第6話 清彦の願い

 早朝の陽光が眩しい。清彦は思いきり体を伸ばした。

 久しぶりに作業着に袖を通したが、こころなしかきつく感じる。大学に入ってからまた少し背が伸びた。


「清彦さん、おはようございます」

「ああ、おはよう」

 倉庫の脇を通りかかった時に声を掛けてきたのは、今年入ってきたばかりの従業員、美咲だった。

 特別美人という顔立ちではないが、そばかすとツンと上を向いた鼻に愛嬌がある。

 農業高校出身らしく、作業着姿も結構サマになっている。


「珍しいですね、清彦さんがこんな時間から牛舎にいるの」

 美咲は作業の手を止めて、駆け寄ってきた。

「何だか眠れなくてさ。それより美咲ちゃん、敬語使わなくていいよ。同い年なんだから」

「いやぁ、私、敬語じゃないとなまってしまいますから」

 そうは言うが、美咲の敬体標準語には十分にズーズー弁が入っている。

 清彦は、恥ずかしがることはないのにと思い、

「そっだら、かまわね! オラだってもそれで通じるだからよ」

 と言い放った。

 美咲は口をあんぐり開けて言葉を失っていた。

 ちょっとからかうだけのつもりだったのだが、美咲には衝撃が大きかったようだ。

 途端に清彦は照れくささを感じ、微笑を浮かべて頭をかいた。

 普段坊ちゃん坊ちゃんしている清彦にだって、地元の言葉くらい喋れる。それを普段喋らないのは、父親の帝王学とやらに反するからだ。従っているうちに地になってしまったのがしゃくだ。


「飼料運んでるんだね。手伝うよ。あっち?」

 清彦は切り替えるように一息に言うと、ポケットから軍手を取り出した。

 美咲はまだ化け物でも見るかのような目で無言で細かく何度かうなずいた。

 清彦は飼料の袋を台車に積み上げると、牛舎へと運んだ。


 他の牛と同じように、チェルシーはもう起きていた。

 チェルシーは清彦の姿を目に留めると、首をぶるんと振り、ぶもお、と鳴いた。

「おはよう、チェルシー。お前こんなに早起きなのか。ごめんな、今度からはもっと早起きしてくるからな」

 いつも清彦は学校へ行くついでにチェルシーに餌をやっていたのだが、それだと空腹でたまらないだろう。清彦は反省した。

 実際は、早番の従業員が他の牛に餌をやるついでにチェルシーにもあげているのだが。

 清彦は餌を食べているチェルシーの喉を撫でた。

 今度、という自分の口にした言葉に胸が痛んだ。


 父は嘘つきだ。

 チェルシーが生まれた時、俺に「くれた」くせに。

 最初から最後まで世話をするというのが約束だったじゃないか。その約束すら守らせてくれないと言うのか?

 しかし、そんな綺麗な約束事、家族の、従業員の、牧場の現実の前ではもろくも崩れ去ってしまう。


 力が欲しい、と思う。チェルシーを守る力。

 チェルシーだけを守りたいわけじゃない。

 でも、まずはその力を手に入れることができたら、それはやがて、ひいては自分を、家族を、従業員を、牧場を守る力へと変わるだろう。


 強くなりたい。

 清彦は陽の光を浴びて目を細めるチェルシーの背中にそっと手を置いた。


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