第26話
ゴーレム隊の頭たるボイソスに防戦一方の千月は、降り落ちたロクサーヌの長剣に目を奪われて、ゴーレムの拳をまともに受けてしまった。
「脇見とは……それほどの余裕がまだあったのだな」
「糞が……重すぎるやろ……」
さらさらした血液が混じった唾液を、千月は吐き出した。
彼女の推測が正しければ、ボイソスが同時に戦闘行為をとれるゴーレムの数は3体までが限度のようだった。北領軍がゴーレム1体に4人対しても苦戦する強敵を、千月はさらに2体も受け持てているのは、彼女の決死の努力の成果だ。
そんな千月の希望を切り捨てようと、ボイソスは宣言する。
「苛烈を増すぞ。精々惨めに足掻くがいい。まずは血祭と行こうかッ!」
ボイソスは複数個のコアを、塩をまくように投げ捨てて使役の言葉を紡いだ。数多のゴーレムに惨殺されるのだと絶望を齧った千月は———コアの奇妙な挙動に、動揺が口を衝いた。
「待て!」
コアは人型に組み上げられることなく、地中を這い、地面に裂け目を引く。千月は直線が目指すところを目で追って「逃げろ」と兵士達に叫んだ。しかし、鉄のような土と武器がかちあう騒音で聞こえないのか、彼らはその場を移そうとしない。ならばコアだけでも掘り起こそうという気持ちは山々だが、3体のゴーレムに手を焼いている千月に対処はできない。そもそも爪で土を抉ったところで、深くに潜るコアに届かなければ暖簾に腕押しだ。
ボイソスの猛攻は容赦がない。故に、彼女は見捨てるしかなかった。
潜行するコアは土の人型を手に入れ、浮上の結果、兵士達の足を取る。それが意味するのは、蹂躙だ。
兵士達は、ゴーレムの見た目の無骨さからは思いもよらない剽悍さに盾に頼りきりで、反撃に転じられていなかった。もし転倒してしまえば、殺戮が鎌首をもたげてやってくるのは必至。
ボイソスの一手は決定的だった。彼が兵士達を転ばせるだけで勝敗は決した。
振るわれるゴーレムの膂力のままに、果敢にも戦った戦士たちは盾ごと踏みつぶされ、顔を亡くし、血肉をまき散らす。
「———」
千月はこの戦局で、独りぼっちになった。
「味気なさも過ぎれば無聊か」
千月の失意を察したボイソスは、ゴーレムの攻撃を中断した。彼女は項垂れて、何かをぼそぼそと呟く。それが、ボイソスにとっては首を差し出しているかのように思えていた。
血に濡れた平原の遠方で巨人が動き出した。いよいよ計画の完遂の時と知り、ボイソスは喜びのあまり息を弾ませて、決着を下そうとした。
「あたしの手が届かんとこで、掬わなあかん命がこぼれていく。碌に戦い方も知らんくせに志はいっちょまえなんやから、ずるいわ」
それはボイソスにも明瞭に聞き取れた。彼にとって支離滅裂な吐露に、千月は遂に精神が崩壊したのかと一考した。だが、それは違う。彼女は決意に満ちているのだ。
「この国だけでも救われな……そうやないと浮かばれんやろ! アリオス、ファシア、フロネー……。シンフォレシアの為に命を散らしたみんな。あんた達の犠牲を無駄にはしたくない。だから、テメェらをここで殺す!」
暇を持て余した残りのゴーレム隊が彼女のもとへじりじりとにじり寄る中、千月は空に手を伸ばし、シンフォレシアの神に宣言した。
「あたしは吉田千月……いや、チヅキ・シンフォレシア! 神鳥の親友にして盟友、初代シンフォレシア王の血を継ぐ使者! 蒼穹のフェニックスよ! あらん限りの力をあたしに寄越せ!」
彼女の雄叫びに呼応して、四方八方に青い炎の壁が立ち上がる。錬金術師達も、ゴーレムも、勇士の亡骸さえも、彼女の火炎領域は包囲した。
「狂人が! 世迷言を並べおって……」
こんな炎、こけおどしに過ぎない。愚昧な小娘のやることだ。抜け道はあるだろう、とボイソスはゴーレムの腕先を炎に触れさせた途端、その体は直ちに燃えかすになり、コアは焼却された。
「なッ!」
ボイソスは首を伝う汗が高温によるものなのか、それとも焦燥なのかを考えなければならない筋違いな衝動に従って、切羽詰まった思考をそれに割いてしまった。
間違いなく前者のはずだ。私はいたって冷静。イポスティ様の至上たる理論の補佐を努め上げるこの私がここで脱落するなど道理が通らない。そうだ、これは試練なのだ。神鳥様が下した、私が乗り越えるべき難関。乗り越えられない試練は、試練とは呼べない……!
自身の失敗を否定しようと躍起になった時点で、彼は手遅れだったのだ。もっと建設的な、自身を防衛する手段だけでも考えていれば、結末は変わったのかもしれない。
「もっと高く、もっと激しく! これが正真正銘、あたしの最期!」
千月は空へ飛びあがる。巨人の背丈を超え、雲を越え、静寂の夜空へと着く。
宇宙へと少し近づいただけで夜空はそうそう変わるものではない、と彼女は軽んじていたが、違った。澄んだ空気では星はとても輝き、まん丸の月の表面には、確かに兎が餅をついているようにも見える。彼女はほんの一瞬だけこの光景が美しいと感じ、故郷の母に想いを馳せて、頭を横に振った。
この身は今から、無垢な世界に捧げるのだ。そう思い直すと、彼女の全身は炎に抱かれた。シンフォレシアの行く末を見届けることは叶わない。敵も自分も燃え尽きるのだろう。でも、それでもいい。千月は神鳥と心を交わすと、掠れた声で述懐する。
「———ああ、神鳥サン。あたしも同感や。こんなけったいな国、失ってしもうたら惜しくてたまらん」
千月が身に纏う炎は鳥の形となり、急降下を始める。
千月は神鳥の正体を外の世界の知識で見抜いていた。その鳥は時が来れば祭壇の炎で焼死し、灰から生き返ることで、不死で在り続けるという。無限の生命を持つと云われるが、死を経なければ存在し続けられない。つまり『その鳥』にとって『死』とは、新たに『生』を紡ぐ前段階。次の世代へと時代を明け渡すための儀式。不可欠の過程。
其れこそは———
「≪
千月は自らの命で、領域内の全ての生命を燃やし尽くす業火を現出させた。錬金術師達に訪れた不幸中の幸いは、炎に体を焼かれる恐怖を感じないまま灰と散ったことだろう。
役目を終えた火炎領域は途切れ、そこには焦土が残った。根から焼け落ちた草は、数年は生えるまい。しかし唯一、死の土地で依然、脈動を波打つのは、大の字で仰向けになる千月のみだった。
———捨て身の覚悟はあった。自分はここで死ぬのだろう。ならば上々だ、と臨んだ一撃のはずであった。それでもなお生き永らえているのは、神鳥の厚意としか千月は考えられなかった。
「あたしは救う側なのに……救われてもうとる。ほんま、敵わんなぁ」
千月が感慨ふけっていると突然、爆発音が轟いた。見れば、巨人の胸が破裂し、誰かがまだ戦っている。それが意味することを目聡く悟って、千月は残り僅かな体力を振り絞る。
「あの子には、武器が要るやろう」
ギリギリ領域を免れていたロクサーヌの長剣に千月は腹ばいで寄ると、大切に服に留めていたバッヂを引きちぎった。
「ファシア、行ってくれるか?」
土に深く刺さった長剣に血塗られたバッヂを擦った。キイィン、と高らかな鉄の音が鳴り響いたかと思うと、血液に残っていた僅かな紋呪の力は、バッヂを鳥の姿に変えた。
「おおきにな……」
幻想の聖鳥は剣の鍔を両の趾で握り、ロクサーヌの側に向かって羽ばたいていった。
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