第32話 7



 地図に従って走行し、自転車で高速道路を走るという荒業をしたが、グリズランドの人間が注意に来ることはなかった。……どうやらOKらしい。それなら突っ走るだけ。


「あと、少しだ!」


 時刻は午後四時四十分。もう搭乗していてもおかしくない。急がないと、7が!


「うおぉぉぉぉっ――――――――――――――――」


 渋滞している車をかき分け、全力で駆け抜ける。ターミナル前に着いて、俺は自転車を乗り捨てて空港へ入った。この際マナーだのどうの言ってる場合じゃなかった。


「7! ………どこだ……どこにいる?」


 あと二十分もない。急げ、剣条司。ここで遅れたら一生後悔する! 道ゆく外国人女性が、7に見えてきた。いや、もう誰もが7に見えてきた。


「落ち着け……俺」


 受付に尋ねても、いい返事は帰ってこなかった。こんな広い場所だ。逐一人の顔なんて覚えてられないか………どうする……


「ここまで来て………ダメなのか」


 全身の力が抜けてくる。……絶望だけが、脳内を満たす。


『見てください! かわいらしいパンダの赤ちゃんです!』

「……パンダ、か」


 それは、ターミナル内のロビー内に設置されてある液晶テレビに映っているパンダの赤ん坊が生まれたというニュースだった。……7、パンダが好きだったな。夕陽の差し込むロビーで、半ば諦めていた。腕時計を見る。時刻は、もう出発時刻の五時だった。


「………終わった」


 何もかも、すべて。7も、決闘も、全部。せめて笑顔くらいは最後に見たかったな。踵を返して空港から立ち去ろうとすると、背後から声がした。


「すごい、これがパンダの赤ちゃんですか……!」


 それは、とても澄んだ声だった。もう一度、テレビのあった方を振り返る。そこには、いつもと雰囲気こそ違ったけれど、間違いなく、銀髪の少女が人目を気にせずテレビに見入っていた。


 それは間違いなく、探していた少女。


「………せ、ぶん?」


 恐る恐る歩み寄った。少女は俺の小さな声に反応して、こちらに視線をずらした。夕焼け色に染まる少女の顔は、紅潮しているようにも見えた。


「ツカ、サ? ………司なのですか? な、……なぜ」


 パンツスーツや学校の制服でもなく、パジャマでもなかった。水色のワンピースと麦わら帽子の、なんとも女の子らしい……つまり可愛い格好をしていた。その右手には、俺が買ったパンダのぬいぐるみの手が握られていた。


「ど、どうしてここにいるのですか! あなたは今決闘の最中でしょう!」

「……見てたのか?」


 単純な疑問を返すと、7は何も言わなかった。……ここで、ずっと見ていたってことなのか。


「お、お前だって……もう飛行機の出発時間じゃないのか?」


 7は空港に設置されていた時計を見るなり「あ」と声を出した。………どうやらテレビに夢中で時間を忘れていたらしい。


「7、一緒に来てくれ!」

「嫌です。……私はもう、あなたのスートではありません」


 強引に手を引っ張ると、7に振り払われた。


「急げ7、まだ間に合う!」


 促しても7は全く動かない。ぬいぐるみを抱きしめて、首を横に振った。


「無理です。ここから教会まで何キロあると思っているんですか!」


 時間はあと一時間。現実的に考えたら、それは無理な話だった。それでも、俺は引き下がろうなんて思っていない。


「何キロだろうが何マイルだろうが関係ない……俺は……俺には!」


 言うべき時は、今しかないと思った


「俺には――――お前が必要なんだ!」


 自分でもわかるほど、大きな声だった。一瞬、周囲の音が消えたように思えた。7は虚を突かれた顔をしてすぐに、そっぽを向いた。


「それは……決闘に勝つため、ですか?」


 歪んだ答えに、また胸が苦しくなった。締め付けられる胸から、必死に声を絞り出す。


「違う。そんな意味じゃない! わかったんだ……俺。俺は、7を守りたいし、7にも守られたい。お前が出て行ったとき、悲しかった。…………お前が笑った時、すごく可愛いって思ったし、嬉しかった」

「それは結局、私をスートとして見ていないじゃないですか!」


 7は、手も、声も震えていた。伝う涙が、橙色にきらめいている。俯いた少女の手を取り、囁くように返す。


「違う……俺は、ありのままの7が必要なんだ!」

「ありのまま………?」

「スートとか、許嫁とか、そんなの関係ない。今まで俺が見てきた7がありのままっていうなら、俺は………全部ひっくるめて欲してる。だから―――」


 7が身を寄せてきた。体重をすべて、俺に乗せ、寄りかかった。恥ずかしくて体が熱くなってくる。


「そんな曖昧な言い方………嫌いです」


 一瞬どきりとした。けれど、7は顔を上げて微笑んだ。夕陽の反射とともに煌めく微笑に、心を打たれた。



「私と―――結婚してください」



「………………へ?」


 いきなりすぎて理解が追い付かなかった。俺は、ただ一緒にいてくれればよかった。けれど、この少女は違った。プロポーズ……された?

「だって、7は○○○と自由に結婚したいって……」


「あれは、つ・か・さ、の三文字ですよ。まだちゃんと日本語の読み書きの書きができなかったので、心配になって咄嗟に三つ○を書いたんです」


 突然の告白に、さらに体が熱くなる。それに、行きかう皆がこっちを見てる。恥ずかしくてたまらなかった。


「で、でも何で俺なんだ?」

「ニッポンに来る前から、あなたとの結婚を夢見ていました。許嫁だと言われた時は驚きました。……でも、私と結ばせるのなら、きっといい人なんだろうと……勝手に想像していましたから」

「そんな俺なんて………」


 ただ頑固で、意地っ張りで、弱くて、勝手な奴だ。卑下する俺を、7は否定した。


「司は……ツカサはジョーカーと初めて戦った時、私を見捨てずに手を引っ張って一緒に逃げようとしてくれました。私の下着を、のぞきませんでした。私の動物園に行きたいという小さな願いを、かなえてくれました。ヒルデガルトとの戦いで、最後を私に託してくれました。『弾圧する壁』から、私を守ってくれました。………私以外にも、クレアも、ヒルデガルトも、良い方向へと導きました」

「それはただの偶然で……」


 必死になって逃げようとしたり、感謝の気持ちで連れて行ったり、残ったのが7だっただけだったり……って、俺が下着見ようとしたこと知ってたのかよ……


「いいえ……クレアはあれから無理に突っかからなくなったと言っていました。ヒルデガルトは、ツカサに正しき道に戻してもらえたと言っていました。ツカサは、人生と言う道に迷った人を、助けました」


 何もしてないと思った。出来事に対処するだけで精いっぱいだった。なのに、7は俺をちゃんと見ていた。


「私の夢は……いつか許嫁という関係ではなく、ツカサの言う〝ありのまま〟の二人で……結婚することです」


 透き通った青い瞳に、俺が映し出される。純粋な目だった。何も、偽りはない。たとえ好きじゃなかったとしても、彼女の求婚を断る理由にはならない。そもそも、もうそんな回りくどい表現をしなくても、俺は7が好きらしい。


 いいや……らしい、じゃなくて好きなんだ。


「だから――私と」

「俺と結婚してくれ!」


 ぎゅっと、生れて初めて女の子を抱きしめた。柔らかくて、壊れそうで、でも、いい香りがして、いつまでもこうしていたかった。


「………喜んで」


 7の腕にも力が入り、お互いがその存在を確かめ合った。……でも。そんな良い雰囲気だが、すごく見られてるし、めちゃくちゃ恥ずかしい。


「あ、あの……7さん?」

「何でしょうツカサ………あ」


 状況を察した7がすぐに離れた。すこし名残惜しい気もしたが、自分の体もかなり熱を帯びていた。


「行こう、7!」

「はい!」


 俺が7のスーツケースを持って一緒に走り出した。と、せっかくのムードの中に、破壊者が現れた。真っ赤に燃え盛る髪ですぐにわかった。シュタルスが笑顔で近づいてくる。


「よぉ、キョ―ダイ。お目当ての子には会え」

「そこをどけぇえええええっ!」


 空いている右手で、走っている勢いに任せてシュタルスの左頬を殴った。めり込み、呆気なくシュタルスは吹き飛んだ。本当にジョーカーなのか? 無視して俺達は先を急いだ。




「まったく、青春ってのはいいねえ~。お構いなしのストレート、なかなかいいパンチだったぜ? ………あんな青春、オレ様も経験したかったなぁ~」


 シュタルスの哀愁漂う独り言など、俺達には聞こえなかった。




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