第8話 降臨する真紅の飛影(後)

「ルキウス! 無事か⁉︎」

「コジロウの方こそ! 怪我はないですか⁉︎」


 正面ゲートが見えたあたりで三人は合流した。

 ルキウスの得物は血まみれだが、本人は一滴たりとも血を流していないことに安堵する。


「俺は平気だ。東洋協会の助っ人が来ていた。腕が立ちそうな男女の狩人イェーガーだ。俺と瀬奈を逃してくれた」

「良かったです! 紅月のヴァンパイアと戦っているのが俺たちだけじゃなくて! 味方がいれば千人力ってやつですよ!」


 ゲートの前にも一体のヴァンパイアがいた。

 ルキウスが仕留めて、その脇をコジロウとシオンは駆け抜ける。


「冴木くん! ゲートが鎖でロックされている!」

「俺が破壊する。危ないから下がっていろ」


 コジロウは三回トリガーを引いた。

 鎖の一部が弾け飛び、ゲートがわずかに動いた。


「ルキウス! 早く脱出するぞ!」

「…………」

「おい、ルキウス! 聞いているのか⁉︎」


 返事がなかったので不審に思ったコジロウが後ろら肩を揺らすと、ルキウスはようやく我に返った。


「戦場でボケっとするなんて、ルキウスらしくないぞ。スマホが鳴ったこと、まだ気にしているのか?」

「ねぇ、コジロウ、おかしくありませんか?」

「最近はおかしいことの連続だ」

「そうじゃなくて……」


 ゲートから二十メートルくらいの距離に四体のヴァンパイアがいる。

 真っ赤な目はこちらを見ているが、次の一歩を踏み出してこない。


 シルバーレイや龍爪が怖くて……という理由じゃないだろう。


 さっきまで狂犬みたいに追尾してきた連中なのだ。

 コジロウは銃を向けたまま目を細めた。


 ヴァンパイアの手足が震えている。

 中には、あぁ……あぁ……とうめく個体も。


 とある可能性に思い当たったコジロウは、まさかと思ってシオンに声をかけた。


「瀬奈、俺たちの側を離れるなよ」

「はい!」


 ゲートの上に何かいる。

 ソファみたいに腰かけて、この一帯に禍々しいオーラを放っている。


 ヴァンパイアが恐れているのはコジロウやルキウスではない。

 彼らにとっての絶対君主であり、生殺与奪の権を握っている存在。

 まさに御岳森を恐怖のどん底に陥れている張本人。


「まさかあれって……」

「そのまさかだ。いよいよ、おいでなすった」


 銃を握る手に力が入る。


 真っ赤なドレスが夜風に揺れている。

 胸のところが開いたタイプで、コルセットの部分がシュッと締まっている。


 怖いくらいの美人だ。

 きれいな黒髪が腰のところまで流れており、目と唇だけがルビーのように赤い。


 首と腕には黄金の宝飾品をつけている。

 白い肌には染み一つなく、彫刻のように滑らかだから、どこまでも冷たい印象を与えてくる。

 そのくせ野薔薇のばらのような馥郁ふくいくたる香りをまとっている。


 一体、過去に何人の人間を食らってきたのか。

 考えただけで腹の底が寒くなる。


「人間とは、かくも弱き生き物よのう」


 傲慢さをたっぷり含んだ声がいう。

 その両手に載せた物が見えた瞬間、コジロウの喉を酸っぱい味が伝った。


「やだ……うそ……」


 シオンの膝が小刻みに震え始める。


 人間の首だった。

 一つは男で、一つは女だ。

 さっきコジロウたちを助けてくれた狩人イェーガーである。


「骨のあるやつだったぞ。なにせ私が一撃で仕留め損ねたからな」


 真紅の瞳が得意そうに笑う。


 驚くべきは速さだ。

 コジロウとシオンは走ってここまで来た。


 先回りしたというのか?

 腕利きの狩人を二人殺して?

 しかも首まで奪って?


 あってはならない光景を目にしているという現実が、コジロウの血液から温度を奪っていく。


「しかし、狩人イェーガーは年々弱くなっておるな。昔はもっと第六感を使いこなしていただろう。科学の力というやつのせいではないか。神仏に対する信仰も薄っぺらいと聞くし……まあ、私には関わりのないことか」


 紅月のヴァンパイアの手から火柱が上がった。

 さっきまで人の頭だった物が灰となり、後には髑髏どくろだけが残される。


 ルキウスの奥歯がギリっと鳴った。

 シオンも気圧けおされたように後ずさりする。


「しかし、不思議な組み合わせだな。東洋協会と西洋教会の狩人が手を組んでいるのか。しかも二人とも若いではないか。まだ二十に満たないだろう。よっぽどの人員不足と見えるが……」


 コジロウは紅月のヴァンパイアの脳天目がけてトリガーを引いた。

 弾は髑髏によって受け止められ、ひび割れたむくろの向こうで笑い声がする。


「威勢がいいな。感心せんが。人が話している最中なのだ。さすがに失礼だろう。私は悲しいぞ」


 血の匂いとプレッシャーが一段と増す。

 遊ばれていると分かり、コジロウの背を冷たい雫が流れた。


「降りてきなさい! 紅月のヴァンパイア! あなたは私が成敗します!」

「おもしろいな、人間。ヴァンパイアが人の指示に従うと思っているのか。そもそも我らの方が強い。なぜ弱い生き物の方から指図してくるのか、理解に苦しむわ」


 紅月のヴァンパイアは子供みたいに足をブラブラさせる。


「人間は傲慢だな。我らを勝手に格付けしているだろう。ヴァンパイアがいつ人間を格付けした? S級とかC級とか、一方的に割り振ったか? 否、それは命に対する冒涜というもの。私はとても悲しい。人間ほど命を軽んじる生き物が憎らしい。口では平等を唱えながら、まったく逆のことをする」


 どうする……。

 話している最中にも続々とヴァンパイアの兵隊は集まってくる。


 戦うのも不利。

 逃げるのも不利。

 どうせ同じ不利ならば、潔く戦ってみるか。


 そんなコジロウの思考を先読みしたわけじゃないだろうが、


「やめておけ、銃の男。そんな怖い目で私を見るな。せっかくの美しい顔が台無しになるぞ。あと死を急ぐな」


 紅月のヴァンパイアは優美に微笑み、一切のプレッシャーを引っ込める。

 群がるヴァンパイアたちの間にも、弛緩しかんしたような空気が広がった。


「私はな、お前ら二人に感謝しているのだ」

「はぁ⁉︎ 感謝される筋合いはありませんが⁉︎」

「面白いな、褐色の男よ。私が人間に感謝するなんて、百年に一度の珍事というのに……。褒美というわけではないが、私の本来の姿を見せておこうか」


 紅月のヴァンパイアの体が左右に膨らんだ。

 破裂するような音がして、上から突風が吹きつけてくる。


 二枚の羽だった。

 シルエットはコウモリに似ている。

 特筆すべきは大きさで、限界まで広げるとゆうに五メートルは超えるだろう。


 それ以上の存在感を放つのは第三の目だ。

 額のところが縦に裂けており、奥で真紅がゆらめいている。


 紅月のヴァンパイアは瞳がたくさんある、という情報は聞いていたが、第三の目のことを指しているらしく、器官というよりエネルギーの核と呼んだ方が正確だろう。


 圧倒的な妖気。

 圧倒的なパワー。

 それらを見せつけるかのように、紅月のヴァンパイアは頭上で手を回して、墓地一帯の大気をかき混ぜた。


「これは挨拶代わりじゃ」


 頭上から爆風が落ちてきて、コジロウですら膝をつきそうになる。


「おい、平気か⁉︎」

「私は平気ですが……」


 シオンの姿がない。

 吹っ飛ばされたのかと思いきや、声は頭上から降ってきた。


「冴木くん! 天利くん!」


 紅月のヴァンパイアがお姫様抱っこするようにシオンを抱えている。

 大好きな玩具でも前にしたように目を輝かせている。


「この女の血は特別でな。お前ら二人が守ってくれたことに感謝している。瀬奈シオンだけは手下どもに食べさせるわけにはいかないのだ。この女は私の物。血も、肉も、顔も、余人が触れることは許さん」


 そういってシオンの肩口を爪で裂いた。

 溢れてきた血に口をつけ、樹液のように啜っている。


「痛い……」


 シオンだって死を覚悟して墓地までやってきた。

 その決意は本物で、少しのことでは砕けないはず。


 狩人二人の死を目の当たりにしたという事実が、紅月のヴァンパイアに捕われてしまったという恐怖が、一筋の涙となってシオンの頬を流れる。


「人間よ、選ぶがいい。この女を取り返すため私に挑んでくるか。尻尾を巻いて大人しく逃げるか。選択する権利をやろう。もっとも……」


 紅月のヴァンパイアは指先から赤い糸を飛ばした。

 兵隊ヴァンパイアたちの額に突き刺さった糸を女王の血液が伝っていく。


輸血ドーピングだ。下位のヴァンパイアだとお前たちの相手にならんからな。この窮地から生還してみよ。楽しみにしているぞ。私はお前たちに少し興味がある」

「待て! どこへ逃げる気だ⁉︎」

「ふふ……」


 笑い声が遠くなっていく。


「これから私がどこへ向かうのか、銃の男なら当てられるのではないか? そこが私のお気に入りの場所だ」


 紅月のヴァンパイアは宙高くへ舞い上がると、シオンを抱えたまま星の海へ溶けていった。

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