第11話 本気の心配

 化生の鎌が振り下ろされ、紗矢音の首と胴体が分かれたはずだった。しかし痛みを感じることもなく、紗矢音はそろそろと瞼を上げる。

「え……?」

 さらり、と鮮やかな赤い紐でくくられた白髪が揺れる。目の前のそれを幻を見るような心地で見詰めていた紗矢音は、ぼんやりと呟いた。

「あなた、あの時の……」

「……」

 青年は手元の刀で化生を受け止めながら、わずかに振り返って微笑した。

 ──どくん。

 紗矢音の体の奥が大きく鼓動し、それに驚いた彼女の肩が震えた。顔に熱が集まり、胸が締め付けられる。

 青年の桜色の瞳に囚われる。

(何、これ? 身体中が熱い……っ、自分じゃないみたい)

 硬直し、動けなくなった紗矢音。彼女の盾となり、青年は化生の鎌を受け止め跳ね返し続ける。キンキンキンッと火花を散らす金属音が鳴り響き、徐々に化生を圧倒し始めた。

 青年の狩衣、その袖が翻る。全身淡い色目に覆われた彼は神々しく、しかし首もとだけは毒々しい紫色に染まっていた。

 はっはっ。規則正しく呼吸を繰り返し、青年の刀が遂に化生の鎌の根元を捉えた。化生は嫌がり逃げようとするが、青年は決して逃がさない。

「……っ!」

 刀が軌跡を描き、鎌が飛ぶ。カシャン、と地面に落ちるそれを目にした化生がけたたましく悲鳴を上げた。

「キイイイィィィィィィッ」

「──っ、消えろ」

 怒り狂い目玉単体で突進して来る化生相手に、青年はかすれ声でそう告げた。次の瞬間、断末魔も許さずに両断する。

 目玉の化生は灰塵となり、夜風にさらわれて行く。

「……」

 戦いの一部始終を見詰めていた紗矢音は、ようやくぺたんとその場に座り込んだ。もう危険はないのだと安堵し、体が耐えられなくなったのだ。

「だいじょう、ぶ?」

「あ……は、い」

 囁くように問われ、紗矢音は顔を上げた。青年の声が耳をくすぐり、頬が熱くなる。己の変化に戸惑いながらも、紗矢音は詰まる喉から一言ずつ絞り出した。

「助けて頂いて、ありがとう、ございます」

「きみが無事なら、それで良いんだよ」

 優しく愛しげに自分を捉える眼から、紗矢音は目を離せない。しばし見詰め合っていた二人は、どちらともなく声をかけようとした。

 しかし、折り悪く紗矢音を呼ぶ二人分の声が響く。

「大姫!」

「探したぞ、大姫」

「兄上、明信どの!? ……どうして」

「大姫、これの存在忘れてたな?」

 驚く紗矢音に向かって、苦笑した明信が指を鳴らす。すると白い蝶が現われ、ひらひらと紗矢音の周りを飛ぶ。それを見てようやく紗矢音は、明信が自分の傍に式の蝶を置いて行ったことを思い出した。

「そっか……、蝶が知らせてくれたんですね」

「そっか、じゃない。大姫、お前戦うことも出来ないのにどうして一人でここに来た? 俺や明信がどれだけ心配したと思ってる? 俺は、妹に怪我させるためにあの時同行を許したわけじゃないぞ」

「……ごめんなさい、兄上。明信どの」

 守親の言うことは正しい。そして、紗矢音の行動は間違っていた。少なくとも単独行動は戦う術を手に入れてからするべきであり、今はまだ守親に一声かけなければならなかったのだ。

 しかし紗矢音は、それを怠った。誰にも内緒で廃寺に行き、何かしら見付けてすぐに帰るつもりでいたのだ。

「でも、そう考えたことが甘かったんですね。まさか、化生が巣くっているなんて思いもしませんでしたから」

「……はぁ。わかったのなら、それで良い。頼むから、一人で危険に立ち向かうのは止めてくれ。寿命が縮む」

 ぽすん、と守親の温かな手が紗矢音の頭に乗る。その温度が、触れ方が本気で紗矢音を案じていることを教えてくれた。

「はい、ごめんなさい……っ」

 思わず溢れそうになった涙を拭い、紗矢音は素直に頭を下げる。そんな彼女の真摯な態度を見て、守親と明信は顔を見合わせ苦笑を洩らした。

 これでこの話は終わりだ。それを示すように軽く息を吐くと、守親は「さて」と白髪の青年に目を向けた。

 青年は三人の様子を邪魔するでもなく、ただ穏やかな笑みで見詰めている。彼に向かって、守親は「失礼だが」と前置きをした。

 一歩進み出て、紗矢音を隠すように立つと問う。

「あなたは、一体何処のどなたですか? ……妹を助けて頂いたこと、感謝しかありませんもしかし、怪しむことも悪く思わないで頂きたい」

「……守親」

「言うな、明信」

 明信が守親を止めようとするが、守親は首を横に振った。それ以上は明信も強くは出ない。

 紗矢音は兄の警戒の色に少し驚きながらも、改めて青年をまじまじと見詰めた。

 白い髪は背中に伸び、赤い紐で一つに束ねている。桜色と同じ薄紅色の瞳が印象的で、柔らかな光に紗矢音の心が掻き乱された。更に身につけた狩衣の中に着た単は、青々とした木の葉を思わせる深緑色。

(まるで、あの千年桜そのものの様……)

 青年に目を奪われていた紗矢音は、彼の右手が喉を覆うように押さえるのを見た。少し声を出しづらそうにしながらも、青年は守親の問いに答える。

「僕の名は、桜音おと。きみたち桜守のお蔭で生き延びる、だ」

「桜の、化身……」

 守親が驚き言葉を失う後ろで、紗矢音の呟きがやけに大きく響く。そんな紗矢音を見やり、桜音と名乗った青年は微笑した。

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