王宮に潜入しよう……どうやって?

09:お嬢様のお戯れ

 あれから三日後。

 王宮では信じられないような出来事がいろいろあったけど、その割に、わたしを取り巻く状況にはほとんど変化がなかった。

 それは、皆の前でリカルド様から婚約破棄を言い渡され、さらには敵国との密通の疑いが晴れるまで謹慎を言い渡された境遇に、何も変化はない、という意味でだけど。


 王宮で倒れたこともあって、屋敷に帰るとお父様はわたしを自室に押し込め、一歩も外に出そうとしなかった。

 わたしはベッドの中でふさぎ込み、この身の不遇を嘆いてみたけれど、丸二日もすると薄幸のヒロインの身に浸ることにも飽きてしまう。


 あのときのことを思い返して、冷静に考えれば考えるほどに怒りが湧き、このまま引き下がることが耐えられなくなってきていた。

 わたし自身がどうなりたいというよりも、あのヴィタリスに対してだ。

 本心では騎士団長のミハイル様を慕っておきながら、リカルド様に色目を使うなんて許せない。

 そんなの、リカルド様があまりにお可哀そうだわ。

 なんとかしてヴィタリスの悪事を暴き、二人が結ばれるのを邪魔してやれないだろうか。


 でも、そこから先を考えると、今のわたしではどうすることもできない境遇を思い知るのだった。

 もともとからして、わたしはただの十六の小娘だ。

 リカルド王子に見初めてもらえたからこそ、ある程度自由に王宮への出入りも許されていたが、そうでなければ伯爵家の令嬢に過ぎないわたしが、あちこちに出歩いて探りを入れることなどできはしない。

 ましてや今は謹慎中の身だ。

 王宮はおろか、この屋敷の外にすら出してはもらえないだろう。


 すべてお父様に話してお頼りする──そのことも考えないではないけれど、謁見の間で、お父様がわたしに見せた悲しげな表情を、わたしは忘れることができなかった。


 わたしが敵国と密通したという嫌疑。

 それは明らかに取って付けた言い掛かりだったけど、あの場であれ以上不服を申し立てていれば、嫌疑はわたしだけでなく、このヒーストン家にも及んだはず。

 タッサ王からそういう脅し付けを受けて、お父様は引き下がるしかなかったのだ。


「お嬢様? 少しはお召し上がりください」


 朝からテーブルの上に置きっぱなしになっている食事を見て、メイドのリゼが言った。

 わたしは目をこすりながら、今日初めてベッドから下り、床に足をつけた。


「あら、まあ。まだお顔も洗っておいでではなかったのですか?」

「身支度を整えたって、どうせどこにも行けないのでしょう?」


 わたしは汲み置きの水で顔を洗い、タオルで拭いて水気を払う。


「いけません。お嬢様。王国一と謳われる美貌が台無しでございますよ? いつ如何なるときに、どのような来客があるか分からないのですから」

「謹慎中の伯爵令嬢のところになんて、誰も来ないわよ」


 そう言いながら、わたしはリゼの立ち姿を眺めた。

 この子はいつ如何なるときも身綺麗にしているな、と思う。

 メイドが清潔であることは主人にとっても望ましいことではあるけれど、このリゼというメイドは、使用人の格好をしていても妙に華があるように見える。

 お父様もその見た目を気に入ってか、他家への手紙を出す際は、好んでこの娘を遣いに出している節があった。

 王子以外の人とほとんど繋がりのない世間知らずのわたしなどより、よほどあちこちに顔が利くのではないか。

 歳は確か、わたしよりも四つか五つばかり上のはず。


「……リゼ。ちょっとこっちにいらっしゃい」

「はぁ……。何でございましょう?」


 特にそういう確信があってしたことではなかった。

 ただ、狭い部屋にずっと閉じ込められて、暇を持て余して、他にすることもなかったから……、ものは試しにというぐらいの思い付きだった。


「いい? これからわたしがすることは、絶対誰にもしゃべっちゃ駄目よ?」

「お嬢様……?」


 わたしは立ち上がり、両腕をリゼの肩に置いて、そしてそのまま首の後ろに絡めた。

 スゥっと息を肺に溜め、顔を傾け、リゼの口に寄せる。

 以前のわたしなら絶対にしないような戯れだけど、もう初めてのキスはリカルド様に捧げたのだから、という気安さも手伝った。


 唇を重ね合わせてしばらく……。

 リゼの唇からは何やら甘い味がした。


 リゼったら、また隠れて家のお茶菓子を食べていたのかしら?

 そんな思いを巡らせるほどの時間があったのに、わたしたちの間には何も起きなかった。

 やっぱり駄目だったかぁ……。

 あの呪い──鏡の中の悪魔がわたしにかけた呪いとやらは、あのとき一度限りのものだったのかと、安堵とも落胆とも付かない曖昧な思いで唇を離した。


 二人の唇の間に、少し、糸が引いて落ちた。

 それを見て急に自分がしたことが恥ずかしくなる。

 それに、不埒ふらちな遊びにリゼを巻き込んでしまった、という後ろ暗さも。


「アシュリー様……」


 謝ろうとしていたわたしの口がリゼの唇によって再びふさがれる。


 えっ⁉

 え、ちょっと……⁉

 なしなし。今のなし!

 何か、勘違いしてない?


 次の瞬間、背中に腕を回し、わたしの身体をしっかりと抱擁していたリゼの腕が、急にダラリと下がる。

 いや違う──。ダラリと脱力し、肩から滑り落ちたのは、の腕だ。

 は急に力をなくしたようになり、ベッドの上に仰向けに倒れ込んだ。

 がそれを見下ろしている。たった今、わたしの肩から滑り落ちた、アシュリーわたしのだらしない姿を。

 わたしは……、リゼになっていた。

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