08:くちづけを……したくなるのも、呪いのせいなのかしら?

 再び自分の身体と二人きりになったわたしは、部屋の中をウロウロと歩き回りながら考える。


 何を考えてるのかって?

 それを考えてるのよ!


 わたしは今、大変困った状況に置かれている。

 それは間違いないんだけど、状況があまりに突飛過ぎて、何から考えていけばいいのか全然分からない。

 だから何を考えるべきなのか、こうやって必死で考えているのだ。


 とりあえず、わたしが殺されないようにすることかしら?

 でもその危険はひとまず無くなったわよね。

 ヴィタリスがさっき実行役らしき男たちに言い含めていたようだから、当面わたしのことを暗殺しようとはしないはず。

 次に考えるべきは……、婚約破棄を撤回してもらうことかしら?

 それともヴィタリスの……、メフィメレス家の企みを暴くこと?


「……いいえ、違う。元に戻ることよ」


 わたしはハタと足を止め、ベッドの上にいる自分に向き直った。


 の身体は今もなお、スヤスヤと寝息を立てていた。

 人の苦労も知らないで、気持ち良さそうに眠りこけちゃって……。

 いや……、この子に当たるのは筋違いか。

 って、この子はわたしなんだった。

 もうっ、混乱しちゃう!


 だって、頭では分かっているのに、こうして寝顔を見つめていると、何だか不思議な気分になるのだ。

 わたしではない、別の人間がそこに寝ているよう……。

 というか、逆ね。

 今考えているわたしが、アシュリーじゃない別の人間であるように錯覚してしまう。


 アシュリーでなければ、わたしは誰?

 リカルド様?


 ……そうだったらいいな、とわたしは思う。

 わたしアシュリーの寝顔をジッと見つめていると、この胸は、ドキドキと暖かい気持ちでいっぱいになる。

 この鼓動がリカルド様の高鳴りであるのなら、今もわたしは、リカルド様に愛されているということにならないだろうか?


 いとおしい……。

 自分の顔を見ながらこんなことを思うって絶対に変。

 これじゃあ、まるでわたしが痛いナルシストみたいじゃない。


 気が付くと、わたしは寝ているわたしに向かって顔を近づけていた。

 リカルド様があのとき、そうしていたように、枕元に腕を置いて身体を支え、覆いかぶさるように……。


 ちょっといかがわしい気持ちになる。

 これは自分なのに。これも呪いのせいなのかしら。


 あ、そうよ、呪いだ。

 呪いを解くためよ。

 試してみなくちゃ。

 キスで入れ替わってしまったのだとすれば、きっと、もう一度こうすれば……。


 そうやって自分に言い訳をしながらも、心の奥底、身体の芯の部分では、目の前に横たわる無防備な唇にくちづけすることを熱く欲していた。

 ただ純粋に……、この小さな唇とキス……したい……。


「……!」


 それは一瞬の出来事だった。

 再びグラリと身体の向きが裏返るような感覚があった。

 でも、今回は倒れ込むことはなかった。

 だって、は最初からフカフカのベッドの上で仰向けに寝ていたのだから。

 その代わり、重いものにし掛かられる感覚があった。

 ぴったりと閉じた口元に熱い体温を感じる。

 そして我に返る。


 これは……、この感触は、リカルド様の唇だ!


「ん、んんー!」


 口が閉じられているせいで呼吸ができない。

 いや、別にそんなわけではなかった。

 リカルド様とキスをしているのだと分かって、自分自身で息を詰めて堪えているだけ。鼻息を、リカルド様の顔に吹きかけてしまうことを恐れて。


「だ、駄目ですっ!」


 二人の間に腕を挿し入れ、全身の力を込めて、わたしは自分の上に伸し掛かっていたリカルド様の身体を持ち上げる。


 お、重い……。


 女のわたしに対し、これだけ無遠慮に体重を預けるなんて、リカルド様のなさることではない。

 リカルド様は意識をなくされているのだ。


 なんとかリカルド様の身体を脇に追いやって、ようやくわたしは身体の自由を得た。

 クゥクゥと寝息を立てるリカルド様の寝顔を見て、わたしは顔を赤らめる。


 駄目です……だなんて……、なんて図々しい。

 そうしたのはわたし自身なのに。

 自作自演もいいところだ。

 自分で自分を襲っておいて、その言い草はないでしょ、アシュリー?


 そこへ外から忙しなく外から部屋のドアをノックする音が聞こえてきた。

 返事をする間もなく、そのドアが開かれる。

 入って来たのはお父様だった。


「なっ……!」


 と、こちらを見て絶句する。

 わたしもその反応に驚いて、改めて自分の身が置かれた状況を眺めた。


 上体を起こしたわたしのすぐ横では、リカルド様がベッドに顔を埋めて倒れている。

 片方の腕は今もわたしの身体の上にあるので、見方によっては、わたしに覆いかぶさっているようにも見える。


「違います! お父様、これは何も、やましいことは……」


 とそこまで言って、わたしはハッと自らのやましさを自覚する。

 こともあろうにわたしはリカルド様の身体をいいように操り、わたし自身にキスをさせたのだ。

 客観的に考えて、伯爵家の令嬢としてこれほど慎みのない振る舞いはないように思われた(最初になさったのはリカルド様の方ではあるけれど)。

 お父様に、そんなはしたないことをする娘だとは思われたくない。

 それでわたしは大いに焦ったのだけど、周囲の者たちは、そのような浅はかな……というか、つやっぽい勘繰りをしている場合ではなかったらしい。


「王子! どうされました、王子⁉」


 お父様の後方から現れた警備の兵士たちが駆け寄ってリカルド様の身体を助け起こす。

 先ほどまでピンピンしていた王子が、僅かの間に昏倒して突っ伏していることに、周囲の者が慌てないわけがないのだった。


 えっ、この状況……、マズいのでは……⁉

 まさか、わたしが王子に何かしたのだと、思われたりしないよね?


 一瞬、わたしのことを危険人物呼ばわりしたヴィタリスの言葉が頭をよぎってゾッとする。


「何があったのだ? アシュリー?」


 心配そうに娘に問いかけるお父様にわたしが返せる言葉はない。

 実はさっきまでリカルド様と身体が入れ替わっていまして……、なんて言ったところで信じてもらえるとは思えない。

 頭がおかしくなったと思われるのがオチだし、下手をすると別のやましいことを隠すために嘘をついていると疑われてしまうかも。


「わ、わたしにも、何がなんだか……」


 そう言うのがやっとだった。

 兵士に身体を激しく揺すられたリカルド様がそこで意識を取り戻す。

 ううーん、とうなりながら手で額を押さえて。


 良かった。ご無事だった。

 さきほどのわたしの身体がそうであったように、今度はリカルド様が目覚めなくなってしまったのではと恐れたけれど、その心配は杞憂だったようだ。


 リカルド様は床に座り込んだままパチパチと目をしばたかせる。

 しばらく状況を飲み込めないようだったけど、不意にベッドの上のわたしに気付くと、急に顔を赤くして立ち上がった。

 ご自分の口に指を当て、わたしの顔色を窺うようになさった。

 そして、その様子を呆然と見守るわたしや他の者たちを置いて、リカルド様はそのままクルリと向きを変え、部屋から出て行ってしまう。


 ええっ⁉ まさかこれでお別れなの?

 せめて何か一言……、一言でも何か、言い残して行ってください、リカルド様ぁ……。


 お父様から身体のことを心配され、受け答えをしながらも、わたしは心の中でリカルド様に向かって恨みがましくそう叫ぶのだった。

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