12:ミハイル様のご訪問

 できますとも。さあさ、どうぞどうぞ。

 と言って気安く招き入れられるほど、簡単な仕事ではなかったけれど、手詰まりだったわたしには、その申し出を断る選択肢はなかった。


 王国騎士団が味方となってくれるなら、またとない援軍じゃない?

 善は急げと、わたしはミハイル様と一緒に屋敷へと取って返し、使用人用の出入口からこっそりとミハイル様を屋敷の中にお通しした。

 自分でお客様を案内したことなどなかったので、自分の部屋の前まで来たところでハタと立ち止まる。


 もしや、普通は客間の方にお通しすべきものなのでは?

 だけど、そんなふうに迷っているうちに、廊下の先、その客間の方向から、お父様と誰か別の人の話し声が聞こえてきた。

 しかも話し声はこちらの方へと近づいてくる。


 ヤバイヤバイ……!


 わたしは急いでドアを開け、ミハイル様を中へと招き入れた。

 そっとドアを閉じて内鍵を掛ける。

 振り返って部屋の奥へ行こうとすると、そこで立ち止まっていたミハイル様の背中にぶつかってしまう。


「あ、すみませ──」


 ん?

 わたしにぶつかられたというのにミハイル様の反応がない。

 全く動かないドッシリとしたお背中は、大きな壁か柱のよう……。


 横から回り込んで見上げると、そこには険しい表情で固まったミハイル様のお顔があった。

 これまた見たこともない表情。

 その固い表情の中には、驚き、とか、困惑、といった感情が含まれているのが読み取れた。

 一体何をそんなに驚いているのだろう、とミハイル様が見ている視線の先を追いかけると、そこにはベッドの上で無防備に寝転ぶわたし──アシュリーの姿があった。


「リゼ殿。ここは……、アシュリー様の、ご寝所しんじょ、ではないのか?」


 見開いた目と視線はそのままに、ミハイル様がようやく声を絞り出す。


 そうでございますとも、寝所です。

 気付いたなら見ないでー!


「も、申し訳ありません。うっかりしました。少し外へ……、いえ、ちょっと後ろを向いていていただけますか?」

「あ、ああ、すまん……」


 わたしは慌ててミハイル様の身体を回れ右させるように押しやって、入口のドアと対面させた。


「慌てていて頭が回らなかったのです。忘れてください。今、整えますので」

「お休み中ではないのか? アシュリー様は」


「い、いい、今、今起こします!」


 最悪だー。

 騎士団長様にわたしのこんなだらしない姿を見られてしまうなんて。

 それに、真昼間から寝惚ねぼけている自堕落な女だと思われてしまったに違いない。

 一生の不覚!

 こんなことなら、自分の身なりをしっかり整えてから外出するのだった。

 謹慎中の自分に来客などあり得ないと言い、リゼの小言を相手にしなかった過去の自分を引っ叩いてやりたかった。

 一応、苦しくないように寝相を整えて寝かせ直してはいたけれど、せめて……、せめて上にシーツぐらいは掛けておくのだったわ……!

 とにもかくにも元に戻らなくちゃ。

 わたしは依然暢気のんきに寝こけている自分の顔を覗き込む。


 えっとお?

 このまま元に戻って大丈夫かしら?


 チラリと入口に向かって立つミハイル様の後ろ姿を確かめる。

 大丈夫。チャッとやってチャッと戻ればきっと気付かれないはず。

 前回のリカルド様のときと同じなら、リゼも一旦意識を失って倒れ込むはずだけど……。


「やはり出直そう。アシュリー様も気まずい思いをされるに違いない」


 ミハイル様の落ち着かないご様子の声がドアに反響して届く。


「いいえ! 今すぐ参りますので。そこにいてください。あと、絶対こちらを見ないで!」


 リゼのわたしは、寝ているわたしの身体をまたぐようにしてベッドの上に飛び乗った。

 真上から、真正面に見る自分の寝顔。


 うわー。やっぱりなんだか、いかがわしい気持ちになるわ。

 こんな無防備な自分の寝込みを襲うだなんて。


 でも、ゆっくりなんてしていられない。

 意を決し、リゼのわたしはアシュリーのわたしの顔を両手で支え、その唇を奪った。


「!」


 上からぐらりと倒れ込んでくるリゼの身体をとっさに受け止める。

 そのままそれを横にうっちゃって横に寝かせる。

 我ながらナイスな反射神経。

 に戻ったわたしは、手の甲で唇をぬぐいながらベッドを抜け出した。

 鏡を見て髪を整え、部屋の中央に置かれたテーブルへ。

 その上に置かれたままの朝食──かじり掛けのハムエッグを見てギョッとする。

 わたしは、それをトレーごと鏡面台の方に運んで片付けた見えなくした

 背もたれに掛かっていたカーディガンを申し訳程度に羽織って椅子に座る。


「よろしいです。ミハイル様」


 全然よろしくはなかったけど仕方がない。

 後ろから声を掛けられ、おそるおそる振り向くミハイル様。

 椅子に腰掛けたわたしの姿に気が付くと、再び驚きの表情を浮かべた。

 その視線がベッドの上と、こちらとを行き来する。


「……リゼ殿は、どうされたのですか?」

「え、ええ。少し疲れたようなので休ませました」


 我ながら自分の作った笑顔がひきつっているのが分かる。


「アシュリー様のご寝台のようですが?」

「ええ。仲がいいの、わたしたち」


 分かってる。無理筋なのは。

 けど、ここは無理矢理にでも押し徹すしかないのよ。

 わたしは自分にできる最高の笑顔を作って身振りで促す。

 ミハイル様は盛んに頭を掻きながら、それでもやむなくといったていで近づいてきて、テーブルを挟み、わたしと対面する椅子に腰を下ろした。


 緊張して頭を触るのはミハイル様の癖なのかしら、とわたしは思う。

 黒くつややかな御髪おぐしが乱れてしまっているわ。


 そうやって落ち着かなげにするミハイル様のご様子を見ていると、わたしの方はなんだか逆に落ち着いてきた。

 どう考えても狼狽うろたえるべきはわたしの方なんだけど、こういうときはんで掛かった者勝ちよ。


「あの……、申し訳ございません、アシュリー様。お休み中のところ、突然押し掛けまして。えぇ……、お初に、お目にかかります」

「はじめまして、ミハイル様。でも、宮中でお姿はよくお見かけしておりましたわ」


 はっきりと目が合うと、ミハイル様の方が先に目を逸らした。


 よし、勝ったわ。


 わたしは物心ついた頃からずっと、鏡の前で繰り返してきた令嬢スマイルの練習の成果に感謝した。


「そ、そうでしたか。それは、挨拶もなく、失礼を……」


 ミハイル様は視線を所在なく彷徨さまよわせながらも、どうにか自分が取るべき体裁を見出し、気持ちを落ち着けつつあるようだった。

 実際はアポイントもなく、突然若い女性の寝所に押しかけ、しかもその寝起きの女性と二人きりで対面する、という非常識のオンパレードともいうべき状況なのだけど。

 当のわたしがその無作法を指摘しないのだから、問題はない、はずよね……?


「ヴィタリスの……、メフィメレス家のことでございましょう?」


 わたしがそう言うと、ミハイル様の顔が一瞬で引き締まる。

 わたしの顔を正面から見据えるそのお顔は、紛れもなく、次代の王国を担う若き王国騎士団長たる鋭い相貌だった。


「事情を察していただき助かります」

「単刀直入に参りましょう。騎士団はどちらの味方なのですか?」

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