29:元通り、一件落着?

 ノックをして扉の隙間からリゼが顔を覗かせたときには、わたしたちはすっかり元通りになっていた。


 元に戻った直後、ミハイル様は案の定、気を失ってしまったけれど、わたしはすぐに自分の膝の上で眠るミハイル様のお身体を揺すって起こして差し上げた。


 そうして互いの身に起きた不可思議な出来事について感想を述べ、男の身体とは、女の身体とは、どのような感覚であったかを熱く語り合う……、なんてことは当然なくて、互いに最初とは反対の椅子に掛け直し、気まずい思いを抱えてジッと座っていたのだった。


「どうなのです? 元に戻られたのですか?」

「ああ、それは問題ない」


 そう言ってリゼの問いに答えたのはミハイル様だ。

 ミハイル様の姿のミハイル様。

 当たり前のことなのに、なんだかそれが凄く尊く、納まりよく感じる。


 その返事を聞いたリゼはホッと息を吐き、部屋の外からお父様を呼び寄せた。

 そうして手際よくしているリゼを見て、わたしはまた安心の度合いを強くする。


 きっと、リゼにはかなり助けられているのだろうなと思う。

 昨夜わたしが屋敷の裏口で見かけた正体不明の人影──リゼに無理矢理屋敷の中に連れ戻されていた人物──、あれはわたしの姿になったミハイル様だったに違いない。

 とにもかくにも、どうにかこうにか、わたしは元通りアシュリーとして屋敷に帰ってくることができたのだ。

 そのことだけでわたしは全てをやり遂げたような達成感に浸りきっていた。

 安心し過ぎて、さっき目が覚めたばかりだというのに凄く眠くなってきた。


 お父様と、ミハイル様、それにリゼが混じって交わされる会話を、わたしはそんな迂闊うかつ微睡まどろみの中で聞いていた。


「──よろしいですよね? お嬢様……、アシュリー様?」

「聞いているのか、アシュリー。ちゃんとお前の口から聞きたいのだ」


「えっ? は、はい」

「……よし、決まりだ。リゼ、くれぐれも後のことはよろしく頼んだぞ。取り決めたことは全て紙に書いて残しておくように」


 お父様は少しためらいがちにしながらも、半分は自分自身をそうやって納得させるように宣言し、忙しなく部屋を出て行った。

 今日は王宮からお呼びがかかっており、これから出頭しなければならないそうだ。

 ヒーストン家に騎士団の訪問があったことはまだ周囲に知られぬようにと、お父様に向かってミハイル様が釘を刺しておられた。


 改めて、部屋には事情を知る三人だけが残される。


「申し訳ございません。こんなときですのに、わたくし、凄く眠くなってしまいまして」

「いや、すまない。その責は私にもある。なにしろ昨夜はほとんど一睡もできなかったものだから」


 ああ、それでこの身体はこんなにも眠りを欲しているのか。

 だけど、だからといって残りは後日、と言うわけにはいかなかった。

 わたしからの事情説明なしには、もはや何も始まらない状況だ。


 わたしは眠気をこらえて、自分の身に起きた不思議な出来事──鏡の中の悪魔が語った呪い──について説明を始めた。

 リカルド王子と入れ替わった経緯などは、わたしにとって気恥ずかしい事柄も含んではいるけれど、すでに半ば以上知られてしまっているのだから、いまさらためらっても仕方なかった。


 昨夜のうちにその可能性に思い至っていたこともあって、ミハイル様とリゼの方は、わたしが説明した鏡の悪魔による非常識な呪いについて、とにかくと納得したようだった。

 どれほど不思議なことであっても、その身をもって体験した以上、信じる以外にない。

 そうでなければ、自分たちの気が触れてしまったと思うかのどちらかだ。

 それからわたしは、長椅子の上にずっと置きっぱなしにしていたルギスのあの小箱を取り上げ、中身についての説明を始めた。

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