第43話 那知の苦悩

 那知は自分の弟ではなかった。


 澪にとってそれは、今、母の口から初めて聞いた事実だったが、その事を那知が以前から知っていたのかを確認したかった。

 

 母は思い詰めた様子で、大きな溜め息を1つ漏らしてから話し出した。


「出来る事なら、あなた達2人にはずっと隠し通して、私とお父さんにとっての大事な双子の姉弟として育っていってもらいたかったの......あれは、2人が中2の時だったわ......あの頃、那知が留学しようとしていたのを覚えている、澪?」


 中2の時と言われ、その辺りの記憶を遡ろうとする澪。


(留学......? あっ、そうだ、そんな時も有った......結局、急に行かないって言い出してた......それに、確か中2といえば、那知がしばらく大荒れしていた時期......)


「パスポートを申請するために必要だった戸籍抄本をファイルに入れて本棚に立てて置いたら、何かの本を探していた那知に見付けられてしまっていて......もう隠し通せなくなったから、那知には話したわ」


(あの時からずっと那知は、その事を知っていて1人で悩んでいたの......?)


 それまでの那知とは態度が急変した事に、違和感が有った時期と一致していた。


「那知と血の繋がりが無い事が知らてしまうと、澪も思春期だったから、今まで通りに那知と接する事が出来なくなって変に距離を置いたり、一緒に暮らす事を拒絶されると困るから......澪には話さないでおいて、那知とはそのまま姉弟として仲良くしてもらいたかった。那知にとって、ここでの生活が苦痛にならないようにと願って、そうしていた事だったけど、それが、こんな風に裏目に出てしまったなんて......」


母は、澪に隠していた事を後悔している様子で、頭をうな垂れた。


(お母さん、そんな事を心配していたんだ.....那知と同時に、弟じゃないって知っていたら、私は、どうしていた......? 大荒れ状態だったから、私の方も余計に遠ざけてしまって、多分、もう元のようには仲良く出来なかったかも知れない......)


「私が良かれと思って澪に秘密にしていたせいで、那知の気持ちの抑え付ける事を強いる結果になっていた......那知が好きなのは、土田君ではなくて、紛れもなく澪なのよ!」


 澪が疑問に駆られながらも、那知には確認出来なかった事を母は肯定して来た。


「那知が自分のその気持ちに気付いたのは、多分、養子と分かった直後ではないわ。それからしばらくして、澪が土田君を好きになって浮かれ出した頃じゃないかしら? 

今まで、生き急いでいるくらい自分を向上させる為の努力を惜しまなかった那知が、急に自暴自棄になって、爆弾抱えて込んでいるような時期が有ったでしょう?」


 那知の大荒れ期が、戸籍を見付け養子と分かった後ではなく、澪が土田を恋し始めた頃と指摘され、そう言われてみると、その頃だったと思い出した澪。


(私が、土田君に助けられて、恋焦がれるようになったせい......? そのせいで、一時的ではあったけど、那知が、あんなに荒れた状態になっていたなんて、全然思いもしなかった......)


 土田に恋した時から、澪の生活様式は全て土田への想いゆえに急変した。

 その同時期に、那知は、そんな澪を傍目で見ながら、自分の想いを封じ込める事しか出来ずにいた。

 それを今になって知らされ、那知の心境を感じ取った澪。


「あの時まで、那知は誰よりも目立ちたがりなところがあって、勉強もスポーツも手抜きしないで頑張っていた。でも、あの事を知ってからは、肩の力をかなり抜いて、自分よりも澪を立てる方に回ってしまったの。きっと、この家の実子である澪より、養子の自分が目立つような事が有ってはならないという遠慮の気持ちの顕れだったのね。結局、念願だった留学も諦めて、家計の足しにとバイトまで始めて、那知なりに色々と私達に気を遣っていたのよ」


「それは......私が、良いとこ取りの那知がいつも羨ましくて、比べられて惨めになってばかりいたから......よく那知にも、その事を愚痴ってしまっていたし......」


 一時期は鋭いナイフのようにとがっていた那知が、それ以降はまるで別人のように丸くなり、特に澪に対して優しくなったが、自分の知らないところで、そんなに大きな節目を那知が迎えていたと知り、心苦しくなった澪。


「那知は、澪の事が大好きで、その事は、傍目から見ている私にも苦しいくらい伝わっていたけど、ずっと感情を揉み消す事に徹していたの。女装だって......これは、私の見解だけど、多分、澪に恋人が出来た時、異性である弟としての存在だったら距離を置かれてそうじゃない? でも、女装して澪と女友達みたいな関係になれたら、澪に恋人が出来たとしても、那知は親友みたいな位置にいられると考えたんじゃないかしら?」


 ゲイではない事を公言した以上、ただの奇特な趣味だと思い込んでいた那知の女装。

 それに、母が憶測したような想いが込められてたかも知れない。

 澪の胸は、急に締め付けられそうになった。


「澪にしてみれば、私が日頃から、那知に対して自分より甘く接していたように思えていたかも知れないけど......それは、那知がずっと自分の気持ちを封じて行動している健気さに打たれて、つい那知の味方をせずにいられなかったからなの! だから、事情を知らずにいた澪には、誤解されても仕方ないけど、いつも申し訳無く思っていたわ......」


 いつも那知ばかり贔屓ひいきしていると感じられていた母から、その理由を聞かされ、知らず知らず涙が頬を伝っていた澪。


「私、何も知らなくて......那知に酷い事を言ってしまった......」


(ごめんね、那知! ずっと前から、那知が養子という事で悩んでいた事も、私の事をヨイショして、自分は二の次の立場に回っていた事も何も気付かないで......いつも、私は、自分だけが大事で、他の人の事なんて考えられなくて......今回の事だって、自分1人だけが傷付いて、誰よりも哀れなんだって思い込んでいた! 一番辛かったのは、那知だったはずなのに......! 何も気が付いてあげられなくて、ごめんね......)


 一刻も早く那知を探し出し、謝りたかった澪。

 そして、これ以上、母を心配させないよう、家に連れ戻そうと決意した。

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