第3話 エクソシストと陰陽師

 とある山中へやってきたコジロウは、大木の影に隠れて愛用の銀ナイフをぬぐっていた。


 さっきヴァンパイアを二体仕留めたのである。

 銀銃を使わなかったのは、銃声で仲間のヴァンパイアに察知されるのを避けるためだ。


 コジロウの眼下にはかつてセメント工場として稼働していた施設があり、使われなくなったトラックやびついたドラム缶が雨ざらしにされている。


 廃工場に出入りする影は今のところない。

 しかし、コジロウの見立てが正しければ、十体前後のヴァンパイアと生捕りにされた人間がいるはず。


「これ以上、各個撃破するのは無理か」


 血で汚れたハンカチを仕舞ってから、ナイフに息を吹きかけた。


 ヴァンパイアはすべて殺す。

 生捕りの人間はすべて助ける。


 紅月のヴァンパイアの抹殺という最終ゴールがある以上、こんなところで失敗している場合ではない。


 休み時間になり次第、学校へは早退届を出しておいた。

 ルキウスに声をかけなかったのは、東洋協会の人間が信用ならないからだ。


 表向き西洋教会と東洋協会は手を結んでいる。

 この世から厄災を滅ぼしましょう、という理念も共有している。

 実際、西洋教会と東洋協会の狩人イェーガーが共闘するのは珍しくない。

 のだが……。


 いざとなったら向こうを見捨てる。

 目の前で死にそうになっている日本人とアフリカ人がいて、もし片方しか助けられないとしたら、大半の日本人が同族の命を優先させるのに似ている。


 だから信じられない。

 東洋協会の人間は。


 別にルキウスの人格や能力を疑っているわけじゃない。

 東洋協会のやつらに騙された……その手の話を何回も聞いているから、当たり前の用心をしているに過ぎない。


「やあ、コジロウじゃありませんか」


 いきなり肩を叩かれて、口から心臓が飛び出そうになった。


「びっくりさせるなよ。誰かと思えばルキウスか」


 猫みたいな金眼がニカっと笑う。


「こんなところで会うなんて奇遇ですね」

「嘘つけ。俺の後をつけてきただろう」

「さあ、何のことでしょうか」


 この様子だとルキウスも早退届を出してきたらしい。

 本当なら一人で攻略したかったが、手を組むしかなさそうだ。


 ルキウスの服装はゆったりしたパーカーとチェック柄のパンツで、学校にいた時から変わっていないが、麻で作られた斜めがけの背嚢リュックが増えている。

 この中に戦闘用のアイテムが入っているらしい。


 ルキウスの視線がコジロウの手元に吸い込まれる。


「それが噂の銀ナイフですか。ちょっと触ってもいいですか」

「…………嫌だ」

「え〜、釣れないな〜」

「お前に渡した瞬間、刺されそうだから嫌だ」

「うわっ、コジロウって変わり者ですね。一昔前の日本で流行ったツンデレってやつですね」


 ルキウスが体をくねくねさせる。

 ふん、何とでもいえ、と思ったコジロウは顔を背ける。


 銀ナイフを触らせたくないのは、これが大切な人の遺品だから。

 知り合ったばかりのルキウスにそこまで話す義理はない。


「そうそう、雷おこしを持ってきましたが、コジロウも食べますか?」

「お前、いつも菓子を持ち歩いているのか。チョイスが渋すぎるだろう。おばあちゃんかよ」

「雷おこしって偉大なのですよ。軽くて小さいのに満足感があります。味だってしっかりしているから元気が出ます。非常食としてこれほど重宝するものはありません。口の中の水分を奪われちゃうのが玉にきずですが」


 玉に瑕なんて日本語をルキウスが知っていることに驚きつつ、雷おこしをもらっておいた。


 一口かじってみる。

 サクサクした食感と優しい甘さがクセになりそうだ。


「ふん、悪くないな」


 コジロウは眉間にシワを寄せつつ顔を上げた。


「えっ? マズかったですか? まだ湿気ていないはずですが……」

「そうじゃない。普通に美味しかった。この礼はいつかする。それを伝えたかった」

「礼なんていいですよ。友達じゃないですか」

「一方的に物をもらうのは好きじゃない」


 ルキウスが困ったお母さんみたいに笑う。


「律儀だったり、頑固だったり、やっぱりコジロウは日本人なのですね」

「勝手に決めつけるなよ。どこのマニュアルに適当な情報が載っていたんだ?」

「私の日本語の先生ですよ。日本には『裏腹』という言葉があって、言葉と行動が一致していない状態を指すそうですね」

「あのなぁ……」


 どうもペースが狂うと思ったコジロウは、こめかみの部分にタッチする。


 イライラの正体は分かっている。

 ルキウスの言うことは、きっと正しい。

 人の心に土足で踏み込んでくるような、厚かましさというか馴れ馴れしさがこの男にはある。


 お節介というべきか、世話焼きというべきか。

 エクソシストには珍しい人種だ。


「コジロウの名前、それって日本だと次男の意味ですよね。コジロウにはお兄ちゃんがいるのですか」

「…………いや、俺に兄はいない。一人っ子だ」

「そうなのですね。意外です。コジロウだからって次男とは限らないのですか。とても勉強になります」


 一方的に質問されるのも悔しいから、コジロウからも質問してやりたい気分になる。


「俺からも一つきたいことがある。なぜルキウスは陰陽師になったんだ?」

「それは私の家が代々続く陰陽師でして……」


 コジロウは首を振る。


「そうじゃない。家系だからって、ならない選択肢もあるだろう。いつか厄災との戦いで命を落とす可能性が高い。親はそれを知っているから、自分の子ではなく、才能ある養子に家を継がせるケースもある。陰陽師の世界なんて、みんな遠い親戚みたいなものだろう」

「なるほど。私が積極的に陰陽師になった理由ですね。そりゃ、あれですよ」


 ルキウスは人差し指を向けてくる。


「格好いいじゃないですか」

「はぁ……」

急急如律令きゅうきゅつにょりつりょう、目の前の敵をはらたまえ、みたいな。あれが格好いいと思ったからです。それ以外の理由はないでしょう」

「なん……だと……」


 金のため、人助けのため、復讐のため。

 人がこの道に進む理由なんて、その三つしかないと思っていた。


 格好いいから?

 陰陽師になる?

 そんな動機が許されていいのか?


 しかし、目の前にいる張本人が白状したのだ。

 格好いいから、それ以外の理由はないと。


 もし西洋教会の本部で似たような発言をしたら、一斉に白い目を向けられるだろう。

 我々を愚弄ぐろうしているのか! と襟首えりくびをつかまれて、顔面パンチを一発もらう。


「ルキウスも何回か実戦を生き延びてきたのだろう。そんな理由で恐怖やプレッシャーを克服できたのか?」

「もちろんです。格好いいは最高のモチベーションです。野球選手とかサッカー選手だって、格好いい自分になりたくて、死にそうなほどキツい練習に耐えるじゃないですか。あれと一緒です」


 自信満々に指を立てるルキウス。

 ルキウス=アマデウス=天利という男は、筋金入りのバカか、あるいは天才だろう。


「分かったよ。お前とは反りが合わないと理解した」

「え〜。どうしてそういう方向になるかな〜」


 泣きそうな顔のルキウスに、コジロウは手を差し出す。


「俺たち二人で紅月のヴァンパイアを倒すという話、受けてやってもいいぞ。ただし条件がある。今回のミッションを無事に成功させる。お互い生きて帰る。自分たちのミスで死人を出さない。それが条件だ。正直、このくらいのハードルを乗り越えられないと先が思いやられる」


 ルキウスは花がぱあっと咲くように笑う。


「やった。コジロウの冷静さやクレバーさ、私に欠けている部分だから手を組みたいと思っていたのです。ありがとうございます」

「礼なら終わってからにしてくれ。西洋教会が保持している紅月のヴァンパイアに関するデータを閲覧した限り、名のある狩人イェーガーが何人も返り討ちに遭っている。まともな戦果も挙げられないまま。これが何を意味しているか分かるか?」

「ただの強敵じゃないのですか?」

「それに加えて……」


 向こうは人間との戦い方を熟知している。

 コジロウたちが厄災との戦い方を熟知しているように。


 ルキウスでも理解できるよう噛み砕いて説明しておいた。


「どこかで罠を張ってくるかもしれない。それだけは覚えておけ」

「分かりました。でも、私たちなら大丈夫です」

「このポジティブ人間め」


 コジロウは木の枝を拾った。

 地面に廃工場の地図を書いていき、進入できそうなルートを解説していく。


「正面からは俺が行く。ルキウスは逆サイドから攻めてくれ。ちなみに俺の武器は銃だ。銃声が聞こえたらバトル開始だ。射線に入らないよう気を付けてくれると助かる。仲間を撃ちたくないからな」

「了解です。ちなみに私の得物えものは……」


 ルキウスが麻の袋に手を伸ばしかけた時、女性の甲高い悲鳴が聞こえた。


 ……。

 …………。


 鉄パイプのような物で繰り返し金属を殴打する、耳障りな音が響いてきた。


「キャーキャーうるせえんだよ! 殺されたくなかったら大人しくしていろ! 俺たちは気が立ってんだよ! えさがこんなにあるのに! 手をつけたらダメってお達しだからな!」


 コジロウは工場の入り口からそっと中をのぞいた。


 猛獣を入れるおりのような物に民間人が閉じ込められている。

 下は小学生くらいから、上は五十路くらいの主婦っぽい人まで。


 一つの檻に入れられている人数はマチマチだ。

 男か女か、成人か未成年か、そのくらいの選分けはしているらしい。


 檻を取り囲んでいるヴァンパイアが五体いる。

 少し離れた位置で待機しているのが四体。


 ちなみに鉄パイプを振り回しているのは角刈りのヴァンパイア。

 まだ若い、ヴァンパイア化した時点で二十歳くらいだろう。


 このヴァンパイア集団とケーキ屋の女性スタッフには決定的な違いが一つある。


 すでに人間の血を吸っているのだ。

 その証拠というべきか、彼らの手や服は血で汚れており、気にしている素振りがない。


 虜囚たちの健康状態は遠目すぎて分からない。

 さっきのセリフを聞く感じだと、勝手に傷つけるのは禁止されているらしいが、病人がいないとも限らない。


 餌の貯蔵。

 あるいは兵隊のストックというわけか。


 すぐ飛び出したくなる気持ちを抑えて、もう少し様子を見てみる。

 まだルキウスが移動中であり、待った方が得策という判断だ。


「そのくらいにしておけ」


 身長百九十センチはありそうなヴァンパイアがいう。


 このメンバーの中ではリーダー格だろう。

 タンクトップを着ており全身の筋肉が他のヴァンパイアより発達している。


「ですが、いつまで待機すればいいんですかね。人間は放っておくと、あっという間に弱っていき、血と肉が不味くなっちゃうんですよ。腐らせるくらいなら、弱ったやつから食べてもいいんじゃ」


 檻の中にいる女が、いやぁ⁉︎ と悲鳴を上げる。

 そこに鉄パイプの音が重なった。


「うるせえ! その腕、へし折るぞ!」

「やめろ。あのお方の許可なく人間を傷つけるのは許されていない」

「あ〜あ、腹が減ったらやる気が出ないですよ」


 これは貴重な情報だ。

 他の動物たちと同じく、空腹のヴァンパイアは若干パフォーマンスが落ちる。

 戦うなら本調子じゃない時に限る。


「俺に良い考えがある」


 タンクトップのヴァンパイアが仲間の方を向く。


「捕虜を勝手に傷つけるな、と言われているが、脱走しようとした人間を攻撃するのは別だ。たとえば……」


 そういって若い女四人が入っている檻の錠を外した。


「こいつらが逃げ出した。捕まえようとして、やむを得ず攻撃してしまった。飛んできた血飛沫ちしぶきが口に入った。何なら女たちは死んでしまった。そういうイレギュラーが起こる可能性はゼロじゃない。むしろ、起こらないのが不思議なくらいだ」


 そのシーンを想像したであろう八体のヴァンパイアが一斉に色めき立つ。


「おおっ! すげぇ!」

「あんた、天才かよ!」

「久しぶりの若い女だぜ!」


 この下衆げすめ。

 コジロウは小さく呟いて歩き出す。


 ありったけの殺意を銀銃に込めて、ゆっくりと持ち上げた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る