第二十二章  屋上

「これが最後だ・・・。

お願いだ10分でいいんだ、君に会いたい・・・」


片山に何度も哀願され、遂に雪子も決心し言った。


「ええ、伺います。屋上ですね?」


ちらりとMrグラントを見ると、彼は一心不乱にパソコンにデータを入力している。

どちらにせよ日本語だから彼にはあまり分からないはずだが、やはり気にかかる。


少し時間をおいて雪子は部屋を出た。


10分程であれば、トイレに行ってきたというぐらいにしか思われないだろう。

別に監視されているわけではないが自分が後ろめたい分、少し慎重に事をはこんでいる雪子であった。


役員フロアは最上階にある。


Mrグラントの部屋もその一部を使っており、雪子は階段で屋上に昇っていった。


ドアを開けると、まぶしい日差しが雪子の目を突き刺す。


思いつめるような目をして片山がこちらを睨んでいた。

手摺にもたれる男に、ゆっくりとヒールの音を響かせながら近づいていく。


「こんにちわ、お久しぶりです」

男はじっと雪子を見つめたまま無言でいる。


じれったくなるような時間が流れていく。

雪子にはそれがひどく長く感じた。

ようやく男が口を開いた。


「どうして奴に協力するんですか、雪子さん。

あれほど奴を憎んでいたじゃないか・・・?」


又その事かと雪子は思った。

あれから相川と片山に、尋問にでもあっているかのように同じ事を言われる。


「何度も言ったように彼が潔白だと思うからです。

その証拠に貴方達の分析でも何一つそんなものは出なかったんでしょう・・・?」 


突き放すような雪子の言い方に、男は苛立ちを隠せなかった。


「いったい、どうしたっていうんだ・・・・。

僕の事が嫌いになったのかい?

この頃会ってもくれないし冷たいじゃないか?」


「そんな事ないわ・・ただ・・・」

「ただ・・・なんだい・・・。」


男は問いただした。


「私・・やっぱりダメなんです・・・。

伸男さん以外の人はもう・・愛せないんです」


「うそだっ・・・」

雪子は男の言葉にたじろいだ。


「君は嘘をついている・・・。

君はあの乗っ取り野郎に心を奪われてしまったんだ。


それなら尚のこと僕が目を覚まさせてやる。

それには頭取のアクセスパスワードが必要なんだ。


それを見れば、奴が何を狙ってこの銀行に来たのか分かる筈だ・・・」


雪子は呆れながら男の話を聞いていた。

あまりにも身勝手な意見であった。


こともあろうに、父である銀行トップのアクセスワードを教えろとは。

しかも、知ったところで何の役に立つというのだ。


雪子はきっぱりと言った。


「お断わりします。

今の話で決心しました。

今後あなたとの交際はご遠慮します。

二度と電話をかけないで下さい・・・」


男は更に哀願するように言葉を残すと振り返りながら去っていった。


「お願いだ、雪子さん・・・目を覚ましてくれ。

今日は帰るけど考えておいてくれ、いいかい?」


男の背中がペントハウスのドアに消えると、雪子はその場に崩れるように座り込み両手で顔を覆って泣き出した。


どうしてこんなひどい事を言われなくてはならないのか。

目を覚ませとはどういう事なのか。


あの二人の方がよっぽどヒドイではないか。

雪子は悔しさと言い知れぬ不安で今は泣く事しか出来なかった。


「どうしたんだ、ミス・ユキコ・・・・。

なかなか戻らないからもしやと思ってきてみたんだが。何かあったのか?」


顔を上げると、心配そうにのぞき込むMrグラントがいた。


雪子は男の顔を見て心底うれしく思った。

その分厚い胸に飛び込んでいきたかったが、先程片山から言われた言葉が心にひっかかり出来ないでいた。


「やあ・・ここからだと東京中が見渡せるんだな。

風は少し強いけど気持ちがいい・・・。

 

これからランチはここでどうかな。

どうだい、ミス・ユキコ・・・?」


優しい口調に、雪子は涙を拭いて微笑んだ。


「そーだ、ミス・ユキコ。

君は笑顔が一番似合う・・・」


二人は微笑みながら見つめ合った。


初夏の風が雪子の髪を揺らす。

白い額が見え隠れする様に男は見惚れていた。


雪子の頬がほんのり赤く染まっていく。

見つめられる視線に身体が痺れていくようだった。


「うっ・・・」

突然、男が頭を押さえて膝をついた。


あの頑強な身体をしているMrグラントが苦悶の表情をうかべている。


「どうしたんですか、Mrグラント!」

胸を締めつけられるような不安が雪子をおそった。


同時にこれほどまでに、この男を心配している自分に驚いている。

だが男は尚も苦しみ続け、身体を丸めたまま何も言わない。


「Mrグラント・・・

しっかりして・・ジョージ・・・」


雪子の目に再び涙がにじんできた。

自分にとって男がいかに大切な存在であるかが身にしみてわかった。


その時、声がした。

優しい日本語の声であった。


「大丈夫だ・・・。

ユキ・・やっと会えたね・・・」


雪子は大きく目を開いたまま男から離れ、改めて見直した。


「驚かせてごめんよ・・・でも時間がない。

この人がいくら丈夫な人でも、長時間身体を借りるわけにはいかないんだ・・・」


(そ、そん・・な・・・?)

雪子は自分の耳を疑った。


Mrグラントからポルターガイストの話は聞いていた。

しかし突然こんな事が起きるなんて信じられなかった。


ただ、どう考えても英語なまりの無い綺麗な日本語などMrグラントには話せるはずがない。


「し、伸ちゃん。うそ・・こんな・・・?」

男は訴えるような眼差しで雪子の肩を強くつかんだ。


「本当に時間がないんだ・・・ユキ。

僕である証拠に君の胸にはまだ・・・

銀のロケット・・・・。

僕の写真が入っているのを持っている筈だ・・・」


「ええっ・・・?」

雪子は自分の胸を押さえた。


八年間、肌身離さずつけている品は確かな手ごたえを感じさせた。


「し、伸ちゃん・・・」

目に涙をあふれさせ、男の胸に飛び込んでいった。


「伸ちゃん・・伸ちゃんなのね・・・?

ああぁ・・・神様・・・」


泣き崩れる雪子の髪を優しく撫で付けながら、男は囁いている。


「あぁ・・ユキの匂いだ・・懐かしい・・・。

八年ぶりだ、会いたかった・・・。

もっとも僕はずっと君を見ていたけど・・・。


この人、Mrグラントがいなければ・・・。

そうだ、時間がない・・・

彼がどうかなってしまう」


男は再び女の肩を両手でつかみ顔を起こさせると、潤んだ瞳で見つめる雪子に言った。


「ユキ・・・よく聞くんだ。

片山にパスワードを教えるんだ・・・」


意外な言葉に雪子は驚いて声を出した。


「な、なんですって・・・

ど、どうして?」 


「いいから聞くんだ・・・。


彼等はMrグラントの事にかこつけて何か企んでいる。 僕には分かる。


たぶん頭取室の鍵も要求してくるだろう。

君は騙されるふりをしてパスワードを教えて手引きするんだ・・・」


雪子は一字一句漏らさぬように、じっと男の瞳を見つめ聞き入っている。


不思議な感じがした。

その口から出てくる言葉も言い方も、声さえも伸男に似てくるように思えてくる。


身長も体格も、伸男より一回り程大きい。

顔は似てもにつかぬほどゴツゴツしていて、髪は金色に光り、瞳は深いブルーの色をたたえている。


声だってこんなに低くはなかった。

それなのに、はっきり伸男が話しているように感じてしまう。


「僕に考えがある・・・・。

この事をMrグラントに話して彼に協力してもらってくれないか。

彼ならきっと力をかしてくれるはずだ。


何故なら彼の調査のもう一つの目的は社内のスパイの摘発なのだから・・・。

君のお父さんである東野頭取に、密かに依頼されているんだ。

お父さんはこの際徹底的に社内のウミを出そうとしているんだよ・・・」


雪子は伸男の話を聞きながら、深い動揺におそわれていた。


何ということだろう。

自分は広洋銀行を守ろうとして、逆にスパイの片棒をかついでいたのだ。

呆然とする雪子にもっと説明をしたかったが男はあせるように言った。


「もう時間がない。

これで僕は消えるよ。


だけどユキ・・・これだけは分かってくれ。

僕はいつでも君を見守っている・・・・。

だけど、いつまでも君が一人でいるのがかえって悲しいんだ。


君には幸せになる権利がある・・・・。

それに、君が幸せになれば僕も安心して天国に行けるんだ。


君は自分の心に正直になっていい・・・。

じゃあね、ユキ・・愛しているよ・・・」


男はやがて力尽きるように、首をガクンと落とした。


「伸ちゃん、伸ちゃん・・・。

いっちゃ、イヤ・・・イヤァー・・・。

お願い・・お願いぃ・・伸ちゃんー・・・」


雪子は男にすがりつき泣きじゃくっていた。

雪子の涙が男の頬に伝わった。

すると、小さくうめいて男は顔を上げた。


「ミス・ユキコ・・僕は・・いったい・・・?」


男は首を大きく左右に振り、雪子を抱くようにして顔を上げさせた。


「あぁ・・Mrグラント・・・。

伸ちゃんが・・伸ちゃんが・・・」


雪子はもう頭が混乱して日本語のままつぶやき泣きじゃくっている。


長いまつ毛が涙で濡れ、女を妖しく写していた。

Mrグラントは何も言わず女の頭を自分の肩にあて、泣かせるままに優しく抱いていた。


あつい雲が高層ビル群の後ろから盛り上がっている。

ぬけるような青空も、六月の梅雨に隠されるまでの短い命である。


さわやかな風が吹き、雪子の柔らかい髪を強くまい上げた。

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