23:二度目の夕食

 それから数分後。

 わたしは何故か、顔も名前も知らない男の人たち三人と、本日二度目の夕食の卓を囲んでいた。


 好機を逸して溜息をついているわたしが、よほど落胆して見えたのだろう。

 これは気落ちした騎士団長を、部下の皆が励ますために設けられた晩餐会ばんさんかいなのだ。

 そういうカコツケの夕食らしい。

 わたしは三人に引き摺られるようにし、半ば自棄やけになりながら愛する自宅を離れ、どこか見知らぬ場所に連れてこられていた。


「ヒーストン伯爵家の内偵だったのでしょう? そんな用事なら何も団長自ら動かずとも、我らにご命令くだされば良かったのに」


 赤みがかった茶色の長髪を綺麗に結った男の人が、テーブルの上の料理や飲み物を丁寧に並べ直しながらそう言った。

 気軽に食事に誘えるくらいの仲らしいけど、目の前にいるミハイル団長の中身がわたしに代わっていることには気付いてる様子がない。


 それも当然か。

 多少言動がおかしくったって、普通そんな発想をするはずがないもの。

 わたしだって、今でも信じられない。

 自分がミハイル団長として彼の部下の人たちと食卓を囲んでいるなんて。

 彼らにとっては当たり前の日常でも、伯爵令嬢のアシュリーにとっては絶対に覗き見ることのなかった男の人たちの世界だ。


 誘われたのは、庶民のかたも利用する酒場のような場所だった。

 ううん、いいえ、どちらかと言うと、場にそぐわないのは、わたしミハイル様も含めた騎士団の皆の方ね。

 庶民の皆さんの中にわたしたちがお邪魔している感じ。

 すでにへべれけに酔っぱらった人もいて非常に騒々し──いや、とてもにぎやかな所だ。

 当然ながら、こんな場所を訪れるのは始めてのことなので、わたしには見るもの全てが新鮮だった。

 隣のテーブルの集団はどんな職業の人たちなのかだとか、今運ばれてきたこの料理の材料は何なのかだとか、そんな疑問が次々と浮かぶ。

 けれど、馴染み客らしいミハイル様がそんな質問をするわけにもいかないので、わたしは何でもないふうを装い、黙って待っていた。

 今にも音が鳴りそうな空腹のお腹を押さえて。


 そう。わたしの感覚では夕食はついさっき、しっかりといただいた後だったのに、このミハイル様のお身体はすっかり腹ぺこなのだった。

 ヴィタリスの身体とミハイル様の身体は別だということは頭では分かるんだけど、食べても食べてもまだ食べたくなるなんて、自分がとんでもない食いしん坊になってしまったように感じてしまう。


 大きなお皿に乗せて運ばれてくる料理は、屋敷の食卓や晩餐のパーティに出てくるものとはまるで違っていた。

 どんな味なのかも分からない料理ばかりなのに、食欲を刺激するその香りや熱々の湯気が、わたしを盛んに誘惑してくる。


 お腹すいたー。

 何でもいいから早く食べたい。

 元に戻る方法とかとりあえず置いといて、今はとにかくお腹を落ち着けなくっちゃ。

 運ばれてきたってことはもう手を付けていいの?

 お祈りは誰が合図するのかしら?


「何に乾杯する?」


 金色の髪を短く刈りそろえた、少年のようにハツラツとした見た目の男の人が、手にジョッキを持ちながら皆の顔を見回す。

 彼だけは名前が分かる。

 他の二人からノインと呼ばれていた。

 さっき、わたしの肩をつかんで引き留めた子だ。


「そうだな……。ミハイル団長の新たな挑戦に。ってのはどうだ?」


 そう言った彼は細く鋭い目元が印象的だ。

 髪は金髪だけど色が薄く、光の加減によっては白髪か銀髪のようにも見える。


 うーん。ミハイル様は言うまでもないけど、こうして見ると騎士団の人たちって、みんな眉目秀麗なのよねぇ。

 入団資格に、容姿が整っていること、なんて条件があったりするのかしら?


 ……ん?

 いや、待って。

 そんなことよりも、ミハイル団長の新たな挑戦って何?

 わたしが何か答えないといけないの?


 わたしのイメージのミハイル様は寡黙で、余計なおしゃべりをしない人だったので、わたしもここに来るまでほとんどしゃべっていなかった。

 わたしが黙っていても他の三人が勝手に考えて、次にどうすべきか身振りや言葉で促してくれていた。

 沢山話せばきっとわたしはボロを出してしまうし、ミハイル様になりきる意味でも黙っている方が賢いと思ったのだ。


「……あれ? ってことは団長、あの噂は本当だったんですか?」


 わたしが反応できずに黙っているのをどういう意味で受け取ったのか、優雅な赤髪の彼が声のトーンを上げた。

 ミハイル様であるわたしの顔を覗き込むようにするので、わたしは「う、うーむ」などと曖昧あいまいに応えて受け流す。


「おい、エッガース。そうやって、団長をあまりからかうと今度の合同練習でシゴかれるぞ?」

「馬鹿言うな。最初に言い出したのはシュルツだっただろ?」


 はい、お名前いただきました。

 赤髪の彼がエッガースさんで、銀髪の彼がシュルツさんね。


「なになに? さっきから何の話? 分かってないの俺だけかよー?」


 大丈夫、ノイン君。

 わたしも分かってないから。


 それよりまだお食事いただいちゃ駄目なのかしら?

 せっかく熱々でおいしそうなのに冷めてしまうわ。


 他の三人がなかなかフォークを手に取ろうとしないのを見て、わたしもひとまず飲み物が注がれた大ぶりのジョッキに指をかけてならった。


「まさか知らないのか? 団長が、あのアシュリー嬢に熱を上げてるって話だよ」


 ……え?

 ……わたし? わたしの話、されてる?


「アシュリー嬢って、あのヒーストン家の? いや、だって、彼女はリカルド王子の……あっ、そうか!」

「そうそう。これまでは絶対に叶わぬ秘めた恋だったのが、こないだの、まさかの一件で急に団長にも芽が出て来たって話だよ」


 ちょっ、ちょっとー?

 ミハイル様?

 全然秘められてないんですけど?

 貴方の想い、部下の皆さんにも筒抜けになっていますわよ?


 顔が熱いわ……。

 いじられているのはミハイル様なのに、正体を隠して話を聞いているわたしの方が無性に恥ずかしい気持ちにさせられるなんてどんな罰なの⁉


「馬鹿なことを言うな!って、かわされると思ったのに、存外……、まんざらでもなさそうだったしなぁ」


 シュルツさんが控え目に口元で笑う。

 あ、そうか。半分はわたしのせいなんだ。

 何も分からないまま曖昧にうなずいた少し前のわたしのせいだ。 


「あ、そうか。だからあの時あの場所に」

「そうだぞ、ノイン。団長の恋路を邪魔したんだ。万死に値する失態だ」


「す、すみません。団長。絶対取り返しますから。俺、二人の仲が上手くいくように何でもお手伝いしますよ」


 ノイン君がすまなさそうに手を合わせるのを、わたしは複雑な思いで眺めた。

 さすがに何か言わなきゃいけない雰囲気だけどぉ……。


 グゥ~……


 口で何かを言う代わりに、ミハイル様のお腹が大きく鳴った。

 このお店の喧騒けんそうの中でもはっきりと聞こえちゃうくらいに大きな音で。

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