第3話 出会いと旅立ち


「あれ? 階段がある」


 かなりペース落としてそのまま登っていると少し先に分岐が見えた。案内板があり階段の方は展望台に繋がっているようだ。少し遠回りになるようだがそのまま1号路とも合流できるらしい。その場でしばらく見ているとほとんどの登山者はそのまま舗装された1号路を登っていく。先ほどの件もあり時間を潰したい僕はほぼ無意識に階段の道を選択した。

 人気ひとけは無くなったが急勾配きゅうこうばいは相変わらず。登る坂が階段に変化した事でさらにキツくなったように感じる。コースを外れないよう神社を思わせる石柱が並んだ未舗装の道を息を上げ登った。


(せっかく来たんだし。それに念願の登山っぽい道だ――――うぅ。階段もキツい。それに流石に暑い。汗が気持ち悪くなってきた)


 割と直ぐに展望台に辿り着いたのでまず上着を脱いで半袖になった。ついさっきお爺さんの霊に追いつくために全力疾走したので5月にも関わらず中のシャツは汗で凄い事になっている。


「――――ああ。涼しい。それに良い景色だなぁ」


 無人の展望台から僕は街を見下ろす。さぁーっと吹く心地よい風に目を細め静かに景色を堪能していると大きな鳥が旋回しているのが見えた。

 ピーヒョロロロと特徴的な鳴き声。とびである。


(長閑のどかだ。展望台も僕の悪運が仕事を放棄しているのか祝日にも関わらず独り占め。いいね。うんうん。コレだよ。コレを求めて来たんだ)


 その場で目を閉じる。この場には僕以外の人間が近くにいない事もあり、視覚を閉ざし体全体で自然を目いっぱい堪能した。少しだけダメージの入ったメンタルと無駄に消費した体力が随分回復したような気がする。


(なんだかんだ来て良かったかも。んじゃ、残りの登山も頑張るか) 


 戻った気力に意気を上げ再びまぶたを開ける。この場所からの景色を記憶に充分刻みつけ満足した僕は展望台で最後に一度大きく息を吸い込む……少しだけ薄着で風に当たり過ぎたかもしれない。ゾワゾワと体の中心から得体の知れない寒気が沸き上がってきた。上着に手を掛けゆっくりと振り返る。


 目と鼻の先、そこにいた。


「――――っ!?」

「…………」


 気づいた時には手を伸ばせば触れられる位置関係にソレはいる。ここまで接近を許しているのに目で気づくまで全く気配を読む事が出来なかった。そして最初に思った事は……


(……なんだよこれ――)


 外見は10才にも満たない可愛らしい少女。そんな子供が1人、首を傾け不思議そうに僕の事を見ている。

 髪は短い。日本風に言えばおかっぱ。洋風に言えばボブカット。着ている服は白を基調とした現代では見慣れない珍妙なもの……昔テレビで見た山伏装束やまぶししょうぞくと呼ばれたものに酷似こくじしていて時代錯誤も甚だしい。

 履いている靴も酷い。

 低山で歩きやすいように舗装されている道が多いとはいえここは歴とした山。それなのにバランスを取るのも難しそうな一本歯の高下駄を難なく履きこなしているように見える。

 そして極めつけはその目。興味深そうに開かれた瞳の色は深紅。普通ではありえない緋色の瞳。


 カラコンをしている場違いなコスプレ幼女。そして他に人影は見当たらない。通常であればこんな格好の少女を放置していったい親は何を考えているのだろう? と疑問に覚えるところだが――――


(ヤバい)


 普段の自分ならいくら奇抜な格好の変わった子供でも周囲に保護者の姿がないなら話しかけていただろう。理由を聞いて、もし迷子であるなら一緒に親を探していたはずだ。しかし。

 

(逃げなきゃ)


 自分の肉体が目の前の少女に警告を発している。紅い瞳から目が離せない。カラコン? まさか。コレはだ。体の芯から来る震えによって意図せず呼吸が乱れる。


(死ぬ?)


 少女は別にこちらに敵意など持っていない。ただ不思議そうに僕を見ている。なのにそこに存在するだけで感じ取れるプレッシャー。まるで落雷の直撃を受けたような衝撃。胸を占める焦燥に根拠なんてない。本能や直感と呼ばれる機械に備わっていない機能で理解しただけ――コレは生き物としての格が違う。

 僕は意図せずこのように強烈な存在感を振りまいている人間を知らない。あえて近いものを例えるなら例の影。幽霊。その中でも取り返しのつかない状態に至った者。その身を赤く染め致命的に人間と違ってしまった者が発する気配。それをより強力にすれば近い雰囲気になるかもしれない。でもきっとそれも違う。ここまでの存在感、圧倒的気配であるなら幽霊を認識できない通常の人間にもきっと見えてしまう。必ず知覚できる、そんな確信がある。

 人間でも幽霊でもない者。僕はそんな存在を知らない。

 

(殺される)


 頭では、理性ではそんな事はありえないと否定している。現に少女は微動だにせずにたたずんでいる――――しかし生き物の防衛機能が、生物に備わった原初の衝動が体を勝手に支配して僕は無意識に一歩後ろに後退してしまった。

 

「――――――あ。うぅ」

(えっ?)


 少女がポツリと年相応に聞こえる舌っ足らずな声で意味の無い言葉をもらす。

 同時に彼女が浮かべた表情を僕の脳が読み解く前に、謎の少女は目にも止まらぬ早さで展望台の近くにあった鳥居をくぐり、続く小さな階段をたった一度の跳躍でやしろごと乗り越え瞬く間に視界から消えてしまった。

 まさに人間離れした人外の挙動であった。


「ちょ、待っ」


 慌てて追いかけようとしてすぐに足を止める。

 得体の知れない少女に恐れをなして固まっていた自分にいったい何ができる? むしろ最悪なくらい運に恵まれない僕にとって随分と都合がよく、ある意味理想的に物事が進んだのでは?


(……)


 無言で鳥居の前、地面に刻まれた真新しい傷跡に目を落とす。深く深く陥没し、並んだ線状の跡は彼女が履いていた一本歯の高下駄の跳躍前の踏み込みによってつけられたものだろう。人間離れした動きに目を取られていたのは確かだが、流れるような自然な動きで決して不自然な力を入れて踏み込んでいるようには見えなかった。


(……明らかに人間じゃない。目の色。まとう雰囲気。人外の身のこなし。そうだよ。間違いはない……はずだ)


 深呼吸を繰り返し自分に言い聞かせる。

 ジッと少女が消えていった先を見つめ、人間じぶんとの違いをあげていく。それ以外の可能性をなるべく考えないように。住む世界の違う生き物と不運にも遭遇してしまったんだと自分自身を説得する。

 

 あの子が別れ際に浮かべた顔を思い出さないように自分に言い訳を重ねていく――しかし、僕にソレは無理だとすぐに気づいてしまった。

 

(でも――――もし、違ったら? 普通の人間ではないかもしれない。でも……あんな霊を僕は知らない)


 僕は自分がまともな人間ではないという自覚が多少はある。

 あまり人の話を聞かず傲慢で負けず嫌いな目立ちたがり屋……とは昔からの友人のげん。他にもプライドが高いとかごちゃごちゃ言われる事があるが、そこまで属性マシマシの酷い人間はいない。きっと彼のひがみも多分に含まれている。

 自覚があるところでは昨晩、ガチャにお金を使い込んでしまった事から分かるように欲しいものがあればどうしても手に入れたくなってしまうし、幽霊お爺さんの件でも自分のエゴを通すためなら周囲の人間をドン引きさせてもあまり気にしない性格のはた迷惑な人間といったところか。


(……振り返ってみるとろくな人間じゃないな。僕は。それでも、さぁ)


 さっき一瞬だけ、少女が浮かべた表情をしっかり思い出す。

 

(あそこまで規格外な子にはたして親がいるのか。事情は知らない。でも、あんな風に独りぼっちで寂しそうな表情かおをする小さな子供を放っておくほど――――僕はまだ人間捨ててない)


『貴方が心の底から正しいと感じた道を曲げるくらいならお母さんは反対しない。そしてもし、彼等に関わると決めたのなら――迷わずキチンと最後までやり抜きなさい』


 小さい頃、どうしようも無いこんな僕に期待してくれたその信頼だけは決して裏切らないように。いつかの母に胸を張って誇れる自分になれるように。

 何より自分の辿る道だけは決して嘘や誤魔化しで舗装していきたくはないから。


(うん。もう、恐くない)


 止まってしまった足を一歩踏み出す。軽くなった両足で小さな階段を踏破とうはして小さな鳥居をくぐり社の裏をのぞき込む。

 裏手にまともな道はなく斜面は急だ。ここから先は人が通行するように想定されていないのだろう。

 そしてその先に――――正面にあったものと比べ随分と古びた鳥居がもう1つ存在していた。人の手が入った様子はまったく無く完全に風化しており今にも倒壊してしまいそうだ。


「よしっ。行こうっ」


 それでも彼は足を踏み出す。

 自分が歩む道を自らの信じる正しい道とするために。決心した事を一切曲げない彼は意気をあげ彼女を追ってその古びた鳥居をくぐった。

 

 注意深く時間をかけて観察すればボロボロの鳥居の輪郭りんかくがほんのうっすらと黒い影に覆われている事に気づけたはずだ。


 しかし、もはや少女を追いかける事だけに道を定め前しか見ていない彼は気づけない。彼にとって鳥居は通過点であってゴールではないのだ。定めた目標はその先に存在する。

 鳥居とは人間の世界と神域を分けるために境界に存在する門である。そしてその神域の入り口を示すための門は彼がその足を踏み入れた後、この世界にゆっくり溶けるようにして消えてしまった。

 まるで初めから鳥居など存在していなかったように人の気配が完全に無くなった辺りには静寂が戻る。遠くでとびが獲物を求める鳴き声だけがむなしく山々に響き渡った。

 

 こうして2022年5月5日ゴールデンウィーク最終日のこの日、鞍馬 翔は現代から完全に消失した。




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