灰色の噂


「住田さん,もうここまで来ると病気ですよ」



 いつの間にか隣に座っていたらしい守田に,ビクッと身体を震わせて反応する。



「守田,いつからいたんだよ。一声かけろよ」

「一声どころか,喉が潰れるまで話しかけましたよ。いったいどうしちゃったんですか? 末期ですよ」

「確かにこの仕事は激務だけど,この前の健康診断では何の問題もなかった。おれは大丈夫だ」

「レントゲンとかじゃあ分からないところが侵されているんでしょ」



 この辺とかね,と守田は自分の胸をとんとんと親指で叩いた。

 何でもない顔をして守田とやり取りをしたが,内心気が気ではなかった。

 どうしちまったんだ,と自分でも思う。学生の頃も恋愛をしてきたし,数カ月前までは彼女もいた。人並みに恋愛はしてきたつもりだし,女性に対する苦手意識もない。思春期ではあるまいし,テスト勉強に手がつかなくなる中学生とこれじゃあ変わらない。ただ確かなのは,ぐるぐると何かが渦巻いたり,心ここにあらずで上の空になったりするのは,アイさんの存在が原因であることは間違いない。



「昨日も事務所に戻らずに,遅くまでで先にいたんでしょ? どこに行ってたんですか?」



 教えてくださいよ,と詰め寄ってくる守田の顔には,おれのことを詮索しようという様子は見られない。そうだ,こいつはこういうやつなのだ。自分を少しでも高めるために,先輩から学べることはどんどん尋ねて自分のものにする。他のやつだったら言いたくないことも,守田になら伝えてもいいような気分になっていた。



「あー,そうやって知識を仕入れているんですね。さすが住田さんっす」



 熱心にメモを取りながら聞いてた守田は,気持ちよく礼を言って手帳を閉じた。



「プレミアムリビングって,確か社名は変わったけど一度潰れかけた会社でしたよね。それが今では,金持ちがとにかく家の内装に入れたくなる会社だ。インテリアやキッチン,トイレにバスも,高級感あふれるデザインに素材も一流。値段は張りますけど,客単価はすごいですよね。きっと,立て直した人は敏腕経営者なんだろうなあ」



 変な噂しか聞かないけど,とぼやいた守田に,思わず身体が前のめりになる。



「プレミアムリビング,いい会社じゃないか。スタッフは感じいいし,業績も上々だ。黒いうわさが立ちようもないだろ」

「怖いっす。そんな食い気味に来られても,僕も聞いただけのことなんですから」

「わるいわるい。で,順風満帆なあの会社のどこが問題なんだ? どんな噂が立っている?」

「その順風満帆ってところから,黒い噂が立っているんです」



 どういうことだ,と問いかけたが,守田の反応は鈍い。おい,と続きを促した守田の目線は,おれの手元から動かない。

 ぎゅるるる,と間の抜けた音がして,おれはため息とともに手元のサンドイッチを守田の方に押しやる。



「え,いいんですか?」

「乞食じゃないんだから,何でもかんでも物欲しそうにするな。やるから,食べながら話せ」



 ありがとうございます,と守田が言った頃には,すでにサンドイッチの封は空いていた。

 半ば呆れながら守田の話を聞いたが,その内容はより一層アイのことが頭から離れなくなるようなものだった。





 守田の話は次のような内容だった。



 プレミアムリビングと社名が変わる前は,世界的な不景気の波をもろにくらい,業績不振で倒産が目に見える状態だった。経済状況が悪いので会社の給料は上がらない,景気が悪くて家を建てる夫婦は減る,極めつけに少子高齢化が目に見えて進み,業界としては衰退していくことが分かりきって,お先真っ暗な状態だ。


 危機的な状況を迎えつつあるのは,プレミアムリビングだけではなかった。同じように苦しい経営状況にあった会社はたくさんあり,グローバル化により海外の会社が日本を席巻することはあっても,その逆はなかった。


 国力の低下を懸念した政府は,まずは少子高齢化する日本社会に一石を投じることを重要事項に置いた。経済を回すには日本の人口が増えることが不可欠だと考えたのだ。しかし,社会保障を充実させても,税金面で優遇しても少子化に歯止めはかからない。どうにかしなければということで目を付けられたのが,現在のプレミアムリビングという,当時は会社全体が傾いていてどうしようもない会社だ。



 話の全容が全くつかめないので,要点だけを話せと促したが,まあまあとなだめるように手のひらを下に向け,



「ここからはほんと出どころも分からない,実態がつかめない話なんですけど」



と卵をこぼしながら,もったいぶって続けた。その内容は,到底信じられないものだった。



 政府は国の生産力を上げるために,人ではなく機械に働かせることにした。今までのように単純化された作業を機械化するのでは飼う,人でないとできないとされていたサービス業をまずはAIにやらせる。それを,つぶれたも同然のプレミアムリビングに介入して試験的に行っているという話だ。



 守田の話についていけず,思わず遮る。



「待て待て,そんな都市伝説みたいな話を信じるのは勝手だが,少なくともおれが通っている時間帯には,懇切丁寧なサービスを行う優秀なスタッフしか見当たらなかったけどな」

「ぼくも,別にドラえもんみたいにネコ型ロボットが働いている会社なんて想像できませんよ」



 ただ,と守田は眉をひそめる。



「あの会社の社員が,退社しているところを誰も見たことがないって。下請けの会社も含めて,泊まり込みで仕事をさせられているんじゃないかって噂なんです。あいつらは機械みたいに扱われてるって。確かに,良質なものを売り出している会社かもしれないけど,人権をないがしろにしたらだめですよね」



 SDGS! と覚えたての言葉を嬉しくなって使う小学生のように,守田は同じ言葉を二度繰り返した。


 「今日は遅くなりそうなので」と申し訳なさそうに目を細めるアイさんを思い出す。

 守田の出どころが曖昧な話を真に受けているわけではない。それでも,今日もアイさんのところに行こうとおれは決めた。

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