呪を放つ者

第15話 二人きりの稽古

 守親と明信らが黒煙をまとう狐と対峙する少し前、紗矢音は桜音と共に千年桜の前にいた。紗矢音が木の幹に触れ、次いで水を汲む様子を眺めながら、桜音は微笑む。

「きみたち桜守のお蔭で、この桜はこの場に立ち続けられているんだ。本当に、感謝してもしきれない」

「この桜が大好きだから守りたい、それだけなのです。……あ、もしかしてですけど」

 木の根元に水を与え、ふと思い付いた紗矢音は顔を青くした。

「もしかして……、わたしが幼い頃から桜に話しかけていたのは」

「ごめん。勿論、全部聞いてるよ」

「や、やっぱり……っ」

 紗矢音の幼い頃を思い出したのか、桜音はくすっと笑ってみせた。そして、恥ずかしさのあまりしゃがみこんで顔を伏せる紗矢音の横にしゃがむ。

「……僕に向けて話しかけてくれて、とても嬉しかった。今でも桜を気にかけてくれて、本当にありがとう」

「ほ、褒め殺すつもりですか!? ……もうっ、早く鍛練を始めましょう」

「ふふ。わかったよ」

 顔を真っ赤にして怒っても、それが照れ隠しであることは明白だ。褒められて認められて嬉しいのに、紗矢音は素直に喜ぶことは出来なかった。

 しかし桜音にはそんな態度すら可愛く見えるらしく、顔をしかめることすらない。

 紗矢音は桶を定位置に置き、それから簀の子に置いていた桜守の刀を手にした。刀は手にしてから間もないにもかかわらず、紗矢音の手によく馴染む。

(まるで、ずっとわたしの手にあったみたい。……なんて、まさかね)

 刀の柄を撫で、紗矢音はそれを正眼に構える。すると桜音も何処からか取り出した刀を構え、紗矢音を正視した。

 不意に表情を変え、桜音は真剣な目で隙を見せない。何処からでもかかって来て良いと事前に言われていたが、紗矢音は何処から何をして良いのかわからない。そういえば、本格的に刀を持って戦ったことなどないのだ。

 一歩踏み込めずにいる紗矢音に気付き、桜音は少しだけまとう気配を和らげた。

「落ち着いて。僕を倒そうと思わなくていいから、刀と心を通わせるんだ」

「心を……」

 命を持たない刀と心を通わせる。その意味が分からず首を傾げる紗矢音だが、桜音が嘘をついているという雰囲気でもない。息を整え、目を閉じた。

 手に伝わるのは、刀の感触。紗矢音は心を穏やかにし、これが鍛錬だと言うことを一先ず横に置いておくことにした。

(お願い、わたしに力を貸して欲しいの。大切な桜の木を絶やさないために)

 勿論、刀が言葉を発することはない。しかし紗矢音は、体の奥底から何かが湧き上がって来る感覚を覚えた。

「……え?」

 瞼を上げると、自分の手が刀を滑らかに扱っているように思えた。もしかしたらと思った紗矢音は、地を蹴って桜音に向かって刀を振りかざす。

「だぁっ」

「――流石、うまいね!」

 キンッと金属音が鳴り響き、紗矢音は自分の刀と桜音の刀が打ち合うのを目にした。紗矢音の体はもたつくこともなく、一度桜音と距離を取ると再び接近を試みる。そして桜音の刀を躱すと、再び切っ先を桜音へ向けた。

(わたしじゃないみたい。なのに、これは自分だという自覚がある。……ずっと前から、体の動かし方は身に沁みついている……そんなはずないのに)

 体は軽く、足ももつれない。むしろ桜音を追い詰めそうな勢いで刀を扱う自分自身に戸惑いながらも、紗矢音は桜音に導かれるようにして刀の扱いを学んでいった。

 鍛錬を始めて何刻もの時が過ぎ、気付けば夕刻へと差し掛かっていた。昼餉は取ったが、それ以来水しか口にしていない。それにもかかわらず、紗矢音は全く疲れを感じていなかった。

 桜音も疲れ知らずだったが、紗矢音の顔色が悪くなっていることに気付き足を止める。

「紗矢音、飛ばし過ぎたみたいだ。少し休もう」

「そう、ですか。なら……あれ?」

 きざはしの上の段に腰を下ろした紗矢音は、自分がぺたんと座り込んだことに気付いた。そして慣れない体の使い方をしたためか、急激に体が休息を欲していることを自覚する。

「なんか、疲れてしまったみたいですね……。おかしい、ですよ。さっきまであんなに」

「きっと、紗矢音の中に眠る……いや、刀の記憶を体がなぞったんだろう。紗矢音の本気で僕と対峙し続ければ、筋が良いからすぐに……」

「桜音どの?」

 急に押し黙った桜音を不審に思い、紗矢音は腰を上げかける。しかし彼が見据える自分の斜め後ろを振り向いて見て、その理由に気付いた。

「あれは……何者?」

「呪の気配を色濃く放ち、それでいて実態を掴ませない。……気配の酷似。成る程、お前か」

「……察しの良いことだ」

 紗矢音と桜音を見据える、黒衣の男。顔は布に隠されて見えないが、全身から溢れる霊力は激しく静謐だ。

 黒衣から覗く髪は、身につける直衣のうしよりも深い黒色。そして闇から見える瞳は、夜の空のように青みがかっている。美しいはずのその彩りは、彼の雰囲気がおどろおどろしさへと変化させた。

 ごくん。桜音は喉を鳴らすと、刀に手を掛ける紗矢音を制して前に出た。

、ここは後ろにいて」

「でも」

「良いから。そして……

 真の名を示す、真名まな。それには名を持つ人の全てが籠められていると言われ、奪われれば命さえも失いかねない。

 紗矢音は桜音の言う意味を正確に理解し、こくんと頷いた。

「いいこだ」

 ふわりと微笑んだ桜音は、チリッと痛む喉を手で押さえる。そして黒衣の男へ向き直ると、明らかに表情と気配を変えた。

 薄紅色の瞳は深紅へ変化し、霊力の鋭さが増す。

 桜音の変わりように対し、黒衣の男は感心したように息を吐き出した。

「ほぅ……。やはりお前は」

「この『呪』、解いてもらおうか」

 息を呑み呼吸さえ忘れそうな紗矢音の目の前で、二つの力がぶつかり合った。

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