思い出

「フー、フーッ!」


 息を荒くしながら、緋奈子ヒナコが、オレの鎖骨あたりに牙を突き立てた。完全に、理性を失っている。


「落ち着けって!」


 どうにか引き剥がそうとするが、オレの腕はあっさりと解かれる。


 緋奈子の鋭い牙が、オレの胸に突き刺さる。


「痛ってぇ!」


 オレの首から肩にかけて傷が付き、血が流れた。


 うまそうに、緋奈子がオレの血を舐め回す。まるで、発情期を迎えた動物のようだ。


 傷口が熱い。強く噛みやがって。肉まで食らいそうだ。


 魔力が削がれていくのがわかる。傷を介して、緋奈子がオレの魔力を吸っているんだ。力がゴソッと抜けていく。


 それでも、オレは緋奈子を責めなかった。


 オレは、彼女の正体を知ってしまったから。



~~~~~ ~~~~~ ~~~~~ ~~~~~ 

  


 ガキの頃から、オレは怪異に好かれる体質である。


 小学校の頃はトイレの花子さんに口説かれ、口裂け女に追いかけ回され、八尺様に誘拐されそうになった。

 中学の頃は、女型の人体模型に貞操を奪われかけた記憶がある。

 高校では、女子高生の地縛霊がオレと出会って自殺を後悔するほどだった。


 特異体質の反動か、逆に生身には相手にされない。

 オレがよく行く食堂で働く弓月ユズキちゃんだって、「頼れる兄」と見ている。異性としては、意識していないだろう。


 二次元を好きになったのも、こういう経緯からである。

 画面から出てこないなら、こちらが一方的に愛せるし、危害も加えられない。


 極めつけは、狐の妖怪になつかれた時だ。

 たしか、小学校に上がる前だったか。


 神社で遊んでいたら、ハダカの幼い少女に連れられて、川で水遊びをしたっけ。

 二人ともハダカで。そのコには、狐の耳とシッポが生えていた。

 狐の化身らしい。

 そんなことが気にならないくらい、彼女は魅力的だった。

 お嫁さんにしたいと、子どもながらに思うくらいには。


 だが、川にスラッシャーが現れる。オレか狐っ娘の魔力を食おうとしたのだ。狐っ娘はオレをかばって、背中をバッサリと斬られてしまう。


 とはいえ狐のほうが強く、スラッシャーは倒せた。しかし、狐っ娘のダメージは深い。姿も人間ではなく、本来の狐に戻ってしまった。


 元の世界で治療するので、もう会えないと狐はいう。


「もっと強くなって、スラッシャーを一人で倒せる力を手に入れる。そのときに、迎えに行くから」


 オレは、狐にそう約束した。


 花子さんも人体模型も地縛霊も袖にしたのは、彼女との約束があったから。


 ガキみたいな約束だが、大切だったんだ。



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 その時の狐っ娘が、緋奈子だ。

 背中の傷でわかった。

 どうして、思い出せなかったのか。


 魔力を吸われすぎて、視界がぼやけてきた。


「緋奈子、アンタだったんだな」


 有名な児童文学のようなセリフだなと、オレは自分で言って吹き出す。


 彼女は、やたらとオレにハダカを見せつけてきた。オレの方が恥じらってしまうほどに。


 とはいえ、オレは緋奈子に欲情しない。


 オレが緋奈子の全裸を見ても興奮しなかったのも、その思い出があったからだろう。


 肉欲より、愛情のほうが勝ったのだ。


「緋奈子。心配させて済まねえ。オレもまだまだだな」


 オレの腕の中で、緋奈子はまだ吠えている。


 噛みつきがだんだんと、甘噛みへ変わっていく。手の爪なども引いていった。頭の耳も、徐々に縮んでいく。


「カ、オル?」


 やがて、緋奈子が落ち着きを取り戻す。


「おう、意識が戻ったか?」


 緋奈子とオレと目が合う。


 オレに馬乗りになったまま、緋奈子は呆然としていた。

 しばらくして、自分が丸裸だと気づく。

 オレから身体をどかし、身体を腕で隠す。


「血が!? ワタシはあなたに、なにかひどいことをしましたね?」


 ようやく、緋奈子は自分の手や顔が血まみれだと気づく。

 自分のしたことに驚き、愕然としていた。


「いいって。ほら」


 ハンカチを緋奈子に渡し、オレは半身を起こす。


 オレの顔と傷口を見て、緋奈子はオレに手をかざした。治癒魔法を施す。


「ワタシたちのような人外の存在は、戦闘を行うと魔力を著しく消耗します。きっと、補給行為だったのでしょう。とはいえ、あなたをエサにしてしまうとは」


 傷口が塞がっていった。傷跡は残って元通りとはいかなかったが、血は止まっている。緋奈子につけられた傷なら、問題ない。


 その後、緋奈子は自分の口を拭う。


「ご、ごめんなさい。ワタシはなんてことを」


 緋奈子が自分を責める。口だけでなく、目元まで拭って。


「あなたの体力まで奪ってしまったみたいですね。あと数分噛み続けていたら、ワタシはあなたを殺していたかもしれない!」


 顔を手で覆いながら、緋奈子は呼吸を荒くした。時々、嗚咽を漏らす。


「落ち着けって。気にするな」


 オレは、緋奈子の肩にジャケットを着せる。


「立てるか?」

「はい。でも、あなたこそ」


 たしかに、オレの方がよろけているな。だが、病院の厄介になるくらいじゃない。


「それより、もうすぐ警察が来る」


 サイレンが、遠くで聞こえてきた。


「報告しないと。一旦、戻ろうぜ」



 別荘に戻ると、大勢の警察が集まっている。


 当然、戦闘ヘリや後藤ゴトウの死骸も調べていた。


 オレは現場検証だ。


 空が青くなってきた。夜明けも近い。


「妖怪大戦争じゃないんですから、青嶋アオシマ先輩。オカルト課って大変なんですねぇ」


 トレントの残骸を見ながら、福本フクモトがため息をつく。


「オレだって、こんなのはレア中のレアな体験だ。毎回こんなんじゃないさ」


 いつもこんな調子だったら、それこそオレは『七和ナナワ署のゴーストバスターズ』呼ばわりである。


 ちなみに緋奈子がつけたオレのケガは、「トレントに化けた後藤につけられたもの」として処理した。

 その方が、誰も傷つかない。


 緋奈子は、ワゴンのトランクに座っている。ワゴンの中で着替えを済ませ、今はスウェット姿だ。


 女性警官が、紙コップを緋奈子に渡す。


「ミルクとお砂糖をご用意しましょうか?」


 お店で見るような魔法瓶型のケトルを持ちながら、女性警官が緋奈子に問いかけた。


「では、ミルクだけください。甘いものは具合が悪くなってしまうので」

「承知しました。どうぞ」


 笑顔を見せながら、女性警官は紙コップにブラックコーヒーを注ぐ。


「いただきます」


 ミルクを入れてから、緋奈子は紙コップのコーヒーをすする。


「緋奈子、大丈夫か?」


 オレは、緋奈子の隣に座った。


「平気です」

「また、消耗したりは」

「普段は手袋や髪留めで、魔力を抑えています。問題はありません。人間になるのだって、パワーセーブのためですから」


 昔は人の型を取るほうが大変だったが、慣れたらしい。


 か細い声で、緋奈子は「ごめんなさい」とつぶやく。


「跡が残ってしまいました」

「いいんだよ。こんな傷、どうってことない」

「ありがとう、カオル」


 緋奈子は、オレによりかかる。


 オレは、緋奈子の肩を抱いた。


「あーそのーコホン。若いお二人さん?」


 わざとらしい咳をしながら、こちらへ向かってくる足音が。

 千石センゴク署長だ。

 杖を突きながら、署長が足を引きずってオレたちの元へ。

 千石さんは、左足が義足だ。足が悪いのに、こんなところまでわざわざ来るなんて。



「どうしたんです、千石署長……?」

「そういうのはさ、ボクたちに見えないところでやってもらえないかな?」

「何を言って……!?」


 不思議に思って、オレは正面を向いた。


 いつの間にか、オレは大勢の警官の視線に囲まれている。盛り上がりすぎて、オレたちは二人だけの世界に入ってイチャついていたのだった。


 オレは、緋奈子と距離を取る。

 いつの間にか、カップルのガチ恋な距離感になってしまっていたとは。


「せっかくさぁ、とっておきの情報が手に入ったのに」

「なんです?」


 署長は、一呼吸置いて告げる。



「キリちゃすの『彼氏』の正体がわかったよ」

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