第4話 彼等は天狗


「おいっ! ……おっ。目が覚めたか」


 野太い声で呼びかけられ不快になり身をよじる。目を開ければ無精ひげだらけのむさいおっさんの顔面が視界いっぱいに広がっていた。自分の17年の人生で片手の指の数に入るほど最悪の目覚めだ。


「うわっ。お、犯されるっ」

「あいかわらず失礼な態度の小僧じゃのぉ」


 反射的にのけぞり飛び上がっておっさんから僕は距離をとった。この男を見ているとなぜだか体が悲鳴を上げる。十分に距離をとって改めて対峙して見る事で彼の全体像をはっきり窺う事が出来た。格好は色合いこそ異なるが例の少女と同じような時代にそぐわない山伏装束に一本歯の高下駄というものだ。

 容姿はひと言で言えばソース顔。濃い。厳つい顔に無精ひげ。しかしぱっと見では気づかなかったがよく見ると整っている部類で長髪を適当に後ろでまとめていた。渋い感じで彫りの深いおじさま好きにはモテそうではある。

 体型はゴワゴワした服装の上からでも分かる筋肉質のがっしり体型でひと目見ただけで強いと分かる。少なくとも僕は喧嘩を売りたくはない。高下駄を履いているせいで長身も際立ち外見だけでもの凄い威圧感を感じた。


「あっ」


 そこでやっと気づく。外見は凄まじいが不思議と存在感を感じられないおっさんの背後、彼の衣装の端をつまみ隠れるようにして例の少女がこちらを見ていた。


「状況は理解出来ているか?」


 おっさんに言われて状況を客観視してみる。正直記憶もあいまいで何が何だか分からない。事実確認のため周囲を窺えば現場にいるのは自分を含めて3名。非常に可憐な少女と意識を失ったイケメンの僕。そして……そんな僕を値踏みするような目で見つめる山賊風の強面こわもてのおっさん。察しのいい僕はすぐにピンと来た。考えるまでもない事だ。相手を刺激しないよう恐る恐る尋ねる。


「なるほど。つまり……人さらい、ですね?」

「っ! 違うわっ!! しっかり、真面目に、考えて思い出せっ!」


 誘拐犯の顔色を窺うように丁寧な敬語で答えてみたがどうやら怒らせてしまったようだ。いったい何が気に食わなかったのだろう? 僕は極めて真面目に考えてやっているのにこういう理不尽な怒りをぶつけられる事態に度々直面する。僕が他人より平和主義者でなかったら自分の人生は今頃大変な事になっていたはずだ。正直、周囲の人間は人間が出来ている僕に感謝して欲しい。見返りを求めない優しさにも限度ってあると思うんだ。


(ん? やばっ。なんかさっきより怒ってないか?)


 その考えを口に出したわけでも無いのに、なぜだか先ほどより太い青筋をこめかみにビキビキ浮かべたおっさんの姿を見て慌てて思考を切り替える。

 よくよく考えてみればおっさんは少女と似た格好をしていて少女の方も彼には気を許しているように見えた。つまりは関係者である可能性が高い。いきなり拉致を疑ったのはちょっとだけ失礼だったかもしれない。

 そうなると気になるのは僕が意識を失った経緯いきさつだ。


 順を追って記憶を整理する。僕は少女を追ってボロボロの鳥居をくぐった。

 そして獣道とも言えなくなってしまった鬱蒼とした道を進んでしばらくすると開けた場所に出て……少女とこの男が立ち話をしている所を目撃する。

 少女の姿を見つけ嬉しくなった僕は駆け寄って2人に話しかけ……それから、


 それから――――


 瞬間、全てを思い出した。いったいなぜ忘れていたのだろう。から体が警告を発し全身に鳥肌が立つ。僕は軽口をたたく余裕を無くし臨戦態勢で彼等から再び距離をとった。


「――――


「ようやく思い出したか。これで信じる気になっただろう」


 そう。初めて出会った時、彼等は自分達の正体を一切隠さずそう告げた。


 もちろん、僕は信じる事など出来ない。当たり前だ。天狗といえばあまりにも有名な妖怪。それほど詳しくない僕だって知っている。鼻が高く、赤ら顔で、翼を持つ山の神とも伝えられている空想上の生き物である。

 

 僕には見えてしまっているため霊の存在は否定出来ない。人が死んで色々不幸な条件が重なってしまうと幽霊と化してしまうのは、自分の短い人生で実際にこの目で見て育ってきたので信じる事ができる。

 が、彼が主張するのは人との繋がりもなく完全に空想上の生き物。未確認動物、UMAである。そうなると話は別だ。

 正直な話、少女自身が僕に向かってそう主張したのであれば一考の余地があった。たとえ伝わっている外見とは違い目が紅いだけの普通の人間にしか見えなくとも。彼女にはそれだけの迫力がある。圧倒的存在感、生物としての格の違いをそこにいるだけで痛感させられるのだ。真面目に天狗の存在の有無を考えていたかもしれない。


 しかし、この男からは何も感じない。


 外見は強面で筋肉に覆われた身体は迫力がある。だが――――それだけなのだ。

 むしろ少女とは真逆と言っていい。隠れる訳でもなく目の前にいるのに希薄な存在感のせいで、その威圧的な外見でなければ喧嘩を売っても問題が無さそうに感じてしまう。瞳の色も黒で鼻も普通、顔も強面なだけで翼も無いときていた。信じられる要素は何も無い。


 気を失う前、彼等と出会い話したこの時点で僕は完全にこのおっさんを侮り舐めていた。


「へえ。天狗ですか。なんか色々凄いですね」

「お主、信じてないな?」


 少女の存在など色々計りかねていた部分もある。が、このままでは埒が明かない。はっきり言うしかないだろう。いつも通りの自分を装って。ここは敢えて自分らしく、緊張を隠しながら意図して相手を挑発する。


「いやいや。信じられる訳ないでしょう? まったく。いい大人がいったい何やってるんですか。貴方だけならともかく、そんな子供にまで歩きづらい格好させて。これは、いち登山家としての意見ですがあまり山を舐めない方がいいですよ? 怪我してからでは遅いんです」


 僕は自称天狗の痛い男に向かってそう言った。見ず知らずの未成年の子供に小馬鹿にされたのだ。普通であれば頭に来るだろう。理性が取り払われた剥き出しの感情には本質が見える。それを狙った。今回の軽口はフリに過ぎないが言葉に含むトゲの中にはもちろん子供を山で危険な格好で放置していた事に対する僕自身の怒りも多少ある。

 少女と男の関係性は不明だが無関係という事はあるまい。

 

 何らかの大きな反応が返ってくると僕は警戒して少しだけ身構える。

 そんな意図した失礼な言動を彼は目を瞑り深く噛みしめた後――――僕の思惑とは裏腹に楽しげに笑いながら言葉を返した。


「ふむ。初めての山登りの癖に何を言うておる。しかも、物を知らんとはいえこの儂に向かって山を知らぬとは。その内心はどうあれ、態度だけは天狗にも劣らぬすごい小僧だ。いいだろう。挑発にのってやる」

「へっ?」

「久方ぶりの来訪者。死んでしまう前に今の人の世の事情を尋ねてみたかったが致し方ない。お主が望む証拠を見せてやる。出来るなら衝撃で死んでくれるなよ? 儂は少しお主を気に入った……最もただの人の身には無理だろうがな」


 「その意気やよしっ」とばかりに笑みを浮かべながら続けられた言葉に聞き捨てならない単語がいくつか混じり困惑した。なぜ僕が登山初心者と知っている? それにそうなるように仕向けたのは事実だが口に出して証拠をみせてみろと言った訳でもない。展開が早すぎる。表情かおに出ていた? 明確な証拠でも無い限り絶対に認めないと内心思っていたがこんなトントン拍子に話が進むものだろうか。それにさらっと最後に付け加えた死ぬってなんだ? 

 そんな疑問が頭を埋め尽くした時、そんな不審など全て吹き飛ばすほどの衝撃が僕の全身を貫いた。機能不全に陥った脳ではなく本能で失敗を悟る。


「――――――――あ」


 衝撃的な体験だった。


 人の形をした怪物がそこにいた。紅い目の少女を軽く凌駕する圧倒的な存在感。

 漆黒の瞳はいつの間にか一変している。少女と同じ燃えるような真っ赤な瞳。見る者すべての不安をかき立て畏怖させるその目は、纏う雰囲気と溶け合ってどこか神々しさすら感じられる。

 全身の皮膚が泡立ち毛が逆立つ。瞬時に駆け巡った悪寒と、ただだけなのに己の心臓を直接握られたように感じ、血液が逃げ場を求めて体全体を暴れ回る。


「――っ!?」


 呼吸いきが出来ない。脳は狂ったようにこの場からの離脱を指示するが、恐怖であらゆる筋肉が硬直し指先ひとつ動かす事が出来なかった。

 目の前の化け物に対し地面に縫い合わせられた肉体と酸欠でさらに余裕がなくなる頭。パニックになり正常な判断力を喪失した脳は「逃げろ!」と指令を出すだけで、自分の身体に起こったその矛盾に気づけない。

 そして僕は意識を手放した――――ただ気を失ったばかりでなく直近の記憶まで飛んでいた。

 本人が語ったショック死とは誇張ではなかった。下手をしたら本当に死んでいたかもしれない。完全に見誤った。規格外の少女と一緒にいた男もやはり普通ではなかった。むしろこちらが親玉。無害に見える分ずっとタチが悪い。


「信じてもらえたかの?」


 意識を取り戻した時には既に元の雰囲気に戻っていたおっさんが、笑いを堪えて言う。僕としては当然笑えない。洒落になっていないのだ。

 しかし、先ほどの化け物と目の前のおっさんの雰囲気の違いはなんだろう? 自分は身をもって体験したから絶対に侮る事なんて出来ないが、今こうして改めて相対してもまるで強烈な白昼夢でも目撃した感じだ。

 そんな疑問に先回りして答えるようにおっさんは女の子の頭に手を置いて僕に言った。


「この子は幼いから自分の気配の消し方に無頓着でな。儂ら天狗の世界では自分の気配も消せないのは未熟者の証よ。本来は狩りの時に獲物を刺激するからそこで自然と覚えるものなんだが……この飯綱いづなの場合はちと狩りに連れていけない事情があっての」


 女の子は飯綱と言うのか。彼女は僕が目を覚ましてからも、ずっとおっさんの後ろに隠れているので強大な雰囲気とは裏腹に人見知りする性格なのかもしれない。しかし気配を消す……それに狩りと来た。この情報化社会においてあまりに現実感離れしている。

 それに――また、だ。また僕の疑問に先回りするように頭の中で考えた事に対して答えが返ってきた。気味が悪い。

 僕は内心の怯えをみせないように何とか会話の主導権を握るべくささやかな抗議の声を上げる。


「冗談じゃなく本当に危うく死ぬところでした」

「そうだな。本来なら死んでいない方がおかしいのだが……お主が寝ている間に気づいた事もある。儂は愛宕あたごと申すが、小僧。お主、名を何という?」

「それは……」


 とっさに逡巡する。天狗を自称する怪物に対して本名ではなく偽名を名乗るべきではないかという考えだったが、そんな僕が考えた小細工は次の男のひと言で完全に粉砕された。


「――――鞍馬くらまかける……そうか…………やはり鞍馬、か。面影がある。面白い」

「……えっ? は!? ど、どうしてっ」

「心を読んでおるからの」

「は?」


(心を、読む? …………いや、反則だろ。そんなん……)


「まぁ、歩きながら話そうか。お主であれば身の安全だけは保証しよう。ああ。もちろん逃げようとしても無駄だからな」


 最後の抵抗の芽すら読心という反則技のせいで事前に芽吹く前に摘み取られ、僕はとんでもない人達に関わってしまった自分の悪運に悪態をつきながら肩を落として彼の言葉に従った。





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