第35話 青年の提案
天照殿は、今や戦場と化していた。
いつの間にやら帝や側近、その他の貴族たちは何処かへ逃げおおせている。現在天照殿に残っているのは、たった三人と化生のみ。
(わたしたちに全て押し付けて、か。まあ、いる方が守らなきゃいけないから気が楽って思うことにしよう)
何処か冷めた気持ちがよぎり、紗矢音は
紗矢音と守親の周りを、半透明な桜吹雪が巻く。髪や衣があおられ、暴風が巻き起こる。その桜をそれぞれの刀に宿らせると、二人は警戒の色を強める大狐に向かって振り下ろした。
「「桜花秘伝──
「ギャァァァァッ……」
二つ分の花は斬撃波となり、狐の体を突き飛ばした。衝撃波は更に狐を追い、受け身を取ろうとしたその体を左右に真っ二つに裂いてしまう。
狐は悲鳴をあげた直後、永遠に言葉を失った。
「嘘……」
章は目の前で崩れ落ち消えた式に手を伸ばしかけ、呆然と立ち尽くした。
彼女にとって、力とは自分たちにこそ味方するものだった。物心つく頃から
「くっ……」
まさに、鬼の形相だ。ギリッと音がする程奥歯を噛み締め、章は更に式を召喚しようと袖に手をいれようとした。しかしその行為は、突然現れた手によって止められる。
「ここは退け、章」
「なんっ……兄上!?」
「兄……?」
紗矢音が章の言葉を反芻すると、兄と呼ばれた青年はふっと息をついた。
見目麗しく、宮中にいれば女房たちの噂の的であろう。涼やかな目元には憂いを帯び、章の手首を掴んでいる。
「聞こえただろう? ここは退くんだ。充分に御前は役目を果たしてくれたのだから」
「でもっ」
「真穂羅も、もう戻っている。あとはお前だけだよ」
「……わかり、ましたわ」
不承不承という様子で、章は頷く。それを見て、兄だという青年は「良い子だ」と微笑んだ。
そのまま立ち去ろうとする二人に対し、守親が怒気をはらんだ声をかける。
「おい」
「何かな?」
「『何かな?』じゃねぇ。何故、桜舞の舞台を壊した? そして、桜守の邸を襲った理由も教えろ」
「……わからないかな?」
哀れむように目を伏せ、それから青年は怨念をはらんだ険しい表情を示す。ここに来て、初めて見せた感情の色だ。
「私たちこそが、この国を統べる一族。偽りの歴史を史実として伝える今の和ノ国で、我々の真実を認めさせる。その為に政権奪還し、黄泉の王の軍勢を招き入れる為の布石に過ぎない」
「黄泉の王、か。それは、真穂羅の呼ぶモノの名だな。それが何故、清くあるべき帝の一族を自称するお前たちがかかわる? 交わるはずもなかろうに」
章たちの目的がわからない。首を横に振る守親に、青年は肩を竦めて苦笑を浮かべた。
「わかるはずもないだろう。……兎も角、桜舞は終わった。無事に、とは言いがたいがね」
「兄上」
話を打ち切った青年を、先に行っていた章が呼ぶ。妹に頷いて見せると、青年は守親を素通りして黙っていた紗矢音に目を向けた。
「……きみたちは、何故俺たちの邪魔ばかりするのかな? 今この国の中枢に巣食うのは、彼らが守るべき君たちを放置して逃げるような輩なのに」
本当に不思議だ、と青年は言う。
「きみたちが望むなら、こちら側においで。手伝ってくれるというのなら、千年桜の呪も解いてあげる。きみたちの桜守の力は、俺たちにとって喉から手が出そうな程欲しいものだから」
そこに嘘はないように見え、紗矢音は「確かにそうですよね」と困り顔で微笑んだ。
「わたしたちの他に、ここに残っている人はいません。でもわたしが護りたいのは……兄たちや桜音どのだから。わたしを大切にしてくれるから、わたしも気持ちを返したい。だから、あなたたちには負けません」
「交渉決裂、か」
それ程残念そうでなく、青年はくすりと笑う。そして袖から何かを取り出すと軽く放った。
「土産を一つ、置いて行こう。もしも生き延びたら、また会おう」
「――あなたは一体」
紗矢音の呟きに、青年は絶対の自信を持った王の顔で振り返った。
「俺の名は、
「それは、あなたも同じことでしょう? 一晴」
紗矢音が呻くように反論するのと、一晴と章が闇夜に紛れること、そして新たな存在が姿を見せるのはほぼ同時。一晴の残したモノの正体は、章の狐をも超える大きさを誇る獅子のような化生だった。赤いたてがみが逆立ち、雄々しい。
「グオオオッ」
遠吠えするように空に向かって吼えると、化生は赤く輝く瞳で二人を睨み据えた。前足でガリガリと地面を掘り、助走なしで一気に距離を詰めて来る。
「兄上!」
「ここでは狭過ぎる。……紗矢音、ついて来い!」
「はいっ」
兄妹は塀を乗り越えて内裏の外に出ると、化生が暴れても大きな損失のない場所を目指して駆け出した。彼らの背を、塀を突進して壊した獅子が追う。
彼らの去った天照殿は、もぬけの殻だ。残ったのは、美しく飾り付けられていたはずの桜舞の舞台と見るも無残な壊れ方をした建物だけだった。
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