Episodio L’ultimo Oltre Il Vento 《風を越えて》

 澄みきった空が、城の向こう、丘を越えた遥か遠くまで続いている。絢爛な彫刻細工が施された大聖王宮の城門の前には、光を吸い込みそうなほど真っ黒な馬と、それに乗った青年の姿があった。


「……で、俺は選ばれなかったってわけね」


「私の力不足だった。申し訳ない――ヨセフの配慮がなければ、わたしは画学院と離宮への出入りまでも禁じられていただろう」


「あんたは悪くねえよ。審査にあたったやつらの頭が古かったってことさ」


「でも――」


 でも、ヨシュア皇子は認めていらっしゃった。わたしはそう言おうとして思いとどまった。


 彼は彼自身のために絵を描く。その究極の戦い、究極の目的の中では王族とか金持ちとか、「お偉いさま」の人々など取るに足らない通過点に違いないだろう。



 御抱え画家が正式発表されたのは三日前。宿舎にいる画家たちには、選抜者の名前と、それ以外の者に対して今後一週間の宿泊の権利が、飛び手紙ヴォラーレッテラで通知された。選抜者の中にロレンツォはいなかった。三人目に、フェリーぺ・ストロッツィの名があった。


「でも、何だ」とロレンツォが馬上から訝しげな視線を投げかけた。


「いや、何でもない。君はたとえロムルスでなくても、すぐにその名をその街で高くし、王国中に響かせるだろうと思って」


「ああ、言われなくともそのつもりだ――だができることなら、ロムルスにとどまっていたかったよ」


 王宮から、王立管弦楽団オルケストラの合奏の音色が聞こえる。それに遅れて、謁見の間に響き渡る拍手と喝采が聞こえ、わたしたちはそちらの方を振り返った。ちょうど、御抱え画家に選ばれた三人の画家が、皇子から徽章きしょうを受け取っていることだろう。少しばかり名残惜しそうなロレンツォはわたしにとっては物珍しく、おかしかった。


「まさか君ともあろう無頼の芸術家が、そんなふうに感傷的になるとはね」


「ここにきて半年にもならないが、良いものを得たからな。この街はいい。クラヴァトとは違って通りが賑わっているし、店の者たちも陽気で気前がいい。少し離れた丘からの景色は北部の冷たいものとは違って暖かく優しいからな。


 それから画家の連中も面白いのが多い。ヘタクソも多いが、上手い奴は上手い。特にフェリーぺは俺の数少ない友人になりそうな奴だと思ったよ。叶うならば、一緒に仕事をしたかったものさ――ニコラスは駄目だな、あいつと俺はまったくもって反りが合わん」


「おや、彼の弟子入りは結局撥ね退けたのかい」


「あいつは俺ではなく、これまで通りフェリーぺの下で力をつけるべきだ。あの二人の絵画は表面の雰囲気こそ違うが、その内部は同じものを持っている。もっと言えば、あの二人の眼だ。あいつらは奥行きのある世界を、光の中でとらえる目を持っている。闇の中にとらえる俺とは真逆だ」


 なるほどそういった見方もあるのか、とわたしは独りごちた。初秋のひやりとした冷たい風が、銀杏いちょうの葉をざわつかせる。それじゃあ俺はそろそろ故郷に帰ることにしよう、といってロレンツォは馬の首を門の外に向けた。


「いつか、ロムルスで仕事をしてくれ。君は王都の喧騒に相応しい画家だ」


「もちろんだ。あのジョルジュとかいう、頭の凝り固まった老人を今度は俺の絵で殴り飛ばしてやるさ」


「……ところでこれは野暮な質問なんだが――君の部屋で見かけた肖像画、あの像主は誰だったんだい」


 ああ、あれか、と彼は麻袋を軽く叩いた。あの絵は彼が肌身離さず持ち歩いているらしい。彼の顔は今までに見たことのない、社交的な笑みとは違う、本物の優しさをたたえていた。


「俺のお袋だよ。俺の知っている中で、世界で一番美しい女だ。お袋を超えるほどいい女は、さすがにこの王都といえどいなかったらしいな」


「君は随分手厳しいようだね」とわたしはやや呆れ顔で言った。


 こいつは俺の趣味だ、あんたにとやかく言われる筋合いはない、と彼がまくしたてるので、まあそれもそうだ、とわたしはその場を取りなした。


「いずれまた会おう。あんたはきっと、俺の成功のために必ず必要になる存在だ――この半年で俺はそう確信した」


「それは大層光栄でございます、親方マエストロ


 ロレンツォはあの社交的な顔でわたしの茶々を笑い飛ばした。そして、黒毛の馬の腹をご機嫌に軽く蹴ると、王宮から続く大通りに駆けだしていった。



 ロレンツォの姿が見えなくなるまで、わたしは彼の後ろ姿を見送っていた。

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アンバーブライト 有明 榮 @hiroki980911

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