第35話 頼れる老婦人

「おばあちゃん!」


 ランドが濡れたままの手で老婦人に飛びついた。


「洗濯頑張ってたのかい? 偉いねぇ」

「うん! おじちゃんにおしえてもらってた!」


 穏やかな話し方の老婦人だ。窓辺にいる姿を見かけることはあったが、話しかけたことはもちろん、間近で会ったこともなかった。


「そちらのお兄さんは初めましてだね。何度か顔を見かけたことはあったけど」

「ああ。ルークスという」

「これはご丁寧にどうも。あたしはサラーナだよ」

「サラーナさんか。俺がいない間、ランドの面倒を見てくれたみたいだな。俺が言うのもおかしな話だが、世話になった」

「窓辺でぼんやりするのが日課でね。よくこの子が剣を振ってるのを見てたんだけど、ここしばらく元気なさそうだったから、ついついおせっかいを焼いちゃってね」


 そう言ってランドの頭を撫でている。ランドは気持ちよさそうに笑っている。


「ああ。助かった。しばらく仕事に出ていたからな。日持ちのするパンだけは買っておいたんだが、どうにも時間がかかってな」

「おじちゃんがおくすりのざいりょうをとってきてくれたの!」


 ランドが途中で混ざってくる。甘えたような声で、ここ数日の事をいろいろ説明している。サラーナもにこにことしながら、ランドの説明を聞いている。

 先程は親子のようだと言われたが、こうやって見ると祖母と孫のようだ。ランドの人懐こさがよりそう見せているのだろう。実際には、ルークスに対する警戒心はそれなりにあったのだが、剣がきっかけになって距離が縮まった。サラーナとはどういう縁だったのか。


「この子がね、庭で剣を振っているのを眺めるのが好きでね。見てると、うちの旦那や息子が小さかった頃を思い出してついつい見てしまうんだよ。今じゃ、あたしも旦那もシワシワだけどね」


 なんと言って返せばよいかルークスはわからなかった。商人の頃ならば、冗談の一つでも返したのだろうが、ここ何年もこういった会話をすることはなかったせいで、上手く言葉が出てこない。


「ところで、お母さんはもう元気になったのかい?」


 サラーナがランドに訪ねた。


「えっと、ごはんたべたりはできるけど、まだねてる」

「そうかいそうかい。それはよかったねぇ。このまますぐに治るのかい?」


 後半はルークスに聞いてきた。


「いつ治るのかまではわからないな。ただ、症状は落ち着いているらしい。しばらく食事を摂れなかったのが、今は食べられるようになっているんだ。良くはなっているはずだ」

「それなら良いんだけどね。一度おせっかいをしてしまったからか、どうしても気になってしまってね」

「こいつの母親とは面識が?」

「窓から挨拶したことがあるくらいで、話したことはないね」

「そうか」

「うちは旦那がちょっと偏屈なもんで、あまり人と関わるなってうるさくてね。それで関わらないようにしてはいたんだけど、この子が一所懸命に剣を振っているのが可愛くてねぇ」


 そう言いながら、ランドの頭を撫でる。


「おばあちゃんはね、いつもてをふってくれるんだよ!」

「良かったな。見てくれる人がいるんだから、また頑張らなきゃいけないな」

「うん!」

「じゃあ、洗濯をさっさと終わらせて、剣の練習をするか」

「わかった! おばあちゃん、これほしてくる!」

「あらあら。それじゃ、あたしも手伝おうかねぇ」


 そう言って、ランドが洗った洗濯物が入ったタライを、ランドと一緒に持ち上げた。


「それなら俺の家の窓を使って干すのを手伝ってやってくれ。邪魔なら外套とかは部屋に適当に放り投げといてくれ」

「わかったよ」


 そう言ってランドとサラーナが二人で洗濯物を干している間に、ルークスは自分の洗濯をざっと終えた。


「ねえ、ルークスって言ったっけ。ちょっと聞きたいんだけどさ。洗濯物、この子のだけを持ってこさせたみたいじゃないか」

「ああ。さすがに大して知らない男に洗われるのも気持ち良いもんじゃないだろう」

「冒険者なのに随分と気が利くねぇ。でも、こんな時にそれを言ってても仕方ないだろう?」

「まあ、快方に向かってるしな」

「まったく、これだから男って奴は……ランドや。お母さんに『裏のおばあちゃんが洗濯と、体拭くのを手伝いたいって言ってるけど良い?』って聞いてくれないかい?」


 穏やかな老婦人と思ったのもつかの間、少し伝法な口調になった老婦人はランドの母親のことも気にかけてくれているようだ。

 怒られてしまったルークスだったが、言い返そうにも返す言葉も無く、ただただ苦笑いするしかなかった。


「ところで、あんたはあの子の面倒をどこまで見ようと思ってるんだい?」

「いきなりなんだ? まあ、あいつの母親が快復するまでだな。さすがに顔見知りの子供が一人で飢えているのは良い気がしないからな」

「そりゃ誰でもそうだ。例えば、これからもずっと面倒見ていったり、何かあったり助けてやったりはしないのかね?」

「できることとできないことがあるからな。それに俺はあくまでもただの隣人だからな」

「まったく……まあ、おせっかいをしたあたしも言えた義理じゃないけどさ。あれだけ懐いてるんだ。変に悲しませることないようにしてやっとくれ」


 サラーナが何を言うつもりかと疑問だったが、純粋にランドを心配してのことだったようだ。


「……ああ。わかった」

「それなら良いよ。まあ、関わった手前、あたしもちょくちょく来るようにするからさ」

「そいつは助かるよ」

「どうせ年寄りにはやることがないからね」

「旦那は良いのか?」

「もう良いのさ。偏屈なじいさんの相手を一日中しているよりも、可愛い子と一緒にいた方がそりゃ良いさ。後から文句言われても、それのが何倍もマシだからね」

「そういうものか。しかし、随分と最初の印象と違うな。そっちが素か?」

「あらやだ。あたしとしたことが、ついつい素を出しちまったね。あの子が怖がらないように丁寧にしていたつもりだったんだけど、あんたと話してたら息子を思い出してイライラしちまったんだよ」

「……そいつは悪かったな」

「まったく、これだから男ってのは」


 なぜかまた説教が始まりそうになったところで、ランドが戻ってきた。良いタイミングだとルークスはホッとした。


「おかあさん、おばあちゃんにおてつだいしてほしいって!」

「そうかい、そうかい。それじゃ、ちょっとだけお手伝いしてこようかねぇ。一緒に行ってくれるかい?」

「うん!」

「それじゃ、ちょっと行ってくるよ。そんなにホッとした顔するんじゃないよ。両方の意味で安心したんだろうけどね」


 笑いながらサラーナが出ていった。サラーナはルークスの安堵の表情を見逃さなかった。それはサラーナの説教を聞かなくて済んだことだけでなく、ランドの母親の面倒を見てくれる者が現れたことに対する安堵も含まれていた。

 そして、そのどちらも見抜かれてることに、またしても、ただただ苦笑いするしかなかったのだった。

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