第24話 夜明けを待って
東の空が白む頃、紗矢音はふと目を覚ました。何も被った覚えはなかったが、うつ伏せになった背には単がかけられている。
「うん……?」
体の前側が温かい。何か適度に柔らかいものが触れていて、紗矢音はそれが何かわからずに眠気眼のままで探る。するとそれがわずかに上下していることに気付く。
「……? え?」
がばり、と身を起こす。すると紗矢音は、自分が桜音の体にもたれかかるように眠っていたことに気付いた。顔色を青から真っ赤に変え、紗矢音は慌てて手を離した。
「な、んで……あ」
どきどきと早鐘を打つ胸に手を置いて、紗矢音は昨夜のことを思い出した。
突然襲い掛かって来た化生と戦う紗矢音を守り、桜音が怪我をしたのだ。守親が助けに入ってくれたことで化生を倒すことは出来たが、大怪我をした桜音を介抱するため、紗矢音の部屋に招き入れたのである。
(それから薬を塗ってもらって、その後……二人して寝落ちしてた?)
見れば、蓋の開いた小箱が落ちている。中のどろりとした粘液は、傷によく効くとして父に貰った薬だ。
寝落ちしたとしても、桜音に体を預ける等恥ずかしくて声も出ない。紗矢音はせわしない胸の音を落ち着かせる術を持たないまま、桜音の肩を揺すった。
まさか、穏やかに眠る桜音の寝顔をずっと見詰めていたいなどということを認められるはずもない。
「あのっ、桜音どの。あ、朝です、起きて下さいっ」
「ん……。紗矢音?」
「あ、あのっ。その……手……」
「手?」
赤面して固まる紗矢音の視線を追い、桜音は苦笑する。彼の手が紗矢音の手を握り、離さないでいたのだから。
(僕は……もう、嘘はつけないらしいな)
内心で、諦めにも似た決意が芽生える。桜音は名残惜しげに紗矢音の細い指を離すと、ゆっくりと上半身を起こした。軽く頭を振り、眠気を飛ばす。
「ごめん、無意識だ。痛かったかい?」
「い、いいえ。……あの、怪我は?」
「一晩寝たから、もう大丈夫。それより、紗矢音と……守親の怪我の方が長引くだろう? ――ね、守親」
「えっ」
「……バレましたか。お蔭様で、大事ありません。手の怪我くらい、日常茶飯事ですから」
毎日のように紙を触っていますからね。そう言いつつ几帳を潜ったのは、直衣を身につけた守親だった。何故か微妙に目の合わない兄の様子に首を傾げながらも、紗矢音は「そうです」と兄に詰め寄った。
「兄上、父上たちは怪我などっ」
「大事ない。それどころか、誰も昨晩の出来事に気付かなかったようだ。どうやら、あの桜の結界は俺たち以外の何ものの侵入をも断ち切っていたんだろうな」
紗守は、昨晩ぐっすりと眠ったらしい。他の家人たちも普段と変わりなく、見回りをしに来た者が壊れた塀に驚いたくらいのもの。少しだけ、その理由を説明するのに骨が折れた。
「だから、大事ない。だから、俺は出仕して来るから。後で、明信にも身に来るよう伝えておく」
見れば、守親の手には細かい傷が幾つもある。それに言及されないかと紗矢音は不安に思ったが、守親はそこまで考えていないらしい。
「桜守の手の傷なんて、誰も気にしないだろ。手を見せる仕事をするわけでもないからな」
「それはそうですけど……。早く、帰って来て下さいね」
「ああ、わかってる。桜音どの、妹を頼みます」
「ああ、いってらっしゃい」
紗矢音と桜音に見送られ、守親はいつものように内裏へと出仕していった。
少し時を巻き戻し、まだ夜も暗い頃。明信は正輝と共に廃された社で手に入れた『呪』の紙切れを前にしていた。
「結界で閉じても尚、この力か。これを残した者は、一体何者なんだ」
「真穂羅。その名以外、俺たちは知らないのです」
外は月と星の光以外に明かりがないが、室内には油で灯された火がぼんやりと明るくしてくれている。紙切れは椀をひっくり返した形の透明な物の中に置かれていた。
「真穂羅、な」
庵の壁に背中を預け、正輝は空を仰ぐ。その閉じられた瞼の端に力が入っていることに気付き、明信はもしやと察した。
「師匠、知っているんですか? この、真穂羅という男のことを」
「……私の知るその人物であるのならば、な」
よっ。声を出して立ち上がった明信は、反対側の壁際に置かれた唐櫃の蓋を開けた。そして中を探ると、一本の巻物を取り出した。
「読んでみろ」
灯りの下で見ると、その巻物は黄ばみが進んでいた。かなりの年代物らしく、触れただけで崩れ落ちてしまいそうだ。
明信は正輝からそれを受け取るも、なかなか紐解くことが出来ないでいた。そんな弟子の様子に呆れ、正輝は肩を竦める。
「案ずるな。この巻物には、和ノ国において秘され続けて来た物語が記されている。私の師がとても強い結界を張っているから、見た目以上に強靭だ」
「そう、ですか。師匠の師が……。ならば、拝見いたします」
意を決し、明信は巻物を広げた。中は決して華美ではなく、表よりも綺麗な白い紙が貼られていた。そこに書かれた流麗な文字は、わずかに震えているようにも見える。
「何故、この文字は……」
「そのわけは、読めばわかる」
「は、はぁ」
疑問を呈することも断られ、明信は腑に落ちないまま文字を追った。
「――え?」
目を見開き正輝を見上げることになるのは、それから半刻ほど後のことだ。
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