い込まれた。


「ひいいいい!?」


 運転手が、悲鳴を上げる。


 何事かと前をむくと、一台のセダンが横転しながら突っ込んでくるではないか。


 必死でハンドルを操作して、運転手はセダンを避けきった。


「はっはっはっ」


 難を逃れた運転手が、過呼吸になっている。車体も、わずかに傾いていた。


 タイヤを見ると、左の前輪後輪がパンクしている。このタクシーは、もうダメだ。


 いや、道自体が封鎖されてしまっている。大型のワゴンも観光バスもトレーラーも、猛スピードで突っ込んで玉突き事故に。そこらじゅう、クラクションの音が響き渡る。


「いややわあ、ホンマにいとったやんかぁ」

「ホンマやねえ。やぱり聖奈セイナさんの言う通りやったわ」

「ここで始末しましょかいねー?」


 三人の老婆が、反対車線に乗り上げたタクシーから現れた。

 この玉突き事故は、あのタクシーが原因だったのか。

 大惨事だと言うのに、三人でゲラゲラ談笑していた。


 運転手が、フロントガラスから飛び出している。

 首はありえない方向へ曲がり、息もしていない。


『あれは、弥生の月だろう』

「やるしかないね」


 金を詰めたボストンバッグを、キリちゃすは運転席に放り込む。


「おじさん、ありがと。長生きしたかったら、降りないほうがいいよ」


 運転手に手を振って、キリちゃすはタクシーを降りた。


「回復度合いは?」

『六〇%というところか。この状態で三人相手は厳しい』


 キリちゃすの様子を見て、老婆の一人が鼻を鳴らす。


「いややわあ。このコ、勝つ気でおるわ」


 老婆が、手で空気をかいた。


 運転手が逃げて無人となったトレーラーが、キリちゃすに突っ込んでくる。

 


~~~~~ ~~~~~ ~~~~~ ~~~~~

 


 斗弥生ケヤキ 尚純ナオズミは、朝からヤケ酒が止まらなかった。結局百人の精鋭を雇っても、キリちゃすを仕留め損なったのだ。


 天鐘テンショウの命が危ない。厄介者とはいえ、血の繋がった肉親である。


 たしかに、不祥事を働いたのは息子の天鐘だ。

 彼は尚純が守ってきた『弥生の月』を、滅亡の危機にまで陥れた。

 親子でなければ、破門にしているところである。


「相変わらず、お酒がやめられないのね」


 尚純をバカにしたような口調で、女性が尚純のオフィスに入ってきた。


「どのツラ下げて帰ってきた、聖奈セイナ。何しに来やがった!?」

「着替えを取りに来たのよ。悪いの?」


 長女の聖奈が、自室へ向かう。この部屋には、聖奈用のクローゼットがある。そこで、聖奈は水色の着物に着替えた。


 天鐘を「無能な怠け者」と形容するなら、聖奈は「無能な働き者」である。


 弟である天鐘よりタチが悪く、一一年前の「事故」の責任を取らせて破門にしたのだ。


 その厄介者が、またノコノコと帰ってきた。


「てめえ、自衛隊まで動かしやがって! 勝手なことすんじゃねえ!」

「は~あ?」


 顔をニヤけさせながら、聖奈は尚純をコケにするような反応を示す。


「何よ、その言い方? 弟を助けるために、帰ってきたんでしょうが? 私の手助けはいらないわけ? それに弟の逃走を手助けしたのは、私なんですけど?」

「国に詫びをいれに行くのは、俺なんだぞ!」

「あっそ」


 ダメだ。こいつは、自分のやったことをわかっていない。


「……お前のせいで、どれだけの工作員が死んだと思ってるんだ?」


 聖奈は争いを好まず、自ら血を流すタイプではなかった。

 利用できるものは何でも利用し、自分は直接手を下さない。


 スラッシャーを操る能力も、聖奈がもっとも強いのである。


「一一年前、お前が勝手に発案した作戦で、オカルト課の警官がひとり死んでいる。もみ消すのに、どれだけの時間を要したかわかったんのか!? テメエが『魔王を操れる』なんて大ボラふくから、こんなことになったんだぞ!」


 この事件のせいで、斗弥生一族は退魔師協会の一線を退く羽目になった。警察官を殺害した上に、財産や兵隊の三分の二を失っている。


「私のせいじゃないわ。運が悪かったのよ」


 元凶の聖奈は、悪びれない。


 本当なら、魔王の不始末はこの女にさせるべきなのだ。

 しかし、あてにならない。

 魔王を呼び出したときも、必要な手順を省略して不完全体を呼ぶような人物だ。

 後始末も同じことに鳴るだろう。


「歌で人々を幸せにする」ことができると、聖奈は本気で思っていた。

 亡き妻がそうであったように、自分も歌が人を癒やすと考えているのだ。

 あれは妻が努力家で最高のエンターティナーだったから、成し得たことなのに。

 何の努力もしないで、才能だけでのし上がれると聖奈は思い上がってい

る。


 尚純の面倒くさがる悪いところを、聖奈はすべて継承してしまった。

 妻の優しさまで、裏目に出て引き継いで。


 どうして、こんな邪悪な女が生まれてしまったのか。


「お父さんだって、反対しなかったじゃん。私の魔力なら、魔王を制御できるはずだって。それとも、私が死ねばよかった?」


 核心を突かれ、尚純は反論できない。まったくそのとおりだったからだ。


 あわよくば、聖奈を事故死で処理できればと思ったのである。


 結局、聖奈は破門という体で追放した。

 偽の記憶を植え付けてまで、どうにか斗弥生の邪魔にならない程度に仕事をさせてきたのである。

 しかし今は、完全に元の聖奈に戻ってしまった。

 魔王が活性化したせいで。


「ま、見ていなさいよ。もうすぐ相手のシッポを掴めるから」


 壁の大モニターには、高速道路で孤立したキリちゃすが映っている。


 立ち向かうのは三人の老婆だ。『元老院』まで引っ張り出してくるとは。


 聖奈は口角を上げながら、モニターの様子を伺っていた。


 しかし、すぐ聖奈の表情は曇る。


 キリちゃすが、女子高生が運転するバイクに連れ去られていったからだ。

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