バナナチキンサンドにうってつけの日

美崎あらた

バナナチキンサンドにうってつけの日

 よく晴れた最高の日曜日に、最高のサンドイッチを携えて動物園に行きたい。彼女がそう言ったので、僕は毎週日曜日にサンドイッチを作る。

 その日曜日が最高の日曜日であるかどうか、その判断は僕にはできない。だから、いつ最高の日曜日が来てもかまわないように、僕は毎週サンドイッチをこしらえる練習を欠かさないのだ。

 近所のパン屋まで歩きながら、構想を練る。パンにはさむものはチキンと決まっている。これは変えられない。問題はどう調理するか。ゆでるか蒸すか、焼くか揚げるか。いっしょにはさむ野菜にも頭を悩ませる。

 パン屋から戻ると、タブレット端末で好きな音楽をかけながら、キッチンに立つ。ここでビールを開けてしまう。今日は日本製の缶ビールを選択。カシュッと小気味良い音とともに開封。うすはりのグラスに注ぎ入れる。泡の具合に満足してから、一口。

 今日はむね肉をゆでることにする。鍋に水を入れ、火にかける。冷蔵庫から昨日買った鳥のむね肉を取り出して皮を引きはがす。剥がした皮は適当な大きさに切って小さな器に入れ、電子レンジへ。こちらはおつまみ用であって、本編とは関係がない。むね肉は縦にだいたい三等分。あまり厚いと熱が中まで入らない。

 鍋の水がぼこぼこと沸騰したら適量の塩を入れて、火は止めてしまう。そこに鶏むね肉をそっとしずめて、蓋を閉める。あとは余熱の仕事であって、僕のすべきことはしばらくの間なくなってしまう。レンジから取り出したトリカワにポン酢をかけてつまむ。ビールをまた一口。

 スツールに腰掛けて本を読む。九つの話が入った海外の短編集。そういえばこれも、彼女が置いていったものだった。

 ビールがグラスから消えて、短編をひとつ読み終えたところで、仕上げにかかる。パン屋で買ったバケットをパン切り包丁で切り開く。

 鍋から鶏むね肉を取り出してそぎ切りにしていく。食べる前からしっとりしているのがわかる。鶏むね肉をしっとりと仕上げるには、余熱を信じることだ。キッチンペーパーで水気をよく拭いて、正断層のようにずらしながら、バケットに挟んでいく。

 男子大学生の一人暮らしには不必要な大きさの冷蔵庫からラー油を、さらに野菜室からパクチーを取り出す。パクチーを適当にちぎって添えて、ラー油を適度に垂らす。

 アジアンサンドイッチをイメージして作ったが、どうやら今日も最高の日曜日ではなかったらしい。彼女からの連絡もないし、いよいよ雨が降り始めた。



「閉園後、裏門前で」

 彼女は檻の中から僕にそう合図した。僕は毎日のように動物園に通っていたので、彼女のその合図を見落とさなかった。

 その動物園は午後四時半に閉園となっていた。僕は正門から出て、水路沿いにそのまま塀を一周するようにして裏門へ向かった。そこには一頭のニシローランドゴリラが待っていた。

「来てくれたんだ」

「うん、まぁ……」

 檻を隔てずに彼女と対面するのは初めてだったので、僕は多少緊張していた。

「仕事中だと、あまりお話できないから」

 彼女は毛むくじゃらの手で頬をかき、目をそらした。

「少し、歩こうか」

 僕はそう言って、夕暮れの中を歩き始めた。彼女はナックルウォーキングでついてくる。背は僕より低いが、やはりゴリラ特有の威圧感は否めない。

「どうして、僕を誘ってくれたの?」

「わからない。私も、こんなことするのは初めてなのよ。強いて言うなら……」

「強いて言うなら?」

「あなたから、いい香りがしたから」

 僕は思わずぎょっとして足を止める。

「大丈夫、襲ったりなんてしないわ。私たちゴリラは、平和主義者なのよ」

 彼女は慌てて言葉を付け足した。

「においなんて、あまり気にしたことはないな」

 何事もなかったようにして、僕は再び歩き始める。

「きっと、私たちとは食べているものが違うから」

 動物園で、彼女たちが口にしていたものを思い出す。果物や野菜が多かったように思う。食パンを食べているところも見たことがある。野生のゴリラはたんぱく源として昆虫なんかを食べていると聞く。

「私ね、サンドイッチを食べてみたいの」

「サンドイッチ?」

「そう。遠足で動物園に来た子供たちが食べていたのを、見たことがあるの」

「食パンに野菜を挟んで食べれば、サンドイッチになるよ」

 あまりいいアイデアだとは思えなかったけれど、僕はそう口にした。

「駄目よ、それじゃあ。それに、仕事中はそんなことできないわ」

 彼女は檻の中でゴリラとしてふるまうことを「仕事」と呼んだ。

「もっとワイルドに食べることを求められているから?」

「その通り。ワイルドに、ね」

 彼女は自分でそう言って、自嘲気味に笑った。



 そうして僕らははじめて言葉を交わし、度々動物園の外で会うようになった。

「バナナドリをつかまえにいきましょう」

 彼女は唐突にそう言った。その日は月曜日で、動物園は休園日だった。

「何をつかまえるって?」

 僕の住むマンションの一室。彼女はソファにもたれて文庫本を読んでいた。彼女の手におさまった文庫本は、ずいぶん小さく見える。

「バナナドリよ。見たことないの?」

「ないな。バナナなのか、鳥なのか、どっちなんだい?」

「自分の目でたしかめればいいわ」

 彼女は僕の手を取って、すぐに出かけた。近所のお寺の裏手から、どんどん山に入っていく。

「こんな手近な山の中にいるものなのかな」

「山や森の中であれば、どこだって可能性はあるはずよ」

 少し山道が開けてくると、彼女は僕を軽々と持ち上げて、肩車した。

「さぁ、耳を澄ませて、目をよく開いて。バナナドリを見逃さないように」

 僕はそのたくましい肩の上で、愛しい黒い頭を抱いて、落っこちないように細心の注意を払った。

「そんなこと言われても、僕はバナナドリを見たことがないんだ」

「大丈夫よ。私も見たことないわ」

 何が大丈夫なのかわからなかったが、僕はもう、彼女とこうしている時間が楽しくて仕方がなかった。

「それでは困ってしまうな。もう少し、バナナドリについての情報が欲しい」

「そうね、見たことはないけれど、その生態は知っているわ」

「それは僕もぜひ知りたいね」

 彼女はその大きな手で僕の膝のあたりを優しくつかんで、ゆっくりと歩き始める。

「バナナドリは山や森の中に生息していて、あくまでふつうの鳥の姿をしている」

「ふつうの鳥って?」

「ふつうの鳥はふつうの鳥よ。ハトかもしれないしカラスかもしれないし、ニワトリかもしれない。あなたの好きなものを想像すればいいわ」

 僕はニワトリを想像することにした。山の中を駆けるクックドゥードゥルドゥー。

「見た目はあくまでふつうの鳥なのだけれど、魂の部分ではどうしようもなくバナナドリなのね。彼らはバナナのたっぷり入っているバナナ穴を見つけると、入らずにいられない」

「なるほど。それで、穴の中でバナナを食らいつくすわけだね」

「もちろん。バナナは食べられるためにあるのだから」

「そうすると僕らは、バナナドリを探すと同時に、バナナ穴も探すべきなんだ。その情報は教えてくれてよかったよ」

 そうでなければ、魂の部分でバナナドリである表面上はあくまでふつうの鳥を探す羽目になる。それはずいぶん難しそうだ。魂は見られないけれども、バナナのたっぷり詰まった穴ならば、見ればわかる。

「そのバナナドリをつかまえて、君はどうするの?」

「できるだけ新鮮な状態でつかまえることができたら、バナナチキンにしてサンドイッチにしてほしいの」

「してほしい?」

「そう、あなたに」

「なるほど」

「そして、よく晴れた最高の日曜日――バナナチキンサンドにうってつけの日に、動物園でそれを食べるの」

 彼女は夢見心地で語った。

「その時君は、僕と同じ側、つまり檻の外側にいるわけだ」

「そうね。それが最高」

「君みたいな人気者が、日曜日に仕事を休めるの?」

 僕の発した言葉に、彼女が足を止める。

「最高の日曜日だもの、仕事なんてやってられないわ」

 夢から現実に引き戻してしまったのか、彼女は気分を害したようだった。

「バナナチキンは、どうやって調理したらいいだろう」

 夢を見る方へ、話題を変える。

「それはシェフに任せるわ」

 毛むくじゃらの彼女は再び歩を進める。

「バナナをたらふく食べているはずだから、きっとその肉は、ほのかに南国の香りがするんだろうね」

「そうだとしたら、ちょっとスパイシーに味付けしてほしいわ。甘ったるいのは好きじゃないもの」

「君はバナナが好きだから、バナナドリをつかまえたいのではないの?」

「ゴリラだからバナナが好きだろうなんて、偏見だわ」

「嫌いなの?」

「嫌いじゃあないけれど」

 彼女の鼻息が荒くなってきたので、話をスパイシーに戻す。

「オーケー。香辛料を使って、スパイシーに仕上げる。それならビールも持っていこう」

「あなた、飲むことばかり考えてるのね」

 彼女はあきれて肩をすくめた。

「いま一羽見えたよ」

 僕は遠くの木立を指さして言った。

「見えたって、何が?」

「バナナドリが」

「まさか!」

 彼女は驚きのあまり僕を肩車したまま駆けだしてしまう。僕は振り落とされないようにしがみつく。

「本当に見たの?」

「ああ」

「そいつ、バナナをくわえてた?」

「六本はくわえてたね」

 彼女はあたりを見回したが、それらしい痕跡を発見できなかったことにがっかりしたようだった。



 結局その日、僕らはバナナドリを見つけることはできなかった。なぜなら僕は、実のところバナナドリを見てはいなかったから。

 そしてその日を境に、彼女は動物園の檻の中にも姿を見せなくなった。

 毎日動物園に出かけて行って、一日中ゴリラの檻の前に座っていても、ドラミングを披露するのは知らないニシローランドゴリラばかり。閉園後に裏門で待っていても、毛むくじゃらの彼女は現れない。

 ちょっとした冗談のつもりだったけれど、僕の嘘は真剣にバナナドリを探していた彼女を傷つけてしまったようだった。ヒトとゴリラとでは、価値観が違いすぎたのかもしれない。

 それからヒトの世界では新型の感染症が流行り、ずいぶんと長い間、動物園も休園が続いた。僕は一縷の望みをかけてゴリラの檻の前に行くことすらできなくなり、毎週日曜日にサンドイッチを作る練習をはじめたのだった。来るべき最高の日曜日に備えて。

 僕は彼女を失ってから、かえって堅実な生活を送るようになっていた。サボりがちだった映像配信の大学の講義にも目を向けるようになり、空いた時間には大学図書館で本を借りてきて勉学に励んだ。平日夜は近所の個別指導塾でアルバイトをした。貯めたお金で野菜室の付いた大きな冷蔵庫と、パン切り包丁、それから大きめの肉切り包丁を買った。

 今週の日曜はどんなサンドイッチを作ろうか。気づけばそれを考える日々だった。そしてまだ見ぬバナナチキンの味に思いを巡らせる。そうしているうちに、彼女は僕に愛想をつかしたのではなくって、バナナドリを探す旅に出ているのではないかと思うようになった。

 最高の日曜日さえ来れば、きっと彼女は再び姿を見せてくれる……。



 動物園の営業も再開して、しばらく経ったある日曜日のことだ。初夏の日差しが差し込む朝。目覚めた瞬間に、今日は最高の日曜日だという確信があった。すぐに服を着替えて、パン屋へ走った。焼きたてのライ麦のバゲットを買ってマンションに戻る。そこにはやはり、一頭のニシローランドゴリラが待っていた。

「おかえり。バナナドリをつかまえてきたわ」

 彼女の大きな手には、一羽のニワトリ――のように見えるバナナドリが握られていた。

「山で絞めて、血抜きもしてある。ちょっとお風呂場で羽をむしってもいいかしら」

「もちろんさ」

 タブレット端末でカーペンターズの『Close to you』なんてご機嫌にかけながら、僕らは調理を始めた。

 彼女は風呂場でバナナドリをバナナチキンにする作業に取り掛かる。お湯をかけて羽をむしる。丸裸にしたら、産毛をバーナーであぶる。

 僕はキッチンで新玉ねぎをスライスする。皮をむいて、できるだけ薄く切る。切ったら水にさらす。新鮮なレタスも数枚用意する。

 彼女が風呂場から出てきて、キッチンから大きな肉切り包丁を取って再び風呂場へ消える。手際よく解体しているのだ。どこでそんな技を学んだのだろう。

 やがてバナナドリのもも肉がキッチンにやってくる。残りの部位はジップロックに入れて冷凍してほしいと頼む。彼女はうなずいて残りの肉片を片付け始める。

 僕はもも肉に包丁を入れて、厚さが均等になるように整える。それからフォークを取り出して、隅から隅までめった刺しにする。彼女が風呂場から不安そうな顔をのぞかせるが、これも下準備だと説明して安心させる。もも肉をソテーするにも、下準備を怠ると後で再加熱したりと面倒なことになる。

 両面に塩を振る。黒コショウも思っている量の二倍くらい振りかける。それから青森県産のニンニクを一片、すりおろしてもみこむ。僕の手からも食欲そそるにおいが沸き立つが気にしないでおく。それからオマケにカレー粉も両面にふりかけてしまう。

 フライパンにおしげもなくオリーブオイルをひき、しっかり温める。皮をパリパリに仕上げたいから、鉄が熱されるのを待つ間、肉に薄力粉をまぶす。

 皮目からそっとフライパンへ。ジュッとはじける音がする。風呂場での仕事を終えた黒い毛の彼女は、リビングのソファに寝そべってこちらを眺める。ソファがそれなりの抗議の声を上げるが気にしない。彼女はきっとバナナドリを探し回って疲れているのだろう。うつらうつらと舟をこぐ。

 中火でじっくり焼いていく。時折上から押さえつけながら、油のはじける音に耳を澄ませ、スパイシーな香りに身をゆだねる。皮目によき色がついたところでひっくり返す。裏面も同様にしてじっくり焼いていく。焦りは禁物だ。両面にパリッと焼き目がついたら、もう一度皮目を下にして、弱火。蓋をして火を通す。

 その間にパン切り包丁でバゲットに切り込みを入れる。具材の水分をパンが吸ってしまわないよう、断面には丁寧にバターを塗りつける。

 スライスした新玉ねぎを水切りする。レタスも一緒にキッチンペーパーで丹念に水気をふき取る。

 フライパンの蓋をとり、バナナチキンソテーを取り出し、まな板の上で少し寝かせる。

 バゲットにレタス、オニオンスライスの順でのせていく。その上にすこしだけマヨネーズをしぼる。

 まな板で眠っていた鶏もも肉を一口サイズに切っていく。皮を引きはがさないように鋭く且つ素早く刃を入れる。皮がパリパリと切断されると同時にクミンの香りが鼻腔を刺激する。

 レタスとオニオンの舌をあらわにして大きく口を開いたバケットへ、バナナチキンたちを放り込む。少し多いかなと戸惑うくらいに頬張らせて、口をギュッと閉じる。

 この日のためにわざわざ用意していた英字新聞風の紙ナプキンでくるむ。これを二つこしらえて、白ビールの瓶も二本、冷蔵庫から取り出す。お出かけの準備は完了である。



 動物園へ向かう道すがら、彼女はバナナドリをめぐる冒険譚を語った。

バナナ穴の中でバナナを食べすぎたバナナドリは、ぶくぶく太って穴から出られなくなっていた。バナナ熱で死んでしまっては、腐食が始まって美味しくなくなってしまう。そこから、一頭のニシローランドゴリラと一羽のバナナドリとの戦いが始まるのだった――

 僕はその話が、ずっと終わらないでいてくれることを願った。なんなら、動物園にも到着しなくて構わない。僕は結局のところ、彼女の語る夢のようなバナナチキンサンドが食べたいのであって、実際に作って食べてしまったら、夢が終わってしまうような気がしたのだ。

「大丈夫よ」

 動物園の門をくぐる時、彼女はそう言った。

「あなたはうまくやっていけるわ」

 僕の心の中を読み取ったみたいに。

「そうかな。あまり自信はないけれど」

 広場のベンチを陣取って、僕らはとっておきのサンドイッチを手にする。

「きっとまた、最高の日曜日はやってくるわ」

 大きな黒い手で、彼女はバナナチキンサンドを頬張る。

「そうだね」

 僕はビールで少し口を湿らせてから、僕と彼女で作った最高のバナナチキンサンドをかじる。

 刺激的な香辛料の奥に、ほんのりと甘みが隠れていた。

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バナナチキンサンドにうってつけの日 美崎あらた @misaki_arata

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