ころりん

ミドリ

ころりん

 権兵衛には、遅くに生まれた一人の娘がいた。名前はましろ。肌が透ける様に白く可愛らしかったことからその名が付いた。権兵衛と妻のおつたはましろを目に入れても痛くない程可愛がり、大事に育てた。


 だが、ましろが年頃の美しい娘へと成長したとある日、ましろはこつ然と姿を消した。権兵衛とおつたは半狂乱になって近くの山に入っては探したが、痕跡は見つからない。目の下をクマで真っ黒に染めては、毎日日が昇ってから沈むまで、ひたすら探し続けていた。


 山に囲まれるこの村で娘が消えれば、熊に食われたか迷って野垂れ死んだかのどちらかだ。村人は皆、そう考えた。無事に年貢を納め年を越さねば、来年には飢える。働き手である権兵衛とおつたが二人共この様では、村が困る。そこで、隣家に住まう彦一に頼み、「もう諦めたらどうだい、一緒に弔ってやるからさ」と肩を叩かせた。


 弔う。つまり、ましろはもうこの世にはおらず、夫婦がいつまでも嘆いていては、その魂は極楽浄土に辿り着けない。だからもう解放してやれ、そう説かれ、権兵衛はついにましろを見つけることを断念したのだった。


 ましろがいなくなってからの夫婦の家は、それは静かなものになった。二人は、ましろの思い出を語り合うことでその悲しみを和らげていき、刻々と二人の髪が白く変化していく内に傷心は徐々に癒やされ、ましろの思い出を語るのが、やがて二人の和みの時間へと変わっていった。


 とある日、権兵衛は枯れ枝を拾い集めに山に入った。雪が降り始める前に貯めておかねば、冬に凍えることになる。


 無心で枝を拾い続けている内に、普段あまり入ったことのない場所に踏み入ったことに気付いた。この辺りは斜面が急で、時折土砂崩れや雪崩が起きる箇所である。その為、ここは土地神様の聖地だから足を踏み入れてはならぬ、と代々村で語り継がれていた。


 遠くに村から立ち上る煙がたなびいているのが確認出来ほっとした権兵衛は、斜面に向かって手を合わせると、


「少しだけ休ませておくんなせえ、すぐに出ていきますから」


 そう言って、その場でしゃがみ込み、おむすびを包みから取り出した。ひと口ぱくりと食べると、白米の甘い味が口の中に広がる。


「今頃、ましろも極楽浄土で美味しいまんまを食べているだろうか……」


 極楽浄土というものは、西の方面にあるのだと寺の坊さんが言っていた。ましろはそこに行ったのだ、そしていずれ人は皆そこへ行くからいつか会える、それまで待てばよい、そう説いてくれた。


 ひとつ目のおむすびを全て食べ終わると、ふたつ目に手を伸ばす。すると、ポロリと手から滑り落ち、斜面をコロコロと転がっていってしまったではないか。


「ああ、待ってくれ!」


 以前よりは豊かになったこの村だが、米が貴重であることに変わりはない。夜には山菜が入った汁と漬物を齧る程度の食事だ。まだ山を下り枯れ枝をきちんと積み上げねばならぬのに、これでは力が足りなくなる。


「ああっ!」


 おむすびを追いかけて斜面を駆けている内に、足がもつれ、権兵衛はおむすび同様転げ落ちていく。


「うわあああ!」


 急な斜面の所為で、勢いはちっとも衰えない。これは拙いと激しく回転しながら考えるも、どうしようもない。


 すると、先を転がり落ちていたおむすびが、斜面の陰に隠れる穴の中へとすぽんと落ちた。


「ひいい! た、助けてくれえ!」


 このままでは自分も同じ様に落ちる。おつた一人では、村で生きていくのは難しい。


 ああ、おつた――。


 目の前にぽっかりと開いた昏い穴が迫ると、権兵衛は固く目を閉じた。



「――う、……とう」


 仄かに揺れる炎の明かりが、瞼の裏で蠢く。ゆっくりと瞼を開けると、木張りの天井が目に入った。


「う……わ、わしは、生きているのか……?」


 先程の声は何だったのか。辺りを見回そうと身体を動かすと、ズキン! と足が痛みを訴えた。


「うっ!」

「おとう! ああよかった、目が覚めたのね」


 権兵衛は自分の耳を疑った。女の声がする。それは今確かに権兵衛のことを「おとう」と呼びはしなかったか。あちこち痛むのを必死で堪え、声がした方を向く。


 そこには、色白の綺麗な女がいた。小脇に利発そうな幼い男の子が座っている。恐らくは女の子供だろう、肌の色は白くきめ細かく、その顔は母親同様この先美しくなるであろうことが想像出来た。


「お嬢さん、ここは一体……?」


 権兵衛が起き上がろうとすると、女は涙目で優しく寝床に押し戻した。


「おとう、まだ起きては駄目! 斜面を転げ落ちて、気を失っていたんです!」


 権兵衛は、目をパチクリさせた。おとう、と自分のことを呼ぶこの女は、一体何者か。権兵衛をおとうと呼べるのは、極楽浄土に渡った娘唯一人だ。


「お嬢さん、わしの娘は極楽浄土へ渡った。誰かと勘違いされているのじゃなかろうか」


 するとその美しい女は、涙をボロボロと零しながら微笑んだ。


「いいえ、いいえ! おとう、私はましろです! おとうの一人娘のましろです!」


 権兵衛は、泣きじゃくる女の顔をじっと見つめた。確かに面影がある気もするが、あの子はもういない筈だ。


「おとう、これを見てもらえれば信じてくれますか」


 ましろはそう言うと、袖の中に隠れていた白い腕を権兵衛に見せる。筋に沿って、三つ綺麗に並ぶ特徴的な黒子。これがあれば、離れ離れになっても見つけられる、そうおつたと語り合った、生まれた時からましろの腕にある印だった。


 では、これは本当にましろなのか――。


「ま……ましろ、おとうは、おとうはずっとお前を探していたのだぞ……!」


 権兵衛の目から、もう枯れ果てていた筈の涙が溢れる。ぼやけた視界の先に滲んで見える女の笑顔は、確かにましろのものだった。年頃の娘から大人の女へと変わってしまったが、優しく垂れるその目尻は確かにましろだ。


「おとう、ごめんなさい、ごめんなさい……!」


 泣き崩れるましろの後ろに、背の高い男がいつの間にか立っている。頭に鼠の面を斜めに被った白髪と赤い目を持った、見目麗しい男だ。その男が、慰める様にましろの肩に手をそっと置く。ましろは、その男の手に自分の手を重ねた。


「おとう、この御方が私の夫です。夫が、彦一の口車に乗せられここまで連れて来られた私を助けてくれたのです」

「ひ、彦一?」


 隣家の、自分とさして年の変わらぬやもめの男だ。ましろは極楽浄土へ渡ったのだと権兵衛に説いた男の名が、何故ここで出てくる。


「私は、彦一に手篭めにされかけたのです。逃げようと斜面を走ったところ、先程のおとうと同じ様にあの穴から落ちてしまったのです」

「なんと……彦一め、わしを騙していたのか……!」


 権兵衛は怒りで我を忘れそうになったが、ましろが権兵衛の手を握ることで怒りはすっと治まっていった。


「私は無事でしたが、大怪我を負いました。それをこの御方が看病してくださり、私はこの御方に嫁ぐことを自分で決めたのです」


 立っていた男が、ましろの横に座した。


「私はこの山の神に仕える神使でございます。前身が鼠の為、一度はましろを返そうと致しましたが、私も気付けばましろなしには生きていけなくなっていたのです」


 そう告げ、深々と頭を下げた。


「私はこの場を長いこと離れられません。それに、あの彦一という男の傍にましろを戻すことなど考えられず、ここに留めてしまいました」

「旦那様は、私の命を救って下さったのです。会いに行かなかったのは私が親不孝だった所為です。お許し下さい」


 ましろにまで頭を下げられたが、死んだと思った娘が生きて目の前にいる、それだけで権兵衛にとっては奇跡である。


 首を横にゆっくりと振り、笑いかけた。


「鼠の神使様、私の大事な娘をお救い下さり、ありがとうございました。ましろ、生きていてくれてありがとう」

「おとう……!」


 三人が手を重ねて感極まっていると、それまで横で大人しくしていた男の子が、権兵衛の枕元に転がっていたおむすびの包みに興味を示した。


「じっちゃん、それなあに?」

「おお、これはおむすびだ。食べるか?」

「うん!」


 最後に残っていたおむすびを男の子は平らげると、嬉しそうに自分の名前はハクだと名乗った。ましろの白から取ったそうだ。


「そうかそうか、ではこれから、時折あの場所からおむすびを投げ入れてやるからな、待っていろ」


 権兵衛は突然出来た可愛い孫にそう約束すると、鼠の神使に背負われて村へと戻って行った。


 その夜、ましろがいなくなって以来初めて、権兵衛の家では楽しい笑い声が響き渡ったのだった。



 足を挫き暫くは動けない権兵衛だったが、何故か明け方になると山の幸や薪などが家の前に積まれ続けた。これは鼠の神使のお陰に違いないと、夜中になると権兵衛達は家の前におむすびの包みを置いた。


 隣家の彦一は権兵衛に一体何が起きたのかと様子を探りに来たが、関わり合いになりましろの存在がばれては拙い。権兵衛は知らぬ存ぜぬを通した。


 やがて権兵衛の怪我が癒えると再び山へ入り、例の穴におむすびの包みを投げ入れては「ましろ、ハク、おむすびだぞ」と声を掛けて去る様になった。やはり明け方になると家の前には沢山の食材が積まれ、これなら今年も年を越せそうだと二人は山に向かって手を合わせた。


 だが、不幸は起きてしまう。


 権兵衛が足繁く山へ通うのを怪しんだ彦一は、権兵衛にばれぬよう後をつけた。そこで権兵衛が、かつて自分が襲うも逃してしまった娘の名を呼びつつ、昏い穴の中におむすびの包みを投げ入れるのを見聞きしてしまったのだ。彦一は焦った。あのましろが生きているとなれば、権兵衛も己の悪事を知っているのではないか。


 ならばましろを今度こそこの世から消し去ってしまえばいい――。


 次の夜明け前、彦一は山に生えた毒茸を混ぜ炊いたおむすびをこしらえ、まだ薄暗い山へと入った。「ましろ、ハク、おむすびだぞ」と呼びかけつつ、包みを穴の中に投げ入れる。


 朝日が登りいつもの様に権兵衛が起きると、そこには何もない。どうしたのかと不思議に思いつつも山へと向かうと、穴の前にぐったりとしたハクを抱えた鼠の神使が悲しそうに立っているではないか。


「神使様、一体どうなされた?」


 権兵衛が駆け寄ると、鼠の神使は頭を深々と下げた。


「今朝投げられたおむすびに毒が盛られており、私が神事を行なっている隙に二人が食してしまったのです」

「毒? 一体どういうことです」

「山の者に聞いたところ、『この彦一を欺こうなど百年早い』と笑う男が投げ入れたと」


 彦一が、何故毒入りおむすびを投げ入れたのか。


「ましろはもう手遅れでしたが、先に口にしたましろが倒れ異常に気付いたハクは、少量しか食べなかった様です。ですが手を打ねば、もう間もなく……」

「ハク!」


 ましろだけでなく、ハクまで失ってしまうのか。権兵衛の手が震える。


「父上、私の気を与えればハクは生き延びるでしょう。ですが、私に残されるのはこの地を辛うじて守れるだけの力のみ。この姿を保つことは出来ませぬ」


 鼠の神使は、権兵衛にハクを渡した。


「ハクを、育てていただけませんか」


 赤い目から、透明の涙が溢れる。権兵衛も泣きながら頷くと、輝かんばかりの光が溢れてハクを包んだ。やがて光がハクの中へと吸い込まれると、権兵衛の足元にいたのは一匹の真っ白で大きな鼠であった。


「……本当は、あの男を殺してやりたい」

「神使様……」

「だが、神使に殺生は禁じられている。ハクと村を守るには、これしか……!」


 それ以降、鼠は黙ると、静かに頭を下げて穴の中へと入って行き、二度と会うことはなかった。



 ハクの存在は断じて彦一に知られてはならぬ。


 少しずつハクが回復していく中、権兵衛は彦一を山へと誘った。


「彦一どん、山にとても珍しい物が生る木を見つけた。手伝ってはくれないか?」


 にこやかに言えば、こちらをはなから馬鹿にしている彦一は簡単に乗ってきた。


 権兵衛は斧を手に、彦一に明るく話しかけ、穴の前まで連れて行く。


「おい権兵衛、珍しい木はどこだ?」


 権兵衛は、斧の柄を掴むとゆっくりと振り被る。


「このおむすびが生ってる木だよ」


 全てはましろとハクの為に。


 ドシャ、と崩れ落ちた体から、幾度も叩いて首を切り離すと、権兵衛はそれを鼠の神使への贈り物として穴の中へ転がした。


「おむすび、ころりん……」


 今度こそ、極楽浄土へ。


 権兵衛の呟きは、昏い穴へと吸い込まれていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ころりん ミドリ @M_I_D_O_R_I

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ