20話「大人は知らない」





夏休み中は僕たちは勉強を頑張ることにした。でも雄一はアルバイトも並行していたから、彼は疲れて帰ってきて、すぐに眠ってしまう日も多かった。


僕たちはいろんな所に遊びに行ったし、充実した日々を過ごしていた。


あの日みたいに自転車で地元の海に出かけた時は、浜は小さいから人が少なかったし、僕たちは真っ青な空を映して泡になる、サイダーのような海の水を体に掛け合って、かけがえのない時間に、胸をときめかせていた。


真夏の太陽が僕たちを焼き焦がして、それに急かされて騙されるかのように、愛が弾けそうになる。でも、僕たちにとってそれは本物にしか見えない。


彼の姿は照りつける日差しを反射して僕の目を焼き、何よりも確かな証拠として残った。




昼下がりになって人も少なくなり、くたびれて浜辺に座り込むと、僕たちは何もかも忘れて、見つめ合う。


“ずっとこんな日々が続けばいい”


僕は胸が痛むほどそう願って、幸せだった。雄一は僕の髪に付いた砂を払ってくれて、僕は彼にキスをした。


情熱の高まりが強すぎて、“こんな夏が二度来ることがあるのかな”なんてふと切なくなって、僕たちは「また来ようね」と言い合った。









雄一は、勉強を始めてみると本当に優秀なことが分かり、夏休みの課題は僕の方が手伝ってもらったくらいだった。


「ばっかおめー、ここxの項が2つあんじゃん」


僕が書いた因数分解の式の途中を、雄一がシャープペンシルで指す。確かに、まとめなければいけないxを僕は1つまとめ忘れていた。


「あ、ほんとだ」


「んで、最後はカッコの中同じなんだから、カッコは2個じゃなくて1個なの。2乗をカッコに掛けんの」


「ああ、そっか!」


僕は彼にそうやって数学の間違いを指摘されたり、彼がそらんじている歴史の暗記問題を出してもらったりして、二人で勉強をした。雄一は国語が苦手みたいで、僕が古文の問題を手伝ったりした。









でも、夏休み中、とても困ったことが起きた。


ある晩、雄一がバイトから帰ってきた時だった。


彼はとても腹を立てたように背負ってきた肩掛け鞄を壁に叩きつけ、すぐに煙草に火を点けた。


僕は布団から抜け出て、イライラとゴミ箱を蹴り上げた雄一に、なんとか近寄る。


「どうしたの、雄一…」


彼は僕をなかなか見てくれず、返事もしてくれなかったけど、やがて壁際に腰を下ろして、まだ短かった煙草を灰皿を押し付ける。


張り詰めていた息を雄一が吐いた時、彼はぐったりとうつむいた。


「…バイト、クビになった」


「えっ、なんで…?」


僕は、彼がこんなに怒るなんて、何か理不尽なことがあったんだろうと思った。事実、その通りだった。



雄一の話してくれたところによると、その日、アルバイト先の居酒屋に、学生服姿の集団が現れたらしい。それはおそらく、雄一が働いていることを嗅ぎつけた不良たちで、顔にも見覚えがあったみたいだ。


高校生が居酒屋に来たので雄一は彼らが席に就くのを止めたけど、それも聞かずに暴れ始めた学生集団を、なんとか雄一は収めようとした。


でも彼らは雄一に殴り掛かり、思わずやり返してしまった雄一は、その場で店長から解雇を言い渡されたとのことだった。



「そんな…ひどい…」


「くっそ、あいつら…!」


雄一は頭を掻きむしって、どうしようもないことに責められていたようだった。


彼が生活をやり直そうとしているのに、それにつけ込んで彼らは雄一をダメにしようとしてきたんだ。そう思うと僕だって怒りを収められなかったし、なんとか雄一を慰めなきゃと思った。


でも、どう言えばいいのか分からない。どうしたら彼をなぐさめてあげられるだろう。


「仕方なかった」なんて絶対に言っちゃいけないと思ったし、ただ一緒に怒るのだって、彼と同じものを持っているわけじゃない僕がしていいことなのか、分からなかった。


なんで雄一がこんな目に遭わなきゃいけないんだろう。僕は彼になんて言ってあげればいいんだろう。


悩んで悩んで、僕はついに泣いてしまった。


「どうして…こんなに頑張ってるのに…!」


僕は何に困っているのかも分からなくなって、雄一に抱きついて泣いた。そうすると彼は僕を抱きしめ、「ちくしょう」と繰り返した。









夏休みが明けると、雄一はまず職員室に呼び出された。


「一年一組、古月雄一、至急職員室に来てください。繰り返します、一年一組、古月雄一君、職員室に来てください」


丁寧な言葉に繕った放送からは呆れの色が見えて、雄一は乱暴に席を立って、教室を出て行った。


彼はもう新しいアルバイト先を見つけて仕事をしていたけど、教師たちには「夏休み中にバイト先で客と喧嘩をした」ということしか伝わっていなかったらしい。


雄一は訳を説明しようとしたけど、結局「生活態度が良くない」という教師からの見方を変えられず、教室には戻って来たけど、ずっと不機嫌そうにしていた。


そこへ、追い討ちを掛けるように、決定的な出来事が起こる。




ホームルームが始まって出席を取る時に、担任教師の八尾先生が順番に名前を呼んだ。


「雛見沢」


「はい」


「古月」


「はーい」


八尾先生はそこで眉をちょっと上げて、古月を睨んだ。


「伸ばさんでもよろしい。それだから叱られるんだ」


雄一は悔しそうにしていたけど、怒るまいと自分を抑えていたんだろう、八尾先生を睨むだけだった。


「わかりました」


ただそうやって従順に返事をしただけの雄一に、八尾先生はもう一口嫌味を言う。


「成績ばかり良くても社会では認められないぞ。返事のしかたくらい覚えられなくてどうする」


すると、雄一は反論する。


「…今やってるよ、ごちゃごちゃ言うな」


「ほら、そうやって乱暴な言葉遣いで相手を攻撃するから、ダメだと言うんだ」


次の生徒の名前を呼ぼうとしたんだろう。八尾先生が名簿に目を落とすと、雄一はもう一度先生に噛みついた。


「おめーが俺を押さえつけなきゃ攻撃なんかしねえよ」


眉をひそめ、先生は一度名簿を閉じる。


「私は当たり前のことを教えてるだけだ。気に入らないなら外に出なさい」


「はあ?なんで俺が出てかなきゃいけねえんだよ!俺を馬鹿にしたのはおめーだろーが!」


八尾先生は、我慢できずに叫んだ雄一にこう言い渡した。


「古月。外に出なさい。今すぐにだ」


雄一は鞄を持って廊下に出て行き、その日、教室には戻って来なかった。


彼の心を知りながらすべてを見ていた僕は、悔しくて悔しくて、“僕だってこんなところ出て行きたい”と思った。





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