第44話 美依の執着

 遡る事、2日前。

 土田を家に招いた翌日、那知のバイト先にて。


「また来てるぞ、ほら」


 バイト仲間の1人、山内が那知に耳打ちして来た。

 確認しなくても、ここ数日の流れから、それが井上美依みよりである予測がついた那知は、短く溜め息を1つ漏らした。

 しかも、その日の那知の担当エリアに、1人で座っていた。


「俺が、オーダー取りに行こうか? あの子、ルックス的にはマジで俺好みだし!」


 いつもなら、土田に頼めたが、今日は休みだった。

 その土田が休みで、今日の那知は、心を少し軽くさせられていた。

 

 前日の土田からのキスが、那知の脳裏からは簡単に離れない。

 土田もまた、今日のバイトが休みで、安堵しているだろう。

 まだお互いの心に残っていそうなしこりが、この休み中に少しずつ緩和される事を祈る那知。


 そんな土田が休みでエリアを交代してもらえず、かといって、女は手当たり次第というのがモットーの山内に代わってもらうのも、気が進まなかった那知。


「いらっしゃいませ、ご注文はお決まりですか?」


 覚悟を決め、井上が1人で座っているテーブルへ行き、他の客と相違無く接した那知。


「分かっているでしょ? 私の注文が、那知、あなたって事くらい!」


「ここは、指名制のホストクラブじゃないから、そういう真似は止めてくれないか?」


 客と店員という上下関係を利用しようとしている美依に憤慨し、接客用の言葉を続けられなくなる那知。


「今日は、那知の大好きな土田君が休みの日なんだから! いいじゃん、少しくらい私と付き合ってくれたって!」


 先日、下校途中の喫茶店で、メイク顔で土田を想っているアピール後、その時は驚いたものの納得して帰宅した美依だった。

 ところが、その後も、美依は何度もバイト先に1人で押しかけ、那知を誘惑しようと試みていた。


「仕事中なので、私用の会話は禁じられてます!」


 そう言い切って、井上のテーブルから離れようとしたが、美依は那知の手首を掴んだ。


「仕事終わるまで、待っていてあげるから! いいでしょう?」


 冬休み期間なのをいい事に、食事を済ませた後も、1/3ほど残っている飲み物のグラスをテーブルに置いたままにし、遅い時間まで居座り続ける美依。


「失礼します」


 美依の手を振り払い、他の席の料理の給仕をしたり、注文を尋ねに行った那知。

 

「やっぱり、こんな時間になっても帰らないで、あの子、お前を待っているじゃん! 意外と罪な男だね~、園内は!」


 ラストオーダーの時間になっても、そのまま残っている美依を見て、那知を冷やかす山内。


「そういうのじゃなくね? 自分の思い通りに行かないと、ガチでプライドが許さなくて、意地になっているだけだって」


 今まで相手から振られた経験など無かった美依は、そのまま引き下がるのは屈辱的に思えて、あの手この手でモノにしたがっているのだと察する那知。


「えっ、何、あの子、なっちゃんのお友達? だったら、もう今日は、上がってもいいから。一緒に帰ってあげなよ~。」


 そばにいた店長の耳にも、那知と山内の会話が聴こえ、気を利かし、那知のバイトを早上がりさせようとした。 


「店長まで、そんな事、言わないで下さい! さっき、説明した通り、僕は今日から、戻る家が無いので、ここに泊まらせてもらう予定ですから!」


 あの日、衝動的に澪を傷付けた事を後悔した那知は、しばらく家を離れ、頭を冷やそうとした。

 澪もおそらく、那知と顔を合わせるのを避けていたいだろうと予想した。


 バイト先には、休憩用の畳部屋と仮眠用の布団も有る。

 ここで、何日か過ごさせてもらえるよう店長の許可も得る事が出来た。


 10時を回り閉店の時刻となった。

 店内は、美依を残し、他の客はいなくなっていた。

 

「申し訳ございませんが、お客様、閉店のお時間です」


 那知がホールからロッカーに向かった後、店長が丁重に美依に声をかけた。


「あの~、那知は......?」


 ホール内を見回して、那知の姿が見当たらなくなった事に焦っている様子の美依。


「もうバイト終了の時刻なので、上がりました」


 慌てて会計を済ませ、従業員出口の方へ回り、着替えて出て来る那知を待つ態勢に入った美依。

 

 しばらく待つも、違う従業員ばかりが出て来て、肝心の那知は現れない。


「あれっ、さっきのお客様ですね?」

 

 店長が、美依に気付いて尋ねた。


「あっ、はい。那知は、まだですか?」


「いや、もう急いで帰りましたよ」


「え~っ、そんな~! 私、ずっと待っていたのに......」


 もしも待ち伏せしていた場合用の嘘を那知に頼まれ発したものの、夜更けに女の子1人で帰らせるのも気の毒に思えた店長。


「あっ、ちょっと待っていて下さい」


 店長は美依を待たせ、一度、店の中に引っ込み、那知を呼んだ。


「マジか......? 店長~!」


「あ~っ、那知! やっぱり、まだいたの~?」


 店長に呼ばれてドアの所まで来たものの、美依の姿を見るなりUターンし、店に戻ろうとした那知。

 そんな那知とは対照的に、那知の姿を見た美依は、満面の笑みを浮かべていた。


「なっちゃん、責任もって送り届けてあげないと、泊まらせないよ~」


「何の責任ですか? 僕は無関係ですけど......」


 なぜに、こうなるのか不可解そうな那知。


「まあまあ、いいからいいから、こんな可愛い子1人で歩かせると心配だろう? はい、鍵! 無くさないでくれよ」


 店長は笑いながら、他の女性従業員達を車に乗せて去った。

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