第三十章 六月のペガサス

「新婚旅行じゃないんだからな・・・。

大切な仕事が控えているんだぞ。

わかっているな・・・雪子?」


空港のロビーのソファーに座りながら、うれしそうに正秀が言った。


伸男・・・Mrグラントの隣に、雪子は寄り添うように立っていた。


上質な素材の砂色のツーピースを着ている。

ジャケットにはボタンの代わりに、大きなメタリックなホックが三つでとめている。 

 

スカートはスリットが大胆に上まで伸び、雪子の長い足を美しく強調していた。

伸男はアルマー二のスーツをラフに着こなして、金髪だった髪を黒く染め直している。

ブルーのコンタクトを取った瞳も黒く透き通っていた。 


「こうして見るとやっぱり伸男君だな。

いや、すっかり騙されたよなあ・・・」


妻の文江の顔を見て正秀が言った。


「本当に、昨日は私もすごく驚いたけど、あんなに幸せな日はなかったですよ」


雪子の涙もろさは母譲りなのか、夫の差し出したハンカチを目にあてている。

伸男は昨日、雪子の家に行き、今までのいきさつを話し、正式に雪子との結婚を申し入れた。


最初、驚きのあまり何も話せなかった正秀だったが、何故か青年が伸男の生まれ変わりのような気がしていたので、うれしい誤算に夫婦共々喜んでこの申し入れを受け入れた。


「それにしても伸男君の親戚の方には挨拶しに行かなくてもいいのかい?」


正秀が言った。


「いえ、元々それほど親しくはなかったし・・・。

もう死んだと思われているところに姿形もだいぶ変わった僕がいっても混乱させるだけですから」


「じゃあ行ってきます。

お父さ・・・頭取。


東野雪子、社命をおびてMrグラントと先にベルツ銀行でお待ちしております」 


雪子が背筋を伸ばし元気よく言った。


「その軽さが心配なんだよ。

しっかり見てやってくれ、伸男君・・・」


四人は楽しそうに笑いあった。


やがて搭乗アナウンスがあり、二人はエスカレーターを下りていった。 

外はあいにくの雨で、居並ぶ飛行機も雨にけむって霞んでいる。


「事故がないといいですね、あなた・・・」

文江が心配そうに言った。


「なあに、あの事故でも助かった伸男君と一緒なんだ。絶対、大丈夫さ・・・。

神様が見ていてくれる・・・」


夫が妻の肩を優しく抱いて言った。


二人の乗った飛行機がゆっくりと向きを変え、滑走路に出るとスピードをあげて飛びだっていった。


※※※※※※※※※※※※※


雪子は伸男の手をしっかり握り離さなかった。

でも恐くはない。


今は伸男と一緒なのだ。


二人はファーストクラスのゆったりとしたシートに座っている。

席を近づけ、寄り添うようにしている。


飲み物がオーダーされ、二人は冷たいシャンパンで乾杯をした。


雪子は一昨日、プロポーズを受けた。

昨日家に挨拶され、今日急に新婚旅行のようについていく。


慌ただしい日程であったが、8年間待たされたのだ。

これくらいは神様も許してくれるだろう。


雨が激しく窓に打ちつけている。

二人はたわいのないおしゃべりを続けた。


やがて、二人は静かに眠りに就いた。

二人の指はからみあったまま、毛布の下で息づいている。


幸福な時間。


砂時計によどんでいた二人の時間を、神様がやっと逆にして立てかけ直してくれたのだろうか。


ゆっくり。

そして確実に流れていく。


それでも、雪子の長いまつ毛は真珠のような涙の粒を付けていた。


照明をおとしたファーストクラスのエリアで、そこだけが窓からもれた月明かりが反射して一瞬キラリと光った。


静かな時間が流れていく。

安らかな寝息をたてて雪子は眠っていた。

 

「ユキ・・ユキ・・・起きてごらん・・・」 

伸男のささやく声がする。


もう少し、もう少しこのまま。

目を開けると又、夢のような気がする。


「ユキ・・・起きるんだ。

ユキ・・・。

星が、見えるよ・・・」


(あっ・・そうなんだ・・・。

今、空を飛んでいるんだ・・・私達)


雪子はそっと目蓋を開けた。

優しく微笑む伸男の向こうに、満天の星空をうつしている窓が見える。


「本当・・きれい・・・」


いつのまにか飛行機は雨雲を抜けて、高度を上げて飛んでいる。


二人は時を忘れ美しい星空に見入っていた。

からませた指はそのままに、雪子は男の肩に寄り添って言った。


「伸ちゃん・・・。

私・・幸せ・・・。愛

しているわ・・・」


「僕もだよ・・・。

ユキ・・・。

それより、気がつかないかい・・・?」



「な・・に・・・?」  

「あれさ・・・六月の星座だよ」


伸男に言われて、雪子は窓の外を覗きこむようにして見た。


「ほら、あそこに強い光の星が四つ見えるだろ?」

「えっどれ・・あっ・・ほんとぉ・・・?」


「あれが、ペガサス座の四辺形だよ」

「あれが・・うなんだ・・・」


「そして左の方に伸びている幾つかの明るい星がアンドロメダとペルセウス座さ」


「アッ私、知ってる・・・。

確か・・・・

ペガサスに乗って海の王女を助けたのよね?」


雪子は伸男の肩にもたれながら、うっとりして言った。

伸男の身体の温もりが心地良かった。


「そう・・あれが・・・」


満天の星空を見ながら、雪子はそれが又、うっすら滲んでくるのが分かった。


「見えたのね・・・。六月の・・・星座が」

 

飛行機は順調にアメリカに向かっている。

雲の下では激しい雨が降っている。


二人はいつまでも夜空を眺めていた。

地上からは見えない。


『六月の星座』たちを。



ゴーストを愛した女 ―完―


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