夜明け前

「朝なんて嫌いよ」

 私は、先自動販売機で買ったビールを片手に大声で叫んでやった。



 朝なんて嫌い。いつもうっとしい目覚まし時計で無理矢理起こされて、満員電車に揺られて会社いきゃあ、上司の顔色伺ってお茶汲みして、夜になればくたくたになって帰るのに誰も慰めてもくれない。

 生きるために働くってよくいうけど、こんなのあんまりじゃない。

「朝なんてだぁーいきらいよっ!」

 私は叫んでやった。

 もう、みんな寝静まった三時半。私の大声で誰が起きたらいいわよ。

「すげー、声。近所迷惑とか考えろよ。おねえさん」

 そんな声が聞こえてふりかえるけど、暗くて見えない。

 男の子?

「なによ」

「近所迷惑、反対」

「うるさいわよ。私はねぇ、疲れて帰ってきてるのよ。だから、ちょっとぐらいのわがままだって許さるされるべきなのよ」

 びしっと腰に手を当てて言い返してやった。

「うわ、酒くせぇ。女の酔っぱらいは嫌われるよ」

「女が酔っちゃいけないなんて誰が言ったのよ?」

「昔の偉い男の人」

「それって、差別よ。差別」

 あーあ、酔いが冷めちゃった。

「あんたこそ、こんな真夜中になにしてるの?」

「散歩」

「何者?」

「大学生。といても浪人だけどね」

「はん、世の中のすいもあまいも知らない子供かぁ」

「あっ、ひでぇー」

 むっとした声に私は肩を竦めて笑った。

「あら、じゃあ、ごめんなさい。それで、勉強の気晴らしに散歩?」

「コンビニまでね。俺、朝とか嫌いだから」

「あんたも? 私も嫌いなの」

「おっ気が合うね。じゃあ、そこまで歩かない? ほら、公園まで。あそこさ、桜がそろそろ咲きそうだったんだよ」

 そんなの私、知らないわよ。

 毎朝通ってるのに、忙しさで見てなかった。なんだか、損した気分になっちゃったじゃないのよ。

 よーし、見るぞ。絶対に見るぞ。夜桜なんて洒落てるじゃない?

 そんなこというと、人影はけたけたと声を出して笑った。

「いいねぇ、それ。丁度、コンビニでビール買ったんだよ。行こう」



「君、いくつ?」

「今年で二十二。だから、ビール飲んでも大丈夫」

 私よりも二歳年下。

「別に誰も飲んじゃいけないなんていってないわよ。未成年だってビールくらい飲まなくちゃ」

「OLのお姉さんは、飲んでたの?」

「十六のときから」

 そういうと、けたけたとまたその子の笑い声がした。

「すげぇ不良。じゃあ、煙草も?」

「あれは、匂いが嫌いなの」

 一度吸って、あんまりきつくて喉が痛くなって以来、一度も吸ってない。

「へぇ、俺は、吸うよ。今も持ってる」

 そういうとしゅぼっとライターの火がついて煙草のあの嫌な匂いが鼻についた。こいつ、わざと私の前で煙草の煙を吐きだしたんだってぴんっときた。

「最低」

「よくいうぜ、浮気は文化だぁってさ。じゃあ、煙草も文化だ。ビールがよくて、煙草がだめって差別、差別」

「なに、それ。わけわかんない」

 私は大きく両手をあげた。

「悪い文化の栄え。俺さ、今年でやばいんだよ。今年落ちたら親に仕事しろって言われてさ」

「なに目指してるの?」

「弁護士」

「なれっこないじゃん」

「どうして?」

 間髪入れずの言葉に戸惑った。だって、弁護士ってすごく難しいこと、どうして目指したりするのよ? 一浪したんじゃあ、無理かもしれないっておもうもんじゃない。なのに、どうして、そんなに平然と自分の夢とか悠々と語れるのかしら?

「だって、あんた馬鹿そうだもん」

「ああ、俺、確かに馬鹿だな。けど、そうやって他人の夢とか否定するのやめたら? お姉さん、今、すごく惨めな顔してるよ。暗くてもわかるよ、それくらい」

「なッ!」

「誰も自分のしてること、理解してくれない。誰も認めてくれない。どうして、どうしてって顔に書いてやんの」

「あんたになにがわかるのよっ!」

 私だって、二年前までは自分の夢のために結構いろいろとしてた。けど、叶わなかった。それでも努力したわよ。自分のしてること認めて欲しくて、いろいろと懸命にしたわよ。けど、誰も認めてくれないのよ。仕方ないじゃない。諦めるしかないじゃない。

「同じさ。俺もあんたも、みんなも。認められるなんて難しいんだ。だから、結構みんな苦労してるけど、そういう苦労って認められないんだ」

 私、そいつの頭をぐりぐりと撫でた。



 公園は、昼間と違って怖いくらいに静かだった。その中に桜の甘い匂いがした。私はそれを胸いっぱいに吸い込んだ。

「しらなかった。桜」

「毎日、大変だもんな」

「馬鹿みたい。なんで、こんなに必死なんだろう。全部、朝がわるいのよ」

「朝が?」

「そうよ。ずーっと、夜だったら、寝て過ごせばいいのに朝がくるから、働きにでなくちゃいけないのよ」

「俺は、お日様、好きだけどな。布団ほすと気持ちいいだろう?」

「そうだけど」

「それに、OLのお姉さんの顔がこれだと見えないしさ」

「なによ、それ」

「あんたが美人だったら、口説いたのに」

「美人よ」

「お、そうか。じゃあ、口説かない」

 そういってそいつは、ベンチに歩いていくとそこに座って袋からビールを取り出して私に差し出してきた。それを受け取って飲むと冷えてておいしかった。

「私、疲れちゃってるの。いろんなことに疲れたわ」

「そういうの誰にだってあると思うぜ」

「そうね。けど、今は私にあるのよ。私だけがもつ疲れってあるのよ」

 誰にもわからない私だけの疲れっていうものはある。それを他人に知ってほしいのかもしれない。

「夜っていうもんは、そういうのを癒してくれて朝は洗い流してくれるんだ。きっと」

「そうなのかしら?」

「そういうもんさ」

「あんたって年下のに、年上みたいなこというのね」

「そうか?」

 私はビールを飲んで、そうよって笑っていってやった。

「けど、俺もたまに朝なんてきてほしくなくて誰でもいいから電話して、傍にいて欲しいって、結構みんな相手してくれたりするんだよ。けど、前にヤクザにかけちまってさ、そいつがいうんだよ。『小僧、どこの組のもんだ』ってさ」

「それでどうしたの?」

「うーん、そのまま切るのもつまんねぇから、フツーに名前なのって、電話したのは、寂しいからだっていって、いろいろ話したよ。そうしたら、最後に『馬鹿なことはするなよ』ってヤクザから心配されちまったよ」

「変なやつ」

「みんな同じなんだよ。それで違う。そういうもんなんだよ。人間」

「そっか」

「あ、そろそろ朝になっちまう」

「え?」

 あっと気が着いたら、太陽の日差しが夜を照らし出していた。私は横を見た。男の子が静かに私に笑いかけてくれた。

「おはよう。今度は、太陽の下でデートしませんか? 美人さん」

「おはよう。いいわよ。浪人」


 少しだけ、朝を好きになってもいい気がした。

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