第三章 ランチ

社員食堂でAランチのハンバーグを切り分けていると、相川が声をかけてきた。


「やあ、雪ちゃん。

ここ、あいているかい?」 


『雪ちゃん』とは、伸男のバンド仲間が使っていた雪子の愛称である。


いまでもこの名で呼ばれると伸男を思い出す。

ただ、伸男だけは『ユキ』と呼んでいたが。


あの事故から相川はバンドをやめ、

W大経済学部を卒業後、広洋銀行に入社していた。


優秀なディーラーとして、バリバリ働いている。

そんなにハンサムというわけではないが、

人当たりもよく社内の人望もあり、雪子に何かと気を遣ってくれる。


そして、伸男の命日には必ずみんなで集まって思い出を語り合ったりするのだ。


一度だけ愛を告白されたが、伸男との恋が最後と決めている雪子に力なく断られると、明るく伸びをして言った。


「ごめんよ、悩ませちゃって・・・。

伸男の野郎も罪な奴だぜ。

こんな可愛い子を一生独身でいさせるのかな?


でも気にしないでくれ、雪ちゃん。

俺、慣れてるから・・・ふられるの。


あれっ?

いやぁ・・・・。


そんなにしょっちゅう、

女の子を口説いているわけじゃないからね」


こうして雪子の微笑みを引き出すと、友達という地位に甘んずる権利を勝ち取るだけで満足するのだった。


雪子も相川に対しては、8年以上の付き合いになるが

異性としての感情はわかなかった。


ただ兄弟のいない雪子にとって兄のように頼りになり何かと相談にのってくれる男であった。


もう一人、兄と思える小野と共に・・・。

 

「そうそう、小野の奴、遂にやったよ。

先週、トップテン入りだってさ・・・。

元々アイドルの作曲で結構売れてたけど、

自分のバンドを復活させったんだ。


伸男がいた頃の曲をアレンジし直して

レコード出したら反響あったみたいなんだ」


「本当・・・?

やったー・・・。


私もすごくうれしい。


又、聞けるのね。

あの頃の歌が・・・」 


雪子も我事のように喜んだ。


伸男をはじめバンド仲間が殆どいなくなったあとでも、小野は一人音楽の世界に残った。


リーダーで作詞作曲を伸男と二人でやっていた。

作曲は小野で、作詞は伸男の担当であった。


ただ、あの事故以来バンドを組む気がせず、

主に作曲でアイドル歌手などに安定して曲を提供していた。

それでも一年程前から、雪子と飲む機会があると夢みるように語っていた。


「雪ちゃん・・・

俺、そろそろやってみようと思うんだ。


この頃やっと、ふっきれたような気がする。

もう一度、あの頃と同じようにバンドを組んで、

あいつと作った曲を歌ってみようと思うんだ。


いいかな?

雪ちゃん・・・

あいつの歌は殆ど君の為に書いたものだから・・・」


雪子は小野のゴツゴツした指を見つめながら微笑むと、嬉しそうに言った。


「もちろんよ・・・嬉しいわ。

伸ちゃんの・・・

伸ちゃんの歌が又、聞けるのね・・・?」 


伸男の事を雪子は『伸ちゃん』と呼んでいた。

その頃流行っていた、アニメの主人公の名前をもじったのだ。


「そう言ってくれてありがたいよ・・・。

今、メンバー募集のオーディションをぼつぼつ始めたところなんだ。


来年の今頃はヒットチャートにのっているから、期待していてくれよ・・・」


そう言って、グラスの酒を飲み干す小野は燃えていた。

まるで伸男が乗り移ったみたいで、雪子は身体の奥がジーンと痺れるようであった。


「じゃあ、コンサート・・・

絶対見に行かなくっちゃね」


相川の顔を見て言った。


「おう、チケットなら任せといてくれ。 

その時は又、連絡するよ・・・」


食事を終えると仕事が忙しいのかゆっくりする間もないらしく、相川は去っていった。


「そうか・・・

又、聞けるのね・・・。

伸ちゃんの歌が・・・」


胸にかけている伸男の写真が入っている小さなロケットを握り締めて目を輝かせる雪子であった。

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