第4話 お賽銭

 その年。正月からちらちらと小雪が降る中、私は妹と近所の神社へ初詣に行った。寒いだろうと、配っていた甘酒を二人分もらいに行っている間に、妹は賽銭箱の前で手を合わせていた。

「なに、お願いしたの?」

 甘酒を手渡しながら聞くと、屈託のない笑顔がこちらを仰ぎ見た。

「おねーちゃんと、ずっといっしょにいられますようにって」


 その矢先の、事故だった。



※※※


「真実……って」

 神様は目を細め、こちらをにやりと見つめた。

「せっかく死んでるんだから、この機会を有有効に使う方がお得だと思わないかい?」

「はぁ……」

 まるで、商品の抱き合わせ販売をしているセールスマンのような言葉だが、特に口ごたえする理由もない。


「ただ、死んでるからって、五年も前のことをどうすれば」

「この世界に存在するものっていうのは、いつ・どこに・どのようにっていう三点で規定されいているものなんだ」

 例えば、と。神様は足下の札束を——正確には、その下に埋もれて死んでる私を指差す。

「きみは現在・この場所で・札束に押し潰されて死んでいる、って規定できる。ざっくり言うとだけれど」

「へぇ」

「でも、ぼくは神できみは幽体。つまり、この世界に存在しないモノだ」

 そこまで言われると、神様の言わんとしていることはなんとなく理解できた。


「規定から、外れるって言うことですか」

「その通り。だから」

 ぱちり、と神様が指を鳴らした。途端、景色が歪み、一瞬意識が遠ざかりかける。

「ッ!?」

 思わず目を閉じる私の背を、神様がぽんと叩いた。


「よく、見て。目を開いて」

 言われるがままに目を開くと、そこは懐かしい景色だった。

 なんの変哲もない住宅街にある、ただの一軒家。

「……私の、家」

 正確には、両親がまだ存命だった頃、妹も含めた家族四人で住んでいた家。

 それが、空に浮いた私の眼下に建っている。


 事故以降は手放したため、長らく見ていなかったが。私の幸せだった時間は、この家に詰まっていた。


 感慨にふけるまもなく、隣に浮かんでいる神様が、「もっとよく見て」と繰り返す。

「単に場所を移動したわけじゃない。言ったろう? ぼくらは全ての規定から外れて存在できる」


 その意味が分かったのは、駐車場に停めてある車が見えたからだった。

「あれは……お父さんの」

 そう。事故にあった際に大破したはずの車が、無傷のまま停まっている。


 だが、それだけじゃない。


(だれか、いる?)

 最初はお父さんかと思った。だが違う……こそこそと、だが大胆に車のボンネットを開き、ガチャガチャといじくっているのは、見知らぬ男だった。


「なに、あの人。なにをして……」

「きみの妹の父親だよ。実のね」

 言われて、どきりとする。確かによく見ると、目元がなんとなく似ているような気がした。


「……お義母さんから、少しだけ聞いたことがある。DVが酷くて、逃げるように離縁したって……」

 でも。それがなんで、どうして。


 ややすると、男はボンネットを閉じ、何食わぬ顔でその場を離れて行った。それからしばらくして、玄関が開いた。


「あ……っ!」

 思わず、宙に浮いているのも忘れてその場にへたり込む。

 談笑をしながら出てきた両親と、妹。「今日の夕飯はなににしようか」「おねーちゃんは、いっしょに食べられるかなあ」「まだ連絡ないから、カレーにしておこうか。そうすれば、もし食べなくても無駄にならないし」


 そんな会話をしながら、三人は車に乗り込み、そして出発して行った。

「ぁ……あ」

 言葉なんてなく、ただうめくような声だけが出た。

「この後、きみの家族は事故に遭う」

 神様が呟く。

「止めないと……早く止めに行かないとっ」

「無理だよ。さっきも言ったろう? ぼくらは、今んだ」

「でもっ!」


 ぎっ、と。私は男が去っていった方を睨んだ。

「あいつが……あいつが、車になにかやったんだ! そのせいで、お父さんたちが……ッ」

「そうだね。でもやっぱり、ここであの人間をどうにかすることはできないんだよ」


 神様の声は、やけにそっけなく私の耳に届いた。

「じゃあっ! なんのために私をここに連れてきたのっ⁉︎ 現代に戻ったところで、お父さんもお義母さんももう死んでるし、五年も経ってちゃあいつがやったっていう証拠も出ないっ! なんのために、真実なんて……ッ」

「きみたちの、これからのためだよ」

 特に優しい声というわけでもなかったけれど、至極当然の顔をして、神様は続けた。


「よく言うだろう? 過去は変えられないけど未来は変えられる」

「そんなの」

「もし、きみの妹が5000兆円持ったとしたら、きみという存在のいなくなった寝たきりのきみの妹を庇護する役割を、誰が担う」

 ぐっと、胃の奥が熱くなる感じがした。

「まさか……あいつが、お金を狙って……」

 可能性は捨てきれない。もし、妹が大金を継いだとなにかしらで知ったら——。


「だめ……そんなのは、だめ。あいつにもう、好きになんてさせて、たまるもんかッ」

「でもきみは、死ぬんだろう?」

 すかさず言ってくる神様を。私は、ぎっと思い切り睨みつけた。


「助けてくれなかったクセに……なんでそんな意地悪を言うの⁉︎ 神様のくせに、なんにもしてくれなかったのに……ッ」

「ぼくだって、すべての人々を無尽蔵に救えるわけじゃない」

 神様はそう、淡々とした声と顔とで答えた。


「だったら、なんで今更……こんなこと」

「以前、ぼくの神社に、過去最高額のお賽銭を入れた人物がいてね」

 そう言って、神様が懐から取り出したのは。見覚えのある、一枚の紙切れだった。


「その願いを叶えてやりたかったのだけど、このままだとどうやら難しそうだったから。ちょっとテコ入れをしようかと思ったのさ」

「……テコ入れって」

「きみ、ぼくに殺されなかったとしても、間もなく死ぬつもりだったろう?」


 単刀直入すぎる言葉に、びくりと身体が震えた。「どうして」と問おうとし……止める。

 だって、相手は神様なのだ。どうして、なんて。そんなのはもう、意味がないと充分分かった。


「きみはもう、全てを投げ出したかった。それくらいに、現状に絶望していた。でなければ、あんな簡単に、自分の命より大金を選んだらしないだろう」

「……っ」


 だって。

 だって仕方がないじゃない。

 家族を失って。それも、大好きだった父親が悪いかのように言われて。

 夢もなにもかも諦めて支えてきた妹も、起きる気配すらなくて。

 周りは普通の人生を進めているのに、私だけ五年前からずっと、泥沼の中で足踏みし続けているみたいで。


 そんなこと、きっと全部分かっているクセに。分かっている笑顔を浮かべているクセに。神様とは、やっぱり意地が悪いものなのだ。


「今回のきみのような、仮の死ならともかく。本来の死を迎えた者を生き返らせることなんて、ぼくにはできない。過去のできごとを、なかったことにすることも」

 神様は顔だけ微笑みながら、また淡々とした声で続けた。

「だから。きみが絶望した人生を変えてやることなんてできない」

 ただ、と。

 神様はそっと、紙切れを懐に戻した。5000兆円、と。拙い文字で書かれた、手作りのお札。


「もらった賽銭分のちょっとした奇跡くらいは、起こしてあげよう。真実を知ったきみが、この賽銭を納めた小さな彼女の願いを叶える、手助けをしてくれるなら」


——おねーちゃんと、ずっといっしょにいられますようにっ。


 あの日の、妹の声が耳の奥で蘇る。

 両の目から、ぽろぽろと涙が溢れた。

 ごめんね、ごめんね。

 私は、あなたの願いを聞いてたはずなのに。そんなことも、すっかり忘れていた。


「おね……がい、しますっ」

 私は、嗚咽と共に叫んだ。

「お金はいらない、から……わたしを、どうか。どうか、生き返らしてッ」

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