第六章 196×年、手紙、そしてレポート

第1話 朝の風景(宮瀬家の場合)

 それから三日間、清彦はチェルシーを救う方法を考えたが、いいアイディアは浮かばず、思考回路が堂々巡りで澱んでいく一方だった。

 チェルシーの世話をしに牛舎へ行く足取りは重かった。

 何も知らないチェルシーは穏やかな目をして草をんでいる。それを見ると清彦はますます胸が締め付けられ、焦燥感に掻き立てられるのだった。


 父とはあれ以来殆ど口をきいていなかった。夕食の席で顔をつき合わせても、頑なに無言を貫いた。父も同じだった。

 祥子が少しでも空気を和らげようと、学校であったことなどを大げさな身振り手振りで報告していたが、相槌を打つのは母だけで、宮瀬家の食卓はいまだかつて無いほどギスギスとしていた。


 翌日の金曜日は、午前中が休講だった。教授が東京での学会に参加するため、というのは先週の授業で既に聞かされていた。

 清彦は早朝に起きて美咲たちと共に牛の世話をした後、母屋へ戻った。


 居間では母が清彦用の朝食にラップをかけていた。

 母は最近になってこの薄いビニールのシートを使い始めた。祥子はこの文明の利器をやたらと気に入って、すぐに何にでもかけようとするのでよく母にたしなめられている。


「あら、おはよう」

 母は清彦の姿を目に留めると、弾むような声で言った。

「おはよう、祥子は?」

「もう学校。今日もバレー部の朝練だって」

「毎朝よく続くなぁ」

 祥子は日紡貝塚の女子バレーボールチームに憧れていて、毎日バレーの練習に明け暮れているのだ。

 清彦は台所へ行くと、コップに水を入れて飲んだ。


「お父さんはきょうは朝から仙台。農協の集まりで」

「そう」

 清彦はできるだけ無感情に相槌を打った。

「ゆで卵? それとも目玉焼き?」

 母が冷蔵庫から卵を取り出して訊いた。

「あぁ、いいよ。自分でやるから」

 清彦は立ち上がった。

「あらそう。じゃあよろしくね。お母さん、これから厩舎きゅうしゃに行ってくるから」

「厩舎に?」

「そうよ。古川に乗馬クラブを開業する人が、下見に来るのよ。馬を何頭か買いたいんだって」

「へぇ、そうなんだ。俺も行こうか?」

「いいわよ。厩務員きゅうむいんの増村さんと金井さんも一緒だから。どちらかと言えば私の方が付き添いみたいなものなのよね」

 母は早口でそう言うと、割烹着姿のまま玄関へ向かった。

 清彦も見送りに行った。


 

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